4.美味しいおやつ
ルンダール家では代々、薬草学に精通した魔術師が産まれていた。魔術の才能の高さとは別に、得意分野があって、ルンダールの血を引く魔術師は、薬草学やそれに関する栽培などの才能があった。
春先にお兄ちゃんが私とファンヌのお散歩という名目で、やっと庭に出して貰えてから、夏までに、雑草だらけで荒れていた裏庭は、見事な薬草畑に育っていた。夏は雨も多いが、日差しで土がすぐに乾いてしまうので、裏庭の端にある水場から、水を運んできてこまめに水やりをしなければいけない。それも、日が出てからだと土が逆にからからに乾いてしまうので、早朝にしなければいけなかった。
まだ眠たいファンヌは寝かせておいて、お兄ちゃんと私で手分けしてまだ薄暗い裏庭の畑に水を撒く。最初は柄杓に振り回されて、服がびしょびしょになっていた私も、お兄ちゃんにしっかりと教えてもらって、水やりができるようになってきた。
「持てない重さの水を入れてはいけないよ」
「あい!」
「水を撒くときには、足元をよく見てね」
出て来た芽や薬草を踏んでしまわないように注意されて、神妙な顔で私は「あい」と返事をする。柄杓に半分くらいの量ならば、零さずに運べるので、欲張らないことにした。
よたよたと柄杓を抱えて畝に水をかけていく。柄杓の半分では薬草一株分しかないので、何度も何度も、お兄ちゃんが置いてくれた大きなバケツとの間を行き来したが、お兄ちゃんが畑の他の畝を全部水かけしてしまう間に、私ができたのはひと畝の水かけだけだった。
それでも、3歳なりにお兄ちゃんの役に立った気持ちでいっぱいだった。
裏庭の薬草畑のことは、乳母とファンヌ以外には絶対に秘密。こんな利益になりそうなことをお兄ちゃんがしていると知ったら、金の亡者の両親は取り上げてしまうに決まっているから、私もお兄ちゃんも気を付けていた。
水やりを終えてお部屋に戻ると、お手洗いに連れて行かれて、用を足して、手を洗う。お兄ちゃんと畑仕事をするようになってから、私の身体は成長が促進されたのか、少し背が伸びて、オムツが外れた。どうしても間に合わなくて漏らしてしまうときもあるのだが、ほとんどの場合はお手洗いまで我慢できるし、お手洗いに行きたくなったらお兄ちゃんか乳母に声をかけられるようになった。
パン粥とスープをファンヌに食べさせる乳母と、パンとスープの朝ご飯を食べる私に、お兄ちゃんは心配になったようだった。私とファンヌのご飯は三食同じメニューで、スープの具が変わるくらい。子どもの育成に力を入れていない両親が、お腹が膨れればいいだろうと軽く考えているのが丸わかりの食事だった。
物心ついてからそれしか口にしたことがないので、おやつは、味のほとんどないかちかちの乾パンをミルクに浸して、舐めてなんとか柔らかくして食べていることにも、疑問は抱いていなかった。
「このままじゃ、イデオンとファンヌの成長に問題が出ますね」
「厨房には何度もそう言っているのですが、子どもの食事を作ったことがないものばかりで……」
「誰か、協力してくれるものはいないでしょうか」
当のお兄ちゃんも粗末な食事しか与えられていないことを、乳母は心配していた。お兄ちゃんも私もファンヌも、育ち盛り。もっと良い食事を与えないと、成長が止まってしまう。
「おにー……あにうえ、どこいくの?」
「厨房に行ってみるよ。イデオンも来る?」
「いく!」
勝手に厨房に入ったことが発覚すれば、お兄ちゃんは両親に咎められるかもしれない。そんなことを気にするほど両親は子どもにも厨房にも興味がない。ルンダール家の当主として認められたいがために、毎晩違う貴族のパーティーに押しかけ、社交界で顔を売ろうとして、家で食事は摂らず、酒浸りで、昼まで寝ているのを、その当時の私は知らなかった。
早寝早起きの自分とお兄ちゃんが、世界の基準だったのだ。
厨房に入ったことが発覚しても、私は入り込んだのを捕まえに来たことにすれば、お兄ちゃんは怒られないのではないだろうか。3歳児なりに必死に考えた作戦で、私はお兄ちゃんと一緒に厨房に入った。厨房の調理人は、お兄ちゃんを知っているひとだった。
「オリヴェル様、こんなところに来たと旦那様に知られたら、叱責されます」
