16.コンラードくんの5歳のお誕生日
発表会も無事終わったが、私たちの歌の練習は続いていた。
親しいひとたちにルンダール領の音楽堂のお披露目も兼ねて発表会をしたのだが、本番は国王陛下の結婚式で歌うことだった。
客席で聞いていたひとたちは誰も指摘しなかったし、アントン先生の言った通り楽譜を持って細かくチェックしているわけではないから、私が出だしで躓いたことは誰も気付いていないようだった。
けれどアントン先生がそれに気付かなかったわけがない。
「指揮をするとどうしても歌だけに集中できませんからね」
「本番ではちゃんと歌えるようにしたいと思います」
「そのために、伴奏がそこまで来たら自然と歌が口をついて出るようになるまで、身体に覚え込ませましょう」
これまでの練習でも分かっていたが、アントン先生は失敗を責めない。褒めるところはたくさん褒めてくれる。しかし