23.コンラードくんの願い
夏休みが開けて魔術学校が始まってもアデラちゃんは保育所には入所しなかった。子ども部屋でラウラさんが見ていてくれるし、寂しくなるとお兄ちゃんの執務室に行ってお膝の上で蕪マンドラゴラのかっちゃんを抱っこしているようだ。
夜泣きもあまりしなくなったが、夜は私が添い寝をしていると安心するようなのでしばらくの間は続けようと思っている。夜中に起こされることがあると言っても、新生児ほど頻繁ではないし、お手洗いやオムツが濡れたときや怖い夢を見たとき以外は、アデラちゃんはよく眠った。
アデラちゃんが一日中お屋敷にいるので面倒を見てくれているラウラさんも夜は別室でゆっくり休んで欲しかったし、アデラちゃんとの信頼関係を築くためには必要な時間だと考えていた。お兄ちゃんも執務中にお膝にのせているのがアデラちゃんと信頼関係を築くために必要な時間だと感じているようだった。
理想としてはラウラさんの見守りの元で安心して遊べることなのだが、まだアデラちゃんには虐待された記憶が残っている。その記憶を忘れて自由に遊べるようになるまでは、私たちが配慮しなければいけなかった。
魔術学校からファンヌとヨアキムくんと一緒に帰って来ると、デシレア叔母上がエメリちゃんを連れてお屋敷に来てくれていた。ヨアキムくんとファンヌの婚約のお祝いのお返しのリストを作ってくれているのだ。
「お帰りなさいませ、イデオンくん、ファンヌちゃん、ヨアキム様」
「僕だけ様付けは寂しいです」
「では、ヨアキムくんと呼ばせていただきます。ファンヌちゃんの正式な婚約者となったことですし」
おめでとうございますと言われて、ファンヌもヨアキムくんも手を繋いでにこにこしていた。
床の上をよちよち歩いているエメリちゃんに、ビョルンさんが迎えに行っていたエディトちゃんとコンラードくんが駆け寄る。
「エメリちゃんかわいいね」
「わたくしの……わたくしの?」
「えーっと、従兄の叔母の子ども?」
「むつかしいの」
正確にはエディトちゃんとコンラードくんと私は従兄弟同士ではないのだが、お兄ちゃんと結婚するので従兄弟ということにしてもいいだろう。
ルンダール家の系譜はややこしすぎてエディトちゃんとコンラードくんには難しいようだった。
「みんな家族よ」
「そうね、みんな家族ね」
「じゃあ、わたしのいもうと?」
「それは違うかしら」
大雑把に全員家族だと言ってしまうファンヌだが、コンラードくんがエメリちゃんを妹かと聞くのにはちゃんと否定をする。眉間に皺を寄せていたが、コンラードくんは子ども部屋を走り出た。追いかけていくと執務室の扉をバーンッと勢いよく開けている。
「ちちうえ、わたし、いもうとかおとうとがほしい!」
「コンラード、お兄ちゃんになりたいのかな?」
「そう! わたしもかわいいいもうとかおとうとがほしいです!」
ディックくんに弟のコニーくんが生まれたあたりからコンラードくんは弟妹が欲しくて堪らなかったのだろう。アデラちゃんのことを妹だと勘違いしていたし、エメリちゃんのことも妹かと聞いてきた。
真剣な眼差しのコンラードくんにビョルンさんが歩み寄る。
「コンラード、弟妹ができても、必ずしも可愛いとは限らないんですよ?」
「アデラちゃんもエメリちゃんもかわいいよ?」
「コンラードの玩具を取るかもしれない。コンラードに嫌なことをするかもしれない。コンラードの思い通りにならないものなのです」
「しってる。ディックくん、コニーくんのこと、ときどき、『きらいっ!』っていってた。でも、『やっぱりすき!』って、『ごめんね』っていう」
弟妹の性格を選べるわけではないし、小さい子は我がままだったり、性格が合わないことだってある。
そういうときに嫌になっても弟妹をどこかにやってしまうことはできないのだとビョルンさんは丁寧に説明する。
