9.呪われた子ども
栄養剤のレシピ公開のついでに、私とファンヌが正式にルンダール家の養子になったことを公表する場を、カミラ先生は設けてくれた。
「カミラてんてーのこと、カミラてんてーってよんじゃ、めーなの?」
「どうかな? とうしゅだいりさまってよばないと、だめかな?」
家庭教師として最初にカミラ先生が来ていたので、私とファンヌにとってはカミラ先生は「先生」だったが、今も勉強を教えてくれるが、当主代理としての仕事が忙しいので、お兄ちゃんに頼むことが多くなった。それでも新しい家庭教師が来るよりも、私たちはカミラ先生に教えて欲しかったので、忙しいときにはお兄ちゃんと自習をして勉強を進めていた。
両親がお屋敷を取り仕切っていた頃の嫌な使用人たちは一斉に解雇されて、メイドや厨房の料理人も、セバスティアンさんが一任されて、アンネリ様のいた頃に仕えてくれていたひとたちが戻ってきていた。早々に首を切られてしまっていた先輩の料理人たちの帰還に、スヴェンさんは泣くほど喜んでいた。
お屋敷のお料理もますます美味しくなって、私もファンヌもお兄ちゃんも、夏の間に少し大きくなった。夏休みはまだあるから、お兄ちゃんとは長時間一緒にいられる。
「叔母上は気にしないかもしれないけれど、周囲の貴族たちは気にするかもしれないね」
お兄ちゃんにカミラ先生の呼び方について相談してみると、お兄ちゃんは真剣に考えてくれた。
「前にいたイデオンとファンヌの両親を、よく思っていないひとが多いから、何か失敗をしないか、失敗をしたら嫌味を言ってイデオンとファンヌが傷付くように仕向けようっていうひとが、いないとも限らない」
自己防衛のためにも、公の場では失態を犯さないように気を付けなければいけない。お兄ちゃんに言われて、私とファンヌは二人で練習を始めた。
「おにいちゃんは、あにうえ」
「オリヴェルおにぃたんは、オリヴェルあにうえ」
「カミラせんせいは、とうしゅだいりさま」
「カミラてんてーは、とうちゅだいりたま」
「わたしのことは?」
「にぃたま!」
「じゃなくて、イデオンあにうえ、だよ」
「あ、まちがえた!」
何度も何度も二人で練習する私たちは真剣だったが、お兄ちゃんはそれを微笑ましく見守っていた。
「もし、間違えても、僕がフォローできるところはしてあげるから、楽しもうね」
それ以外にも、私にはパーティーのような公の場で、気になることがあった。以前に出たパーティーでセバスティアンさんは、出されている料理を食べない方が良いと忠告してくれた。それは、アンネリ様の毒殺疑惑があって、誰が犯人か分かっていなかったからだ。
「おにいちゃん、おりょうりはたべてもいいの?」
「貴族はほとんどが魔術師だから警戒した方が良いけど、せっかく厨房に戻ってきてくれた料理人たちが作ってくれたものだから、食べたいよね」
「わたくち、たべちゃい」
既に涎が垂れそうになっているファンヌは、公の場に初めて出るので、どんな料理が出るのか楽しみでならないのだろう。私は誕生日も新年のお祝いも、両親がいた頃に良いイメージがなかったので、警戒心でいっぱいだった。
「僕が取り分けて、変な魔術がかかっていないか調べて、イデオンとファンヌに渡してあげるよ」
「たべて、いーの?」
「僕が渡したの以外は食べちゃダメだよ」
「あい」
お兄ちゃんが気を付けてくれるならば安心だと、私は盛装を着る準備に入った。体にぴったりくっつくスラックスも、たくさんボタンのあるジャケットも、あまり着ないので慣れない。
背中のチャックに挫折したファンヌは、大人しくリーサさんに着せてもらっていた。
両親のパーティーは大人の都合で夜に開かれていて、私は最後の方は眠くて堪らなかったのだが、カミラ先生はそんなことはしない。きちんと子どもに配慮して、昼食会が開かれた。
涼しい風が部屋中にそよそよと吹いて、真夏の室温を下げる魔術がかかっている大広間に集まって、お酒ではなくお茶と摘まめる軽食でお披露目が始まる。
「私が開発した栄養剤のレシピを領民全てに公開します」
宣言してからカミラ先生は私とファンヌを壇上に呼ぶ。
「イデオンとファンヌの二人は、この地を苦しめたベルマン家の子どもですが、二人のおかげでケント・ベルマンとドロテーア・ベルマンの罪は暴かれました。幼いながらに勇敢にこの屋敷を守り、領地のことを考える二人を、正式にルンダール家の養子として迎えることになりました」
「イデオンです。どうぞ、よろしくおねがいします」
「ファンヌでつ。よろちくおねます」
ぺこりと頭を下げると、セバスティアンさんやリーサさんを筆頭とした使用人から拍手喝さいが巻き起こる。それにつられるように、招かれた貴族たちもぱらぱらと拍手をしていた。
