1.お兄ちゃんがおかしいです
誕生日へと日付が変わった瞬間、お兄ちゃんは私を抱き締めて言った。
「イデオンが、好きだよ」
耳元に囁いた。
「僕は、ずっとイデオンが好きだった」
お兄ちゃんは何を言っているのだろう。
混乱して頭から湯気が出そうだったけれど、私の中の冷静な部分が告げていた。勘違いしてはいけない。
お兄ちゃんは私を弟として好きなのだ。そんなことはずっと前から分かっている。
「知ってるよ、お兄ちゃん」
そっとお兄ちゃんの胸を押しながら私は腕から抜け出した。嬉しそうな表情のお兄ちゃんは私に続けて言う。
「イデオンも同じ気持ちだと嬉しいんだけど」
「もちろん、お兄ちゃんのことは兄として大好きだよ!」
弟として好きだなんて言われて嬉しいことは嬉しいのだが、恋愛対象にならないのを明確にされると私も傷付かないわけではない。
お兄ちゃんと一緒に眠ったときの夢が蘇る。「ぱぁぱ」と呼ばれていたお兄ちゃん。あれが確定された未来かは分からないけれど、お兄ちゃんは誰か可愛い女の子を生んでくれるひとと結婚するのだろう。
泣きそうな顔で答えるとお兄ちゃんは酷く不思議そうな顔になった。
「兄としてって……」
「お兄ちゃんは私のことを弟として大好きでしょう? それはちゃんと分かってる。嬉しいよ。私もお兄ちゃんのことは兄として大好き」
本当は兄としてではないなんて、恋愛感情と欲望を抱いてしまっているなんて、聖人君子のお兄ちゃんに言えるはずがない。頭がぐらぐらして私はもう限界だった。
「ごめん、お兄ちゃん、私もう寝ないと」
夜が明ければパーティーも待っているし、これ以上の夜更かしはできない。
お兄ちゃんに部屋から出てくれるように頼んだら、酷く悲しそうな顔をされた。
「僕の気持ちは迷惑だった?」
「お兄ちゃんが大好きって言ってくれるのは、いつでも嬉しいよ」
その好きの方向性が私とお兄ちゃんでずれていなければ、もっと幸せなのに。無理やりにお兄ちゃんを部屋から押し出す形になって私はベッドに倒れ込んだ。顔が熱くて頭が痛い。
弟としてでも「好き」なんて真正面から言われたら、期待してしまうではないか。お兄ちゃんは優しいけれど残酷だ。
布団を被って目を閉じると私は気絶するように眠ってしまった。
目が覚めるとビョルンさんが私の顔を覗き込んでいた。額に手を当てられて目を丸くする。
「少し熱いですね……今日のパーティー、無理をせずに休んだ方がいいかもしれません」
「ビョルンさん? どうして私の部屋に?」
「オリヴェル様がイデオンくんの様子がおかしかったと教えてくれました」
お兄ちゃんには熱が出そうなくらい混乱していたのを見抜かれていた。お兄ちゃんへの恋心を自覚した日もそうだったけれど、私は恋愛関係で熱を出しやすいようだ。
恋愛に向いていないのかもしれない。
そもそも、お兄ちゃんが変なことを言い出すからいけないのだ。
枕元のサイドテーブルに水差しと熱さましの薬を置いてビョルンさんは私に言った。
「今日はゆっくり休んでください。せっかくのお誕生日なのに残念ですが」
「風邪ですか?」
「風邪の引き始めかもしれません」
頭もずきずきと痛んでいたので私は大人しく熱さましの薬を飲んで布団に入ることにした。お屋敷の中はパーティーの準備でざわついている。私が熱を出してしまったので、お兄ちゃんが代わりに挨拶をしてくれるのだろう。
補佐になることが決まったのにこんなことで熱を出してしまうなんて情けない。
涙が滲む私はぎゅっと目をつぶって眠ることに専念した。
お兄ちゃんは何を考えてあんなことを急に言い出したのだろう。
2歳のときからお兄ちゃんに可愛がられて、大好きだと言われ続けて、私もお兄ちゃんに大好きだと返していた。
私にとってお兄ちゃんに可愛いと言われることも、好きだと言われることも日常的過ぎてそこに重大な意味があるなんて考えもしなかったのだ。
パーティーは私たちが小さかった頃に夜遅くまで起きていなくていいように昼間に開いてくれるようにカミラ先生が配慮してくれていたときのままで、昼食時に行われる。
