20.アデラちゃんの行き先
主犯の男性たちは警備兵が連れて行き、法の裁きにかける。子どもたちは引き取ってもらう施設や家庭を探すということだった。
残りのことは警備兵に任せてお屋敷に戻ると、アデラちゃんの泣き声が響き渡っていた。
「ぶえええええ! おちっこ、でたったー! ふくがぬれたー!」
「服は着替えれば良いですからね。シャワーを浴びに行きましょう」
「ちれーなふくー! おごられるー!」
「誰も怒ったりしませんよ」
号泣するアデラちゃんの手を引いて蕪マンドラゴラが子ども部屋についているシャワールームに連れて行っている。カミラ先生とビョルンさんがアデラちゃんを宥めてシャワーを浴びさせて着替えさせてくれていた。
「ねじゃっだー!」
「寝ても良いのですよ。小さい子は寝るのも成長のうちです」
「がえらないど、おごられるー!」
洟を垂らして、顔をぐしゃぐしゃにして泣いているアデラちゃんをお兄ちゃんが抱き上げた。ハンカチで顔を拭かれてアデラちゃんは悲鳴を上げる。
「ごんなぎれーなぬの、よごじじゃっだー!」
「これは手や顔を拭くためのハンカチっていう布だから、気にしなくていいんだよ」
「はんがぢ?」
「ほら、お鼻をかんで」
洟が詰まってくぐもった声になっているアデラちゃんの鼻をかんであげて、お兄ちゃんは膝の上に乗せて私と二人並んで座った。ファンヌのお譲りの服を着ているアデラちゃんはとても可愛らしい。痩せて顔色が悪いが、それもしっかりと食べて眠れば良くなってくるだろう。
「イデオン、僕はアデラちゃんを放っておけないんだけど、このお屋敷で引き取ってはだめかな?」
「それはお兄ちゃんが決めていいことだよ」
「それだけじゃなくて、僕とイデオンが結婚したら、アデラちゃんを養子に迎えない?」
アデラちゃんには帰る家がない。
母親は死んで、再婚相手か恋人に窃盗団に売られて、そのままだ。
母親が死んだ時点で祖父母も現れていないからいないのか、縁を切ったのかどちらか分からないが、アデラちゃんを養育する大人は今のところどこにも存在しなかった。
蕪マンドラゴラを心のよりどころとばかりに抱き締めて震えているアデラちゃん。窃盗団の一員として罪を犯してしまったかもしれないけれど、それは悪い大人に暴力と空腹と睡眠不足で操られていたからで、きちんと教育をすれば貴族としてやっていけるかもしれない。
私の頭を過ったのは魔術学校の一年生のときに見た夢のことだった。
お兄ちゃんが黒髪の女の子を抱っこしていて、女の子はお兄ちゃんを「ぱぁぱ」と呼んでいた。
「お兄ちゃん、アデラちゃんだよ!」
「どういうこと?」
「私が12歳のときに見た夢の女の子!」
それでお兄ちゃんもすぐにアデラちゃんとあの夢の女の子が繋がったようだった。私たちは予知夢で出会うべくして出会った。
「アデラちゃん、私はイデオン。こっちが兄で婚約者のオリヴェル。三年後には私とお兄ちゃんは結婚するんだ。そのときに、私とお兄ちゃんの子どもにならない?」
「こども?」
「僕とイデオンが、アデラちゃんのお父さんになるんだ」
真剣に語り掛けると、アデラちゃんはぎゅっと蕪マンドラゴラを抱き締めた。ふさふさの葉っぱに顔を埋めて葉っぱの間から私たちを見てくる。
「たたく?」
「叩かない。悪いことをしたら、叱るけど、叩いたりしない」
「ごはんぬき、ちる?」
「しない。ご飯は一日三回、おやつ付きで食べてもらう」
「さんかいも!? おやつってなぁに?」
「昼ご飯と晩ご飯の間に食べる軽食のこと」
幾つもアデラちゃんには確かめたいことがあるようだった。
「あー、どこかにやらない?」
「お屋敷でずっと一緒だよ」
「うそ、つかない?」
「話せないことはあるかもしれないけど、できるだけアデラちゃんに話せることは話すよ」
お兄ちゃんと二人で説得していると、ヨアキムくんが話を聞いて近寄って来た。
「アデラちゃん、僕も違う家からこの家に引き取られたんです」
「おにいたんも?」
「オリヴェル兄様もイデオン兄様も、とても優しくて、一度も叩かれたことはありません。このお屋敷にいたら、ご飯がお腹いっぱい食べられて、ぐっすり眠れて、怖いことはありません。養子ということがよく分からないなら、しばらくこのお屋敷で過ごしてみたらどうでしょう?」
アシェル家で呪いを蓄積されてつらい思いをしてきたヨアキムくんの言葉には説得力があった。
「ようち、わからない。あーの、おとうたんになってくれゆの?」
「そう。僕とイデオン、二人がお父さんだけど嫌じゃなければね」
「おとうたん、ふたり……あー、かあいがってくれゆ?」
痩せた顔に大きな黒い目、癖のない黒髪は綺麗に洗ったので艶々としていた。
小さな可愛い女の子、アデラちゃん。
魔術学校一年生のとき夢で見た女の子はアデラちゃんだったのだと今なら分かる。