「旦那様は厨房に来ないでしょう。スヴェンさん、お久しぶりです」
「アンネリ様は気さくで、厨房の料理人にも声をかけてくださったのに……今残っている料理人は、私だけです」
家で料理を食べないから、料理人もいらないと、両親は辞めさせてしまったようだった。残ったのは、お兄ちゃんが小さい頃から知っているスヴェンさんという料理人だけだった。
「以前は部屋に閉じ込められていたんですが、イデオンの面倒を見るようになってから、少しは自由に動けるようになりました」
「それは宜しかった。オリヴェル様、お食事のことで来られたのでしょうが、私にはできることがほとんどないのです」
料理人の中でも見習いだったスヴェンさんは、大人の料理はある程度作れるが、子どもの料理となると難しいと言う。厨房にある材料を確認して、お兄ちゃんはメモを取って行った。
幸い、お兄ちゃんの部屋は元々書庫だったので、黴臭くて日当たりが悪くて、冬は寒いのだが、情報だけはたくさんある。メモを持って、お兄ちゃんは私を抱っこして、一度部屋に戻った。
「ごほん、おいちいの、かいてあるの?」
「そうだよ。料理のレシピ本もここにはあったはずだ」
持ち出しは許されていないので、お兄ちゃんは半日をかけて、本のレシピを書き写して、スヴェンさんのところに持って行った。レシピを受け取って、スヴェンさんは半泣きの顔になる。
「ありがとうございます。私も、坊ちゃんやお嬢ちゃんに、美味しいものを食べさせたかったけれど、方法がなくて」
「仕入れてる材料で作れる範囲のものだから。それで、仕入れられるようになったら、肉や魚も少しずつ仕入れてくれたら嬉しいです」
「分かりました、何とかしましょう」
話しているお兄ちゃんのスラックスを、私はつんつんと引っ張った。
「あにうえ、おやちゅも、おいちいの、できう?」
「そうだね、作ってみようか」
「オリヴェル様、そんな……」
「大丈夫です、旦那様も奥様も厨房には興味がありません。見つかることはないでしょう」
お菓子作りをしたことがないスヴェンさんはレシピも渡されず、仕方なく食材の仕入れの資金で買えるカチカチの乾パンをおやつに出していたようだった。
小麦粉とバターと膨らし粉とお砂糖と卵と牛乳を用意して、お兄ちゃんはレシピ通りに作り始めた。常温にしたバターを練って砂糖を入れて、溶いておいた卵を加えて混ぜる。小麦粉と膨らし粉を混ぜておいて、牛乳と先に作っておいたバターに砂糖と卵を入れて混ぜたものを入れて、しっかりと混ぜる。
ねっとりとした生地がカップに入って行くのを背伸びして、調理台に顔を出して覗き見る。美味しいものの出来上がる気配に、私は涎が垂れて、お腹がきゅるきゅると鳴った。
オーブンで焼き上がったのは、熱々の焼き菓子だった。
「たべたい! こえ、なぁに?」
「マフィンだよ。もう少し冷めないと危ないから、お部屋に持って行って食べようね。スヴェンさんも召し上がってください」
「良いのですか?」
「ときどき、厨房にも顔を出します。よろしくお願いします」
その日のおやつは、今までにない幸福に包まれていた。焼き立てのマフィンは冷ましてもまだホカホカしていて、バターの良い香りが漂って来る。待ちきれないファンヌが顔を突っ込んで「びゃー!」と熱さに泣くが、それでも食べたくてたまらずに乳母の手からマフィンをもぎ取ろうともがいていた。
ふうふうと吹いて冷ましたマフィンを、ミルクに浸しそうになる私を、お兄ちゃんが止めてくれた。
「ミルクに浸すのはお行儀が良くないんだよ」
「だめ、なの? おじょーじ、よくないの?」
「今まではカチカチの乾パンだったから仕方なかったけど、これからは、一口の大きさに千切って、ミルクに浸さずに食べるようにしようね」
「あい」
ほふほふと食べると、口の中で蕩けるように柔らかい。これまで食べていたものはなんだったのだろうと疑問に思うくらい、味もとても美味しかった。
少しずつ、お兄ちゃんは水面下で私とファンヌの生活を豊かにしてくれていた。
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