7.お兄ちゃんと初デート
ルンダール領に歌劇の専門学校を作る話をしていると、私とお兄ちゃんはルンダール領の補佐と当主という仕事から逃れられず、デートしている気分になれない。音楽堂に国立歌劇団がやってきて歌劇を見るようなデートは頻繁にできるものではない。
もじもじとお兄ちゃんのジャケットの袖を摘まむと手を繋がれる。私だけじゃなくてお兄ちゃんの顔も赤いのは気のせいではないはずだ。今までに何度も手を繋いだことはあったけれど、恋人として手を繋いだことはない。
二人で決められた客席まで歩いて行った。
席の私の隣りはファンヌでその隣りはヨアキムくん、その隣りはコンラードくんとエディトちゃんで、カミラ先生もビョルンさんもいて、お兄ちゃんと隣りの席に座っているとはいえ、家族で来ているときと変わらない。
初デートだから馬車は分けてもらえたけれど、席を分かれるまではできなかった。
「わたくし、ヨアキムくんと話しているから、気にしないで」
気を遣ってくれるファンヌだが、ちらちらと私とお兄ちゃんの方を見ているのが分かる。ずっと仲良しだった私とお兄ちゃんがいざ恋人同士になったらどう変わるのか気になるのだろう。
私自身もまだよく分かっていない。
お兄ちゃんが私を好きで、私もお兄ちゃんを好きで、両想いになったのだが、これで付き合っていることになっているのか分からない。初デートが暗殺で壊されるようなことはなくなったのだが、もっといい雰囲気になる方法はないものか。
考えているうちに場内アナウンスが流れて客席の灯りが落とされた。
舞台の緞帳が上がり、歌と共に劇が始まる。
それは悲恋の物語だった。
二つの不仲な国に阻まれた王子と王女が、結ばれたいと努力をするがそれも虚しく二人とも別々の相手と結婚させられてしまう。結婚させられた後もお互いを諦めきれない二人は、生まれた子どもが結婚できるように国を変えていく。
最後は二つの国は同盟国となり、二人の子どもたちの結婚式でフィナーレを迎える。
歌があり、踊りがあり、長台詞があり、群舞があり、見所満載の舞台だった。
最後に出演者が並んで深々とお辞儀をする頃には私は拍手喝さいを送っていた。ファンヌもヨアキムくんもエディトちゃんもコンラードくんも頬っぺたを真っ赤にして拍手している。
素晴らしい歌劇が終わって、アンコールが鳴りやまなかった。
見終わって私とお兄ちゃんが会場から出ると劇団長さんと劇団のひとたちが私たち一行を控室に招いてくれた。汗びっしょりになって演じ終えた役者さんから声がかかる。
「ルンダール領にお招きいただきありがとうございます」
「次回は長期公演にしてください。もっとたくさんの方に見ていただきたいです」
「長期公演? そんなことができるんですか?」
「ルンダール領に留まって、何日も続けて同じ演目を演じるのです。一回だけではないのでたくさんのお客さんに見てもらえます」
今回はルンダール領に来てもらうのが初めてだったので一回きりの公演をお願いしていたが、長期公演も請け負ってくれるようだ。そうなれば王都からチケットを求めて来たひとたちでルンダール領の領民は貴族くらいしか来られなかったのが、もっと間口が広くなる。
ルンダール領の音楽堂を使って音楽文化を復興させるならば、それくらいのことはしたいと私は願っていた。
「わたし、かげきだんのうたっておどるひとになりたいです。なれますか?」
5歳のコンラードくんの真剣な問いかけに劇団長さんが答えてくれる。
「ルンダール領でもアントンが歌劇の専門学校を作ると聞いています。そこに通って劇団に所属すればなれるでしょう」
「私が歌劇の専門学校を作る?」
控室に呼ばれていたのは私たちだけではなかった。アントン先生の声が上がって劇団長さんがアントン先生の肩を叩く。その様子は非常に親し気だった。
「ルンダール領に残って指導したい生徒がいるって聞いてたけど、ルンダール領自体に歌劇の専門学校を作ってしまえばいい話じゃないか」
「そんなこと簡単には請け負えないよ」