「どうしてベルマン家の子どもが」とか「正式な後継者はオリヴェル様ですよね」とかさざめくように聞こえてくるが、それは無視することにする。
そんな中で、一組の夫婦が私たちに近付いてきた。
「初めまして、ではないですね、イデオン様には何度かお会いしております。わたくしはルンダール家の遠縁で、この子はヨアキム」
「ヨアキムれつ」
「カミラ様は本日もとても美しくていらっしゃる」
何か物凄く嫌なものが近付いてきた感覚に、私はお兄ちゃんの脚にしがみ付いた。ファンヌも尋常ならざるものを感じ取って、カミラ先生の脚にへばり付く。何も気付いていないように、2歳くらいに見えるヨアキムくんは、にこにことケーキの置かれたテーブルに向かって行っていた。
お世辞が嫌いなカミラ先生は苦い表情だが、それは美しいと薄っぺらい言葉を投げ掛けられただけではない。嫌な気配を感じ取っているのだ。
一つケーキを母親に取ってもらって、癖のある黒髪に黒いお目目、白いほっぺたをリンゴのように赤くして、ファンヌに「あい」と差し出す様子は、とても愛らしい。ファンヌも相当可愛い方だが、ヨアキムくんも天使のような男の子だった。
それなのに、背筋が凍って、冷や汗が流れるような感覚が止まらない。
食べないのかと期待の目を向けられても、ファンヌはお兄ちゃんと約束した通りにお兄ちゃんが取り分けたもの以外口にしない。
ヨアキムくんとご両親が席を外してから、お兄ちゃんがファンヌの手からお皿を取って、それに手を翳す。禍々しく赤く光りを放つそれは、ケーキに何か呪いがかけられたことを示していた。
「お、叔母上、今の子……」
「えぇ、恐ろしい呪いがかかっていましたね」
訓練されていないが魔術の才能がある私やファンヌにもはっきりと分かる、激しく呪われた子ども。それがヨアキムくんだった。
触れるもの全てに呪いを振りまき、側にいるだけで気分が悪くなるような恐ろしい呪い塗れのヨアキムくん。魔術の才能のあるものは気付いているのだろうが、小さいし注目されにくいし、指摘できる雰囲気ではない。
「恐らく、暗殺用に育てられているのだと思います……」
「けーち、くれたの。かあいくて、やたちかったの」
「あの様子だと、本人もあまり長くは生きられないかもしれませんね」
「ちんじゃうの?」
話を聞いていたファンヌの目が潤む。
ケーキだってヨアキムくんは純粋な好意で渡してくれたのに、両親は明らかにファンヌの暗殺を狙っていた。
ルンダール家の養子になるということが、暗殺に身を晒されるということでもあると頭では理解していたが、ファンヌよりも小さい子を利用して、ファンヌを害そうとしたことは、私には許しがたかった。
「あのこは、ながくいきないのですか?」
「呪いを全身に纏ったままでは、自分にも影響してくるでしょう」
「あのこを、たすけられませんか?」
両親に家のために利用された子ども。
私はヨアキムくんに私の過去の姿を重ねていた。
「カミラてんてー……じゃない、とうちゅだいりたま、ヨアキムくんののろいをとくことができまつか?」
ファンヌの問いかけに、カミラ先生が逡巡してから答える。
「呪いを抑える魔術具を付けさせて、少しずつ呪いを抜いていくしかありませんが、年単位で時間がかかりますよ」
「とけるなら、わたくちに、まかててくだたい!」
すたすたと歩いて行ったファンヌは、ヨアキムくんの両親ににこっと天使のように笑いかけた。可愛くお尻を振り振り話しかける。
「わたくち、ヨアキムくん、すちの。けこんすゆの」
「まぁ、ヨアキムを気に入ってくださったんですか?」
「ヨアキムくん、わたくちの、こんにゃくちゃなの。いっちょにすも?」
小首を傾げる仕草まで、ファンヌの演技は完璧だった。
私たちを呪いで殺したい両親にしてみれば、呪いの塊のようなヨアキムくんがファンヌの婚約者としてお屋敷に忍び込ませられるならば、それより嬉しいことはないだろう。まさか、私たちがヨアキムくんの呪いを全力で解こうとするなど、考えてもいない。
「ファンヌちゃんはすっかり一目惚れしてしまったようですね。可愛いカップルではないですか。いかがでしょう、ヨアキムくんを私たちのところに預けてはくれませんか?」
笑顔でカミラ先生もファンヌの助けに入る。
幼い子どもに呪いをかけて、その命が危険に晒されようとも、暗殺に使うような両親は、罪人として後でひっ捕らえるとして、今はヨアキムくんの身の安全を守らなければいけない。
私たちの提案に、ヨアキムくんの両親は渡りに船と乗ってしまった。
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