「一人の人間ですからね。どれだけ喧嘩をしても、どれだけコンラードが嫌いになっても、一度弟妹になったら、一生責任を持たなければいけません。責任を持つのは私とカミラ様ですが、コンラードも兄弟として一緒に暮らさなければいけません」
「わたし、ちょっとはがまんする」
「ちょっとじゃ足りないかもしれませんよ?」
「がまんできないかもしれないけど、どこかにやってってぜったい、いわない。いっしょう、きょうだいでいる」
コンラードくんは真剣なようだった。
ビョルンさんは少し考えてカミラ先生に連絡を取っていた。
「実はエレンさんから相談されていたんです。病気に侵されて死にかけている妊婦さんが診療所にいるのだと」
「赤ちゃんは無事なのですか?」
「臨月に近いので、お腹から出せれば助かる可能性はあるのですが、身寄りもなく、未熟児か障害や病気を持っているかもしれないので、引き取り手が見つからないのです」
生まれてくることができてもその赤ちゃんは病気を持っているかもしれないし、未熟児かもしれないし、障害を持っているかもしれない。その可能性のある赤ちゃんを引き取ろうという相手も現れず、日に日に妊娠している女性は弱って行って、赤ん坊もいつ死んでしまうか分からない。
「エディト、コンラード、ヨアキムくん、お話があります」
「はい」
「なんでしょう」
「話してください、母上」
カミラ先生に呼ばれて、エディトちゃん、コンラードくん、ヨアキムくんが集まる。
「弟か妹かも分かりません。未熟児でとても手がかかる子かもしれません。病気や障害があるかもしれません。今の段階では何も分かりません。それでも、私には子どもをもう一人育てるだけの財力があります。あなたたちの弟妹として迎えてもいいでしょうか?」
「わたしに、おとうとかいもうとができるの?」
「わたくし、弟でも妹でも可愛がります」
「僕も母上と父上に引き取られて幸せになりました。その子も幸せにしてあげましょう」
全員が了承して、ビョルンさんとカミラ先生はエレンさんの診療所に向かった。帰って来たのは夕食も食べ終えてコンラードくんが眠くなる時間だった。
頭がぐらぐらしているコンラードくんをベッドに寝かせようとすると、首を振って拒否される。
「あかちゃんがくるかもしれないんだから、おきてる!」
「今日じゃないかもしれないよ?」
「わたしはおにいちゃんなんだから、むかえてあげる!」
きりっと表情を引き締めたのは一瞬で、またとろんと眠そうな顔になる。アデラちゃんはお兄ちゃんの膝の上でぐっすり眠っていた。
馬車がお屋敷の前に着く音に、私たちは玄関に走る。
「ただいま帰りました」
「父上、母上、妊婦さんは……?」
「先ほど亡くなりました。亡くなる前に絶対に赤ちゃんは生かして欲しいとお願いされたので、何があろうと大事に育てますとお約束をしました」
亡くなった妊婦さんのお腹を切って赤ちゃんは出されたのだという。
産着を着てお包みに包まれた小さな赤ちゃんは目を閉じて眠っているようだった。
「おとうとですか? いもうとですか?」
「弟ですよ。名前をダニエルと付けてもらっています」
「ダニエルくん……わたしのおとうと」
しわくちゃで小さなダニエルくんを覗き込んでコンラードくんはお目目をキラキラさせていた。
「だーちゃん……わたくしのマンドラゴラと同じ愛称だわ! だーちゃん、わたくしがお姉ちゃんよ」
「ややこしいので、ダニーちゃんにしませんか?」
「そうね。ダニーちゃん、可愛いわ」
呼び方を考えているエディトちゃんもヨアキムくんもすっかりダニエルくんのお兄ちゃんとお姉ちゃんの顔になっていた。
夏から秋の間に私たちには家族が二人も増えた。
アデラちゃんとダニエルくん。
二人ともかけがえのない大事な子どもたちだった。
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