10.ヨアキムくんの治療
お披露目が終わって、私たちが子ども部屋に戻ると、カミラ先生は子ども部屋についているお風呂にお湯を張って、大量の薬草を入れた。そこに手早く素っ裸にしたヨアキムくんを入れる。
「おふよ?」
「しばらく浸かっていてくださいね。オリヴェル、薬草はこれを。お湯の色が変わったら、お湯を取り換えて、薬草をまた入れてあげてください」
「分かりました、叔母上は?」
「魔術具を大急ぎで作って来ます」
話している間にも、「ちゃぽちゃぽ」と無邪気に遊ぶヨアキムくんを中心に、薬草の緑色で染まったお風呂のお湯が、毒々しい赤色に染まっていく。お湯が完全に毒々しい赤色になってしまうと、お兄ちゃんはお湯を抜いて、お湯を入れ替えて、渡された薬草を湯船に入れた。
何度お湯を取り換えても、ヨアキムくんからにじみ出る毒々しい赤い色は消えない。若干薄くなっている気がするが、それでもまだなくなる様子はなかった。
「こんなに小さいのに、何重にも呪いがかけられて……」
「のりょい?」
「ヨアキムくんには、のろいがかかってるんだよ」
「のりょい、なぁに?」
きょとんとして裸で、言われた通り大人しく湯船に浸かっているヨアキムくんは、呪いのなんたるかも知らない様子だった。それもそうだろう、ヨアキムくんは聞いた話ではまだ2歳なのだ。
小さい頃から呪いの魔術を死なないように少しずつかけていく。最初はベビーベッドの布団に、ミルクや離乳食にも呪いの魔術が混じったものを用意して、徐々に体に呪いが蓄積していくようにする。まだ呪いを貯めている途中だから、触れただけで即人死にが出るようなことはないが、そのまま育てられていたら、ヨアキムくんは触れただけでひとを殺してしまう暗殺者にされていたかもしれない。
今日だって、ファンヌを害するために、ケーキを持って渡させた。期待する目で見られても、呪いのかかったケーキをファンヌは口にすることができなかった。
「イデオン、ファンヌ、お湯にもヨアキムくんにも触っちゃだめだよ?」
「のりょい……うば、ちんだ。のりょい?」
純粋な眼差しでヨアキムくんが聞いてくる。
「よー、しゃわる、おはな、かれりゅ。わんわん、ちぬ」
自分でも薄々勘付いていたのかもしれない。ヨアキムくんが触れた花は枯れ、可愛がった犬は死んだ。乳母も死んだというのだから、呪いの魔術を纏った子どもを育てるのは文字通り命がけだったのだろう。
今回はファンヌと私を殺すために、ヨアキムくんはこの御屋敷にひきとられることを許された。
「戻りましたよ。逆上せてしまうので、これからお風呂から出しますが、その前に、これを付けてください」
紐を編んだ魔術具を両手首、両足首に結び付けて、解けないようにして、カミラ先生は大きなバスタオルでヨアキムくんを抱き留めた。綺麗に拭いて、私が小さい頃に着ていた服を着せると、癖のある黒髪が湿って少し重さで真っすぐになっていてとても可愛い。
「こんなにかわいいこを、りょうしんはどうして……」
「それだけ、私たちが邪魔なのでしょう」
ルンダール家の遠縁と言っていたが、私たちがいなくなれば、もしかすると魔術の才能の高さでは、次の当主に選ばれたかもしれない。これだけ呪いの魔術を我が子に纏わせて、一緒に暮らしていながら平気なのだから、魔力はそこそこに高いのだろう。その魔力の高さが、欲を産み、実の子であるヨアキムくんの人生を無茶苦茶にしようとしていた。
「あの両親は、禁呪を使った罪で捕らえられるように手配していますが……ヨアキムくんの呪いは厄介ですよ。今のところ、魔術具で抑えているので、触れても、触ったものを口にしても平気ですが、その魔術具もいつまでもつか分かりません」
カミラ先生の作った魔術具ですら、効力を失くしかねない呪いがヨアキムくんにはかかっている。
「ヨアキムくん、なおらないの?」
きゅっと小さな手を握って、ヨアキムくんに寄り添うファンヌに、カミラ先生は、「いいえ」と凛と返事をした。
