26.アデラちゃんのポシェット
アデラちゃんは夏休みの中頃にルンダール家にやって来た。直後にオースルンド家に行くことになって、アデラちゃんの荷物を入れるものも急だったので準備できていなくて、お兄ちゃんの小型のトランクに入れたのを私は覚えていた。
「アデラちゃんにポシェットを買ってあげたいんだけど」
「蕪マンドラゴラも入って持ち歩きやすくなるし、旅行にもこれからいっぱい行くだろうから、買っておいた方がいいね」
お兄ちゃんと話し合って、馬車で魔術具を売っているお店に出かけた。ポシェットを考えてしまったのは、アデラちゃんがファンヌのお譲りの服を着ていて、私の中ではファンヌとイメージが被ってしまうのだ。
私にとってファンヌはかけがえのない可愛い妹だった。アデラちゃんは大事な娘である。二人とも可愛くてならないので、どうしても私の心の中で近い場所に置かれてしまうのは仕方がなかった。
幾つかポシェットを持ってきてもらうと、アデラちゃんは蕪マンドラゴラのかっちゃんを抱っこしたままで悩んでいた。
「かぶたん、ないの?」
「蕪がいいのかな?」
「あい、かぶたん、いーの」
アデラちゃんが望んでいるのは蕪のポシェットだった。
ファンヌは長年人参のポシェットをつけていたし、蕪でいけないはずはない。お店と交渉すると特別注文で作ってくれるということだった。
幼年学校の卒業近くまでファンヌはカミラ先生がくれた人参のポシェットを使っていた。それだけ大事に使われたのならばポシェットも本望だっただろう。今はポシェットは人参の部分だけ小さなポーチにされてファンヌのケンタウルスの革のリュックサックのチャームとして活躍している。
それくらい使うものであれば特別注文しても構わないというのが私とお兄ちゃんの見解だった。
「作ってもらうから少し時間がかかるけど、蕪のポシェット、できるからね」
「あい、あーまつ」
「良い子だね、アデラちゃん」
お兄ちゃんに抱き上げられてアデラちゃんは照れてにこにこしている。黄色い小花柄のワンピースも、黄土色にピンクのリボンのついたフェルトの帽子もよく似合っている。
お洒落にアデラちゃんは興味があるようなのだ。
アデラちゃんはルンダール家に来るまでは接ぎの当たった薄汚れた服を着ていた。洗濯もされていないその服はどろどろで、脱がせた後はすぐに処分してしまったが、サイズもやたら大きくてアデラちゃんはズボンの裾とシャツの袖を折り曲げていた。
そんな状態からファンヌとエディトちゃんとヨアキムくんのお譲りがいっぱい入った子ども部屋のクローゼットを見たら、人生観が変わったのだろう。畑仕事はヨアキムくんが着ていたフリルのついた可愛いサロペットパンツに長い靴下で肌が出ないようにして参加して、お部屋ではファンヌやエディトちゃんのお譲りのワンピースを着る。
「あー、おしめたまみたい」
「アデラちゃんはルンダール家のお嬢様なのよ?」
「ふぁーねえたま、えーねえたま、おしめたま?」
「わたくしは、ルンダール家の令嬢よ」
「わたくしはオースルンド家の……ファンヌ姉様、わたくし、ルンダール家の子どもじゃなかった!?」
「気にしなくて良いわ、エディトちゃん。わたくしはヨアキムくんと結婚するし、エディトちゃんが妹であることは変わりないわ」
大らかなファンヌの考えにエディトちゃんも素直に頷いている。ルンダール家の系譜はアデラちゃんにはよく分からなかったようだけれど、ファンヌの堂々とした発言を聞いて結論を出したようだ。
「あー、みんなと、かじょく」
私とお兄ちゃんはアデラちゃんの父親、ファンヌは叔母、ヨアキムくんは叔父、エディトちゃんとコンラードくんとダニエルくんはお兄ちゃんの従姉弟。正確に言えばそうなのだが、アデラちゃんにそんな細かいことは分からない。
間違っていないような気がするし、何よりファンヌがあまりにも堂々としているので私も迫力に気圧されて納得してしまった。
出来上がったポシェットを取りに行くと、小さな袋部分の表面に蕪が立体的に刺繍されていて、アデラちゃんは大満足だった。何度も刺繍の蕪を撫でて、お店のひとに頭を下げていた。
「あいがとごじゃいまちた」
「本当に気に入ったみたいです。ありがとうございます」
「ご希望に添えて良かったです」
お店のひともアデラちゃんの喜びが伝わってきたようで、笑顔で頭を下げてくれた。
