28.新年の部屋移動
年越しの夜、私は非常に憂鬱だった。
明日になってしまうと、お兄ちゃんは二人で過ごした部屋を出て当主の部屋に行ってしまう。なかなか寝付けずにいた私をお兄ちゃんは夜中に誘い出した。
子ども部屋の隣りが私とお兄ちゃんの部屋で、その隣りがヨアキムくんの部屋、そのまた隣りがファンヌの部屋。子どもたちの部屋はバスルームにも近い一階に配置されていた。
階段を上って当主の部屋は二階。お兄ちゃんが扉を開けると壁に備え付けの本棚があって、デスクの前は明るい窓になっている当主の部屋が見えた。以前もコサージュ作りのときにビョルンさんに場所を借りたが、そのときとは模様替えがされていて壁紙も張り替えられて絨毯も別物になっていた。
落ち着いた濃いブルーに柄のある絨毯がお兄ちゃんらしい。壁紙は落ち着いたベージュだった。
「書庫の本も古くなっているから、新しい本を買いそろえたんだ。あの図鑑も、あの辞書も、あの法律書も、全部借りに来ていいからね」
デスクには立派な椅子が一つともう一つビロード張りの椅子が置いてある。
「イデオンの椅子だからね。ここにいつでも座って良いよ」
「お兄ちゃんの部屋なのに、私の椅子があるの?」
「イデオンの部屋にも僕の机と椅子を残しておくつもりだよ」
明日になれば全く生活は変わってしまうのかと絶望していた私にとっては、お兄ちゃんの部屋に私の椅子があったということは驚きだった。
絨毯と同じ柄のビロードの椅子は座り心地が良さそうだ。お兄ちゃんは革張りの立派な椅子が置いてある。
「この椅子は代々当主が使っていたんだって。母も使っていたのかな」
革張りの椅子を撫でるお兄ちゃんの表情は柔らかい。
寝室にも案内された。
何度か入ったことはあるけれど、カミラ先生とビョルンさんと使っていた頃とはやはり壁紙も絨毯も取り換えられていて、イメージが全く違うものになっていた。
「サイドテーブルは代々使われていたものを、ベッドは新調したんだ」
「新しいベッドなの?」
「うん、僕の身体が大きいから」
お兄ちゃんの身体に合わせて将来伴侶ができてもゆったりと寝られるだけの大きなベッドを注文したと説明してくれた。お兄ちゃんの伴侶のことを考えるだけで私は胃がちくちくと痛むのだが、それを見せるわけにはいかない。
「リネン類は清潔な白で統一してもらっているんだ」
「お兄ちゃんらしいね」
清潔を好むのはお兄ちゃんが小さい頃にはシャワーを使わせてもらえなくて、臭いとか汚いとか言われた名残なのかもしれない。その分私が一人でお風呂に入って頭が洗えなかったことに気付いてくれて、お兄ちゃんは私とお風呂に入ってくれた。
もうそろそろお兄ちゃんから卒業しなければいけない時期が来ていたのに、ずるずると引き延ばしていたのは私だったのだろう。お兄ちゃんは区切りをはっきりと決めてしまった。
物凄く寂しかったけれど、お兄ちゃんの当主の部屋に私の椅子があること、私の部屋にお兄ちゃんの机と椅子があることを支えに、しばらくは我慢して行こうと思うことができた。
お兄ちゃんに部屋を見せてもらって「いつでも来て良いからね」と言ってもらえても、私はそれがいつまでなのか気になって仕方がなかった。
いつかはお兄ちゃんの隣りに違う相手が座るようになる。そのときには私は弟として身を引かなければいけない。
お兄ちゃんには可愛い娘が生まれる未来が待っているかもしれない。
ベッドに入ってもしばらくそのことを考えて眠れなかった。
新年でもルンダール領の子どもとして薬草畑を見に行くのは当然のことだ。眠いけれどどうにか起きて私はお兄ちゃんとファンヌとヨアキムくんと薬草畑を見に行った。
冷たい風に耳がちぎれそうに凍える。
薬草畑で大人しくしているマンドラゴラたちは元気そうだった。凍るほどには冷たくないので水をかけて、他の越冬する薬草たちも水をかけて世話をする。
世話が終わると朝ご飯を食べて新年の挨拶に向けて着替えだ。
「叔母上は来られないみたいだね」
「オースルンド領を継ぐから、そっちの挨拶があるもんね」
「ビョルンさんとエディトとコンラードは来てくれるみたいだよ」
「ビョルンさんはともかく、エディトちゃんとコンラードくんがこっちで良いの?」
エディトちゃんはカミラ先生の次にオースルンド領を継ぐはずなのだし、オースルンド領の新年のパーティーに出るべきなのだろうが、きっとコンラードくんが聞かなかったのだろう。その様子が目に浮かんで私は納得した。