「治りますとも。治してみせます。毎日薬草湯に入れて、効力が無くなれば、魔術具を取り換えて。ですが、二年かけて構築した呪いは、やはり二年くらいは解くのにかかるのですよ」
「にねん……よかったね、ヨアキムくん、にねんでなおるって」
「よかったの、ヨアキムくん」
喜ぶ私とファンヌに、ヨアキムくんは、ぽろりと涙を零した。
「おはな、かれない? わんわん、ちなない?」
「魔術具があるから、今の状態なら大丈夫だし、二年後にはその呪いも全部解けるみたいだよ」
お兄ちゃんが涙を拭いてあげて、ふとハンカチに手を翳すと、禍々しい赤い光が見える。魔術具で抑え込んでいるといっても、ヨアキムくんの呪いは、まだ健在のようだった。
「口に入れなければ平気ですよ」
魔術で調べた結果を見たカミラ先生が、ハンカチを受け取って詳細に調べる。
私たちの生活に、新しくヨアキムくんが加わった。
子ども部屋にベッドを追加するのは狭くなりすぎるので、私はヨアキムくんが来たのを契機に、お兄ちゃんと二人部屋になることになった。元々ファンヌは女の子なので、幼年学校に行く年になったら、別々の部屋に住まなければいけなかったから、それが少し早くなっただけだった。
お兄ちゃんも書庫を気に入って住んでいたが、身体も大きくなってベッドも手狭になっていたので、新しく子ども部屋の隣りの以前カミラ先生が暮らしていた部屋に、新しく男の子部屋を準備してくれた。
将来お兄ちゃんくらい大きくなるかは分からないけれど、大きなベッドはお兄ちゃんと同じサイズで、机もお兄ちゃんとは別に自分のものがあった。
勉強をするときや、食事のときには隣りの子ども部屋に行くのだが、それ以外では寝るときまでお兄ちゃんと同じ部屋ということで、私は浮かれてしまった。ファンヌが知恵を回して、ヨアキムくんを引き取って本当に良かったと、棚から牡丹餅的にお兄ちゃんと一緒の部屋になれたことを喜んでいると、カミラ先生に注意されてしまった。
「オリヴェルとは年が十歳違うのですから、夜更かしはいけませんよ? ちょっとぐらいの悪戯は許しますけど、オリヴェルを困らせてはいけませんよ?」
「いたずら、しません」
私がお兄ちゃんに悪戯をするはずがない。なぜなら、お兄ちゃんがこんなに大好きなのだから。
机が二つ並んでいるので、お兄ちゃんが勉強をしている間は、私も隣りの机に座って、紙に色鉛筆で文字や計算式を書いて、勉強している気分になっていた。
朝には、お兄ちゃんに起こしてもらって、着替えて、ファンヌを迎えに行く。薬草畑のお世話は、まだヨアキムくんは呪いがあって、薬草を枯らしてしまう可能性があったし、なにより小さすぎて眠っている時間なので、関わらせないようにしていた。
毎日の薬草湯で呪いがもう少し抜けて来て、朝起きられるようになったら、一緒に行くようになるかもしれない。
早朝の薬草畑の世話を終えて、子ども部屋に戻ってくると、ヨアキムくんは起きていて、積み木やパズルで遊んでいる。朝ご飯が運ばれて来るので、片付けるようにリーサさんが促すと、大人しく積み木を独創的に積み上げて箱の中に片付けていた。
薬草畑から帰った私たちは汗びっしょりで、シャワーを浴びる。その時間に、ヨアキムくんも朝の薬草湯に浸かっていた。
「あかいの、ちょっちょ、しゅくなくなったの」
「あかいの、め?」
「なくなったら、ヨアキムくん、げんちになるの!」
薬草湯ににじみ出る毒々しい赤い色も、日に日に少しずつ薄くはなってきている。大人しく薬草湯に浸かっているヨアキムくんを覗き込むファンヌとの会話に、私はほっと胸を撫で下ろしていた。
呪いのかかっていない食事を食べるようになってから、青白く見えたヨアキムくんの肌が、健康的に艶々になってきているような気がしていた。
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