「私も応援するし、劇団を引退した役者たちにも声をかけてみる」
躊躇っている様子のアントン先生をコンラードくんがきらきらと緑の目で見つめる。
「わたし、うたっておどれるようになりたいんです。アントンせんせい、おしえてください!」
去年の春からコンラードくんはずっと歌にのめり込んでいた。まだ4歳だったのに厳しい練習に耐えて、国王陛下の御前で歌えるまでに成長した。幼年学校にも入っていないコンラードくんが歌劇の専門学校に入るまではまだ時間がかかるが、逆に考えればそれだけの時間が私たちにはあるということになる。
「コンラード様は、歌劇役者になりたいのですね」
「はい、わたし、うたっておどりたいです」
膝をついて真剣にコンラードくんと目を合わせたアントン先生に、コンラードくんも必死に答える。
「分かりました。オリヴェル様とイデオン様のお力を借りることになると思います。私にできることならばやってみましょう」
コンラードくんの熱意がアントン先生を動かした。
「ルンダール領が荒れてもここを離れられなかったのは、私には生徒がいたからです。私は声楽の素晴らしさをルンダール領から失わせたくなかった。それが、今、歌劇の専門学校を作ることで更にルンダール領の音楽文化を盛り上げられるなら、私にやらせてください」
「アントン先生の頑張りは去年ずっと見ていました。もっと前からイデオンに歌を教えてくださっていました。僕にとっては音楽は造詣が深いものではないけれど、今日の公演にもどれだけのひとが感動していたか伝わってきました。良い学校を共に作りましょう」
ルンダール領の当主としてお兄ちゃんが歌劇の専門学校を作ることに賛成してくれている。嬉しくてお兄ちゃんの手を握ると握り返された。カミラ先生とビョルンさんとエディトちゃんに報告に行ったコンラードくんは「良かったですね」と抱き締められている。
コンラードくんが幼年学校を卒業したらルンダール領の全寮制の歌劇の専門学校に入学するかもしれない。それまで残り六年以上。しっかりと基盤を固めて行かねばならなかった。
ルンダール領のお屋敷に戻るとファンヌの誕生日パーティーが準備されていた。テーブルにはケーキと摘まめる軽食があって、取り分けてソファに座って歌劇の感想を言い合いながらゆっくりと寛いで食べる。
「王子様と王女様は結ばれなかったのよね」
「その後で、国同士の和平を結ぼうとしましたよね」
「二人が誓う歌の美しかったこと」
うっとりと話しているファンヌとヨアキムくんに私もお兄ちゃんの隣りに座って劇の話をすることにした。
「開幕の歌からすごかったね」
「イデオン、夢中だったよね」
「お兄ちゃん、私を見てたの!?」
「だって、可愛かったんだもの」
舞台に集中してしまった私と違って、お兄ちゃんは舞台を見る私に注目していたようだった。
「舞台もちゃんと見たよ。子ども同士が結婚したけど、本人たちは別々で切なかった」
「二人で逃げてしまえば良かったのにね」
「逃げて幸せになるよりも、二国間の諍いに阻まれて結婚できないたくさんのひとたちのために、二人は同盟を結ぶ道を画策したんだよ」
自分たちだけの利益ではなく、他のひとたちのことまで考えて王子と王女は逃げることを選ばなかった。それが国の後継者としての正しい在り方なのかもしれないが、もっと自由になれないものかと法案が変わったこの国に生きる私は考えてしまう。
「台本自体が古いものみたいだからね」
「私だったら二人が結婚できるようにするよ」
「どうやって?」
「何年かかっても二人は独身のままで国を和平に導くんだ。年老いた二人が同盟国となった二国の国王と女王として結婚して、二つの国は一つになる」
「それはそれでいいかもしれない。ロマンチックだね」
私の突飛な考えにもお兄ちゃんは賛成して話を合わせてくれた。
初めてお兄ちゃんと行った歌劇団の演劇は私にとって忘れられないものとなった。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。