お腹が空いて目を覚ました私にスヴェンさんが厨房から昼食を持ってきてくれていた。サクサクのクロワッサンサンドはサラミとレタス、卵とお魚のフライと二つあって、摘まめる焼き菓子も添えてあった。
「お誕生日ですから、他の方々と食べるものくらい同じにしました」
「ありがとうございます、スヴェンさん。カミラ先生は来ていましたか?」
「カミラ様もおいででしたよ。パーティーが終わったらイデオン様を見舞いたいと仰っていました」
今日はカミラ先生も来てくれていたようだ。
クロワッサンサンドを欠片を零さずに食べるのは至難の業だったので、ベッドから降りて机について食べることにした。シーツの上をクロワッサンの欠片で汚したくなかったのだ。
食べ終わってミルクティーを飲んで一息ついて、私はもそもそとベッドに戻る。もう熱は下がっていたし頭痛も治まっていたので、ベッドに入っても眠れない。
お兄ちゃんのことばかり考えてしまう。
あんなに嬉しそうに新しい当主の部屋を見せてくれたお兄ちゃん。
いつか迎える伴侶のことを考えると憂鬱になってしまう私の気持ちは全然見えていないようだった。
お兄ちゃんの傍にずっといたいけれど、お兄ちゃんの隣りに誰かがいるようになる未来は考えたくない。布団の中でごろごろしていると、カミラ先生とビョルンさんがエディトちゃんとコンラードくんを連れてやってきた。
「お誕生日だったのに熱を出してしまうなんて、大変でしたね」
「イデオン兄様、だいじょうぶ?」
「ありがとうございます。エディトちゃん、大丈夫だよ。エディトちゃん、お誕生日おめでとう」
「イデオン兄様もおめでとうございます」
「イデオンにぃに、はやくよくなってね」
もうすっかり元気なのにわざわざお見舞いに来てもらって申し訳ないような気がしていると、カミラ先生たちと入れ替わりにファンヌとヨアキムくんが入って来た。
デシレア叔母上が選んでくれたドレスとスーツを着ているが、それもそろそろ小さくなってしまいそうだ。
「兄様の代わりにわたくしがご挨拶をしたから、安心してね」
「ファンヌがしてくれたの? ありがとう」
ファンヌが貴族たちの前で挨拶をできるようになった。なんと立派になったのだろうと私は感動せずにはいられない。将来はファンヌも立派なルンダール家の補佐となるだろう未来が見えてきた気がして、私は感慨もひとしおだった。
「聞きたかったなぁ」
「『兄のイデオンは熱で寝込んでおりますが、ルンダール領の当主、オリヴェル兄上を幼い頃から守り、助けてきました。きっと素晴らしい補佐となると思います。まだ年若い補佐ですが、兄をよろしくお願いします』って言ったわ」
「すごーい!?」
包丁を振り回してミノタウロスを倒し、シードラゴンと戦ったファンヌからは想像もできないくらいしっかりとした挨拶が出てきて、私は拍手喝さいしていた。
「ファンヌちゃん、かっこよかったんですよ」
「うん、私も見たかった」
「わたくしだって、もう魔術学校に行くんですもの。できるのよ」
誇らしげなファンヌの表情に私も誇らしくなる。
小さな私の妹はいつの間にかこんなに立派になっていた。
「ファンヌ、大好きだよ」
「わたくしも、兄様が大好きよ」
赤ん坊の頃から、ファンヌは可愛い、ファンヌは天使だといい続けてきた気がするけれど、大好きだと言ったのは珍しい気がする。大切な妹でもなかなか「大好き」という言葉は口にしない。
それに対してお兄ちゃんと私は頻繁に「大好き」と言い合ってきた気がする。
お兄ちゃんが友達も同年齢の知り合いもいなくて寂しかったのもあるだろうが、お兄ちゃんにとって私が特別だという自覚はずっとあった。
その特別がどんな特別か私は深く追求したことがない。
お兄ちゃんは今どこにいるのだろう。
何をしているのだろう。
あの「好き」に違う意味があるのならば。
いや、そんなはずはないのだけれど。
それでも、万が一、億が一、何か違う意味があったのだとしたら、私はそれを聞いてみたい。
「ファンヌ、ヨアキムくん、私、ちょっと行って来る」
「どこに?」
「お兄ちゃんのところ!」
私は部屋から走り出していた。
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