「私が若すぎるかもしれないけど、それでも、頑張ってお父さんするよ」
「イデオンは結婚してからでいいよ。とりあえず、僕の養子にすればいい」
お兄ちゃんの養子になるということは、ルンダール家の後継者になる可能性があるということだ。急いで魔術の才能を調べてもらうと、アデラちゃんは無意識に結界をすり抜けたりする魔術を使える程度の魔力の持ち主だった。
「多分、ルンダール家の後継者にはファンヌとヨアキムくんの子どもがなるだろうけれど、アデラちゃんは良き補佐になってくれると思うよ」
お兄ちゃんはアデラちゃんの魔力の検査結果を穏やかに受け止めていた。
おやつの時間になって子ども部屋におやつが運ばれて来るとアデラちゃんの口からたらりと涎が垂れる。
「あえ、たべていーの?」
花の形に飾られた夏ミカンのムースは見た目にもきれいでアデラちゃんの心をとらえたようだった。
「アデラちゃんの分もあるよ」
「ふく! よごちちゃう!」
「タオルを巻こうね」
慌てるアデラちゃんに私も慣れたので首にタオルを巻いてあげる。ぼろぼろとこぼしながらムースを食べて、タオルについたのまで舐めて、ミルクの入った冷たい花茶にはその冷たさに「ぴゃっ!」と驚きの声を上げながら飲んで、零しはしたもののタオルの上だけで、アデラちゃんはおやつを食べ終えた。
「アデラちゃん、一緒に踊りましょう?」
「おどい?」
「わたしがおしえてあげる!」
エディトちゃんとコンラードくんに連れて行かれてアデラちゃんは立体映像を見せられながら一緒に踊っていた。
その間にカミラ先生とビョルンさんがやってくる。
「オリヴェルには年相応の養子かもしれませんが、イデオンくんにはちょっと大きいかもしれませんよ」
「僕が面倒をみるから平気です」
「面倒を見ようと考えないように。あなたは当主の仕事があるのですからね。新しい乳母さんを雇うことにした方が良さそうですね」
心配してくれるがカミラ先生は反対ではないようだった。
「窃盗団で働かされていた恵まれない子をルンダール家が引き取ったとなると、他の貴族の屋敷でも養子を取るハードルが下がるかもしれませんね。実子がいても育てられるなら養子をもらってもいいわけですし」
貴族の家で育てられる子どもが多ければ、豊かな教育を受ける可能性を持つ子どもが増える。ビョルンさんの言葉に私はルンダール家の当主がすることには一つ一つ意味があるのだと改めて実感した。
縁があったからアデラちゃんを養子に迎えることを考えたが、アデラちゃんがルンダール家で養育されることで教育を受けられず幼くして亡くなっていたかもしれない命が一つ救われる。そのことだけでも私にはとても尊いことのように思えた。
「ひと先ずは、僕の養子ということで、結婚してからイデオンの養子にもなる感じで……」
「子どもは愛情を受ける相手は多い方が良いです。イデオンくんも若いですが、アデラちゃんに愛情を注いであげてください」
「はい」
「オースルンド領にもアデラちゃんを連れて行きましょう。オリヴェル様とイデオンくんの娘だと紹介しないと」
ビョルンさんに言われて私とお兄ちゃんは忘れていたことに気付いた。
「オースルンド領のお祖父様とお祖母様!」
「お兄ちゃんとお付き合いしてるって、言ってない!」
あれだけお世話になって可愛がっていただいているというのに、春に付き合い始めて夏休みも半ばを過ぎた頃になったというのに、私とお兄ちゃんはオースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様にご挨拶をしていなかった。
ベルマン家のお祖父様にはダンくん経由で伝わっているのでそこは安心だったが。
「サプライズに喜ぶタイプなので大丈夫ですよ」
「というか、サプライズに動じないタイプというか」
カミラ先生とカスパルさんとブレンダさんのご両親なのだから、少々のことで動じたりしない信頼はあったが、それでも不義理をしていた気分になってしまう。苦笑しているビョルンさんはオースルンド領でお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様と仲良くなったのだろう。
お兄ちゃんと結婚すればお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様が、本当の私のお祖父様とお祖母様になる。今までも本当のお祖父様とお祖母様のように可愛がってくれていたのに、それが実際になるとなると嬉しくてたまらない。
夏休みが終わる前にオースルンド領に報告に行かなければいけない。
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