新年のパーティーでもファンヌとヨアキムくんはお気に入りのデシレア叔母上が選んでくれたドレスとスーツを着ていた。デシレア叔母上はエメリちゃんを抱っこして来ていて、エメリちゃんの周りにはサンドバリ家のひとたちやヘルバリ家のひとたちなど、赤ちゃんを見たいひとたちが集まって来ていた。
「恩赦で兄夫婦が戻ってきても決して屋敷には入れません」
「戻ってきたら必ずルンダール家にお伝えいたします」
アシェル家の当主夫婦がお兄ちゃんの前に出る。
「その言葉を信じて良いのですね?」
「わたくしたちは、ルンダール家に忠誠を誓っております」
まだヨアキムくんのアシェル家の両親が恩赦で釈放されたという知らせは届いていなかったが、ルンダール領では早々に二人を領地に入れない決定をしていた。それでも戻って来ると言うのならば、フーゴさんとアーベルさんに相談して対処しなければいけない。
エレンさんのところに任せてしまったフーゴさんとアーベルさんはどうしているのだろう。
新年のパーティーが終わると私はお兄ちゃんに聞いてみた。
「フーゴさんとアーベルさんがどうなってるか知ってる?」
「エレンさんから何の連絡もないから、問題なくやってるんだと思ってるけど、心配なら見に行く?」
「行こう!」
着替えてファンヌとヨアキムくんも一緒に馬車でエレンさんの診療所を訪ねてみた。クリスティーネさんも働き始めて、診療所は以前よりも広くなっていた。
「ルンダールのお坊ちゃんとお嬢ちゃんが来たわ」
「オリヴェル様、この二人意外と役に立つんですよ。呪いの魔術で死体を扱ってたせいか、血にも抵抗がないし」
「この女、俺と師匠がいちゃついてたら、遠慮なく怒鳴って来るんだよ?」
「仕事中に変なことをしないでください。仕事が終わってお二人の部屋でなら、存分にどうぞ」
癖の強いフーゴさんとアーベルさんもエレンさんは上手に使いこなしている。アーベルさんがフーゴさんを殺して心中しようとしたときに助けて、アーベルさんを怒鳴りつけただけのことはある。さすがエレンさんだった。
「診療所が賑やかになって嬉しいです。仕事は大変だけど、やりがいがあります」
クリスティーネさんも逞しくこの環境で頑張っているようだった。
「もし、アシェル家のヨアキムくんの両親が恩赦で釈放されたら、手を貸して欲しいんです」
「任せて。アタシが二度とルンダール領に入りたくない思いをさせてあげるわ」
どんなことをするのかは怖いが、フーゴさんに頼んで置けば安心だった。
呪いを使うアシェル家のヨアキムくんの両親には呪いに精通したフーゴさんとアーベルさんをぶつけるに限る。
「街も近いし、休みももらえて買い物に行けるし、ここ、気に行っちゃったわ」
「師匠が気に入ったなら、俺もここで暮らせるように頑張ります」
「最初は自給自足って楽しいって思ったのよ。でも牛乳なんて、自分で絞るより買った方が楽で美味しいじゃない?」
荒野での暮らしはフーゴさんにとっては馴染めないものだったようだ。
始祖のドラゴンに誓ってもらったので今は呪いの魔術は使えないが、元は「闇の魔術師」と呼ばれたフーゴさん。それを飼っている領地と思われるのは心外ではあったが、使えるものは使わなくては勿体ない。
何よりも道を間違えたものが、もう一度やり直したいと思ったときに救いのある世界であってほしいという願いが私にはあった。
墓守の家から盗まれて虐待を受けていたフーゴさんが、同じ墓守の家からアーベルさんを盗んだ。そんな悲しい連鎖が起こらないように、二人が幸せになってくれればいい。
「ところで、イデオンお坊ちゃんは、男同士のコト、どこまで知ってるのかしら?」
「へ?」
「あら? アナタってそうじゃないの?」
そうって、どういうことだろう。
男同士のことって何だろう。
目を丸くしていると、お兄ちゃんがフーゴさんを睨み付けた。
「イデオンに妙なこと吹き込まないでください!」
「ナニも知らないなんて、色々悲劇よぉ?」
「イデオンはそれでいいんです!」
お兄ちゃんが私のことでフーゴさんに怒っている。
怒るイメージのないお兄ちゃんの怒りに戸惑いつつも、私はフーゴさんに詳しいことは聞けなかった。
今夜から私とお兄ちゃんは別々の部屋で寝る。
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