お屋敷に帰るとアデラちゃんにポシェットの使い方を教えるのはエディトちゃんとコンラードくんの役目だった。お姉ちゃん、お兄ちゃんとして下の子に教えたい思いがあるのだろう。教える役目を買って出てくれた二人を見守ることにする。
「蕪さんやマンドラゴラは入れても良いのよ」
「いやがってたら、やめてあげるんだよ。はいりたいときには、じぶんではいってくるから」
「かったん、はいゆ?」
「びぎゃ!」
呼ばれて返事をして蕪マンドラゴラのかっちゃんが入ろうとするのをエディトちゃんが止める。
「入れる場所を決めておくのよ。仕切りがあるでしょう? 全部同じところに入れたら出すときにごちゃごちゃになっちゃうの」
「かぶさんは、ここね?」
「あい、かったん、ここ!」
指示された場所に蕪マンドラゴラのかっちゃんが飛び込んでいく。
「ここは服を入れるといいわ」
「したぎはわけるんだよ」
「ちたぎ、わける。ちたぎ、どぉれ?」
「アデラちゃんは肌着とオムツとオムツカバーね」
3歳だがアデラちゃんはまだオムツが外れていない。これまでも垂れ流し状態でお手洗いを使ったことがなかったようなので、急がずに気長に練習して行くことにして、オムツをつけてもらっている。
話を聞けば漏らしたら年上の子に全部脱がされて、服が乾くまでは濡れた服を着せられていたというアデラちゃん。今は着替えがあるので漏らしたらすぐに教えるように言っているが、まだオムツに慣れていないのか漏らしてもそのままにしていることもある。
これも気長にアデラちゃんの成長を待たなければいけないのだろう。
アデラちゃんの件は落ち着いたので、私は魔術学校で冬休みまでの準備を始めることにした。歌劇部は冬休みはお休みで、春からまた始まる。基礎練習ももう一度初めからやり直して、もっと力を付けるのだ。
歌劇部の他にも私はエリアス先生に個人的にレッスンを受けていた。
毎年のお兄ちゃんのお誕生日に歌う歌を今年は豪華なものにしたかったのだ。
以前に異国の歌を歌ったときにお兄ちゃんは感激して私を抱き締めてくれた。あんな風に今年は特に演出を凝りたい。
恋人になってから初めてのお兄ちゃんのお誕生日なのだ。格好良く決めたい。
「この楽譜の中から選んでくれませんか?」
私がエリアス先生に提示したのはお兄ちゃんが誕生日プレゼントにくれた異国の楽譜集だった。異国の歌に感動してお兄ちゃんがくれた楽譜集から、今度は私が歌を返す。
ロマンチックな歌、情熱的な歌、色んな歌があるようだが、エリアス先生でも知らない曲が楽譜集にはたくさんあった。歌詞を全部訳していくと時間がかかってしまう。
そこで思い出したのがラウラさんのことだった。
一度楽譜を持ってお屋敷でラウラさんに聞いてみる。
「ラウラさんはこの国で生まれ育ったと聞きましたが、大陸の言語を話せたり、読めたりしますか?」
「読み書きできますよ。話すのもできます。両親は大陸の言語で話していたので」
大陸から来た両親を持つラウラさんは大陸の言語を話せて、読み書きもできた。協力してもらうために音楽室にアデラちゃんと一緒に来てもらって、楽譜集を見せる。
「幾つかわたくしが知っているのと違う言語の歌もありますが、ほとんどは分かります」
「簡単に意味を教えてもらえますか?」
アデラちゃんをお膝の上に乗せて、楽譜をラウラさんに渡して意味を聞いて書き込んでいく。数日でほとんどの楽譜に訳が付いた。
「本当にありがとうございます」
「お役に立てて嬉しかったです。この国はあまり大陸の人間がいないので、この肌の色も、顔立ちも、奇異の目で見られてきました。このお屋敷ではそんなことはなく、大陸の人間として頼ってもらえて幸せです」
大陸から香辛料を輸入しているし、この楽譜集も大陸からお兄ちゃんが輸入してくれたものだが、私は大陸のことについてよく知らない。この国の領地を治めるだけで精いっぱいなところがある。
大陸から渡って来たひとたちがルンダール領にもいて、仕事がなかったり、差別されているのならばその対処を考えなければいけない。
ラウラさんと話す機会があったことは、私の視界を広げるきっかけになりそうだった。
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