18.リハーサルと窓辺の影
披露宴会場でせわしなく使用人さんたちが準備をしている中で、ピアノの椅子に座ったアントン先生と壇上に立つヨアキムくんとファンヌ、壇の下で二人の前に立つエディトちゃんとコンラードくんに私の指揮でリハーサルは朝から続けられていた。
お兄ちゃんとオースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様は打ち合わせに行っているので、カミラ先生とビョルンさんが私たちの練習を見守ってくれている。
集中力が切れそうになると、アントン先生が休憩を入れて、カミラ先生とビョルンさんが私たちに小腹を満たすおやつや美味しいお茶を飲ませてくれて気を紛らわせてくれた。
「明日が本番ですからね。最後のひと頑張りです」
「アントンせんせー、わたし、じょーずにうたえてる?」
「コンラード様は自信を持って良いですよ。その年でこんなに歌える子は初めてです」
「わたくしは、声が出ている?」
「エディト様も声の伸びが良くなってきました。明日が最高になるようにコンディションを整えましょうね」
与えられる桃を大きなお口を開けて食べさせてもらいながらコンラードくんとエディトちゃんは大きな目を煌めかせていた。
「ここに来て変更というのも大変かもしれませんが、最後、ヨアキム様とファンヌ様もイデオン様と同じ一オクターブ上の音を出せますか?」
「一番最後を高くするのね!」
「会場が今はひとがいないので響きますが、ひとが入ると音を吸収します。イデオン様だけの声ではフィナーレが美しく響かないかもしれません」
「僕、やってみます!」
「わたくし、できると思うわ!」
会場で歌ってみるまでは本当に何も分からない。最後まで妥協せずに調整をするアントン先生を私たちは長い練習期間で完全に信頼しきっていた。アントン先生と私たちなら素晴らしい合唱を作り上げられる。
春から練習を続けて来た私たちには一体感があった。
休憩を終えてもう一度歌う。最後の部分だけ急に一オクターブ上げるので、ファンヌもヨアキムくんも最初は音を外したり、声がひっくり返ったりしていたが、数回歌うと落ち着いてきた。
「エディト様とコンラード様はそのまま音を保って」
「はい!」
「このままの音で!」
「ヨアキム様とファンヌ様はイデオン様の声をよく聞いて。出だしが間違ったと思っても、四小節伸ばしますから、途中から合わせられれば大丈夫です。最後を最高の状態で終えましょう」
お昼寝もしないでお弁当を食べた後も練習していたコンラードくんは、おやつの前には眠くて疲れて座り込んでしまった。アントン先生もそこで練習を切り上げた。
「明日は最高の舞台にしましょう」
ありがとうございましたと頭を下げて、顔を上げるとコンラードくんはカミラ先生に抱っこされて眠っていた。おやつの間コンラードくんを眠らせておいて、私たちは戻って来たお兄ちゃんやお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様と合流した。
みんなでお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様の部屋でおやつを食べる。コンラードくんはお祖父様のベッドで眠らせてもらっていた。
「全員で祈りを捧げたり、四公爵のそれぞれからお祝いの言葉を述べたりするけど、イデオンは僕が立つときに立って、僕が座るときに座ればいいからね。僕の動きだけ見ててね」
「分かったよ、お兄ちゃん」
「イデオンくんたちの歌を国王陛下も楽しみにしているそうですよ」
「こーちゃんとわたくしも?」
「コンラードとエディトもですよ」
お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様に言われてますます気合が入る。
明日の衣装を用意して、早めに夕食を食べて私たちはその日は早く眠った。夜中にヨアキムくんに揺り起こされて目を覚ますまで、私はぐっすりと眠っていた。
「イデオン兄様、窓辺に誰か立っている気がするんです」
「ふぇ!? おにいちゃーん!?」
リュックサックからランタンを取り出して灯りを付けながら、私は半泣きでお兄ちゃんを揺り動かす。眠っていたお兄ちゃんは目を覚ました。
「どうしたの?」
「ま、窓辺に、誰かいるって……」
「イデオン、ヨアキムくん、下がってて」
お兄ちゃんが窓辺に寄って恐る恐るカーテンを開けると、そこに白い影が浮かび上がっていた。
「お母さん……!?」
「え!?」
「黒い髪に僕に似た顔……お母さんですか? 僕、幽霊でも良いから会いたいって思ってたんです」
「ヨアキムくん、行っちゃだめ!」
私が止めている間に白い影は消えてしまった。
「王城にはゴーストの噂があるからそれだったのかも」
「ぎゃー! お兄ちゃん、怖い!」
「僕のお母さんじゃなかったのかなぁ……」
怖がってお兄ちゃんに飛び付いてしまう私と違ってヨアキムくんはしっかりとそのゴーストを見ていたようだった。私は怖くて直視できなくてどんな姿かも朧気にしか分かっていない。
「死者に話しかけちゃだめだよ、ヨアキムくん。連れて行かれるかもしれない」
「お母さんかと思ったんです……」
「気持ちは分かるけど」
へばり付いた私を抱き締めながらお兄ちゃんは冷静にヨアキムくんに言い聞かせていた。
その後は怖くて私はヨアキムくんに一緒にベッドで眠ってもらった。ヨアキムくんは「お母さん……」と呟いていたようだった。
もう一度目が覚めると朝で式典の準備に入らなければいけない。
朝ご飯を食べて着替えを終えると、廊下でカミラ先生とビョルンさんとファンヌとエディトちゃんとコンラードくんが待っていてくれた。ヨアキムくんはカミラ先生の元に預ける。
「行ってらっしゃい、イデオン兄様、オリヴェル兄様」
「兄様、オリヴェル兄様を守るのよ!」
「守らなきゃいけない事態が起こること前提なの?」
「いつでも警戒は怠りなく!」
小さい頃からだがファンヌは家族を守ることに目覚めていた。国王陛下の結婚の式典という警備が厳重な中で何かが起きることはないだろうが私はリュックにまな板とマンドラゴラと南瓜頭犬は入れておいた。
神殿まで行く馬車はオースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様と同乗することになったので、リラックスできた。
「お手洗いに行きたくなったら、遠慮なくオリヴェルに言うんですよ」
「そんなに私は小さくないですよ」
「大人でも緊張する場ですからね」
二人とも私が小柄だから14歳だということを忘れているのではないだろうか。
神殿に着くと前の方に私とお兄ちゃんとお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様は立った。お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様の隣りにはノルドヴァル領の領主夫婦がいて、その隣りにはスヴァルド領領主夫婦がいる。
高いドーム状の天井に響くパイプオルガンの音色と共に国王陛下と伴侶のマルクス・ルンベックさんが出てくる。神官の前に出て二人は私たちの方に向き直った。
オースルンド領の純白の織りのドレスとヴェールを身に纏った国王陛下と、同じくオースルンド領の織りの白いタキシードを身に着けたマルクスさん。国王陛下はルンダール領のアバランチェのブーケを持って、マルクスさんの胸にはアバランチェのブートニアが飾られている。
目が眩むほどの白い衣装と花に私は二人に見惚れてしまった。
「オルソン王国の全ての国民に誓う。この国をマルクスと共に支え、素晴らしいものとし、マルクスと共に生涯を歩んでいくことを」
「国王陛下と共に生きることを誓います。どんな苦難に立たされようとも二人は共にあることを」
誓いの言葉に割れるような拍手が巻き起こる。
国王陛下がドレスの裾を捌いて、膝をついた。
「国王陛下が国民に頭を下げるなんて!」
貴族や王族の中から声が上がる。
マルクスさんもそれに倣って深く頭を下げていた。
この映像は立体映像として国中に配信されている。
国民に頭を下げた国王陛下。その胸中はどうだったのか。
私には分からないが、国のために犠牲になっていた国王陛下がこの結婚で個人としての幸せを少しでも取り戻せたら良いと思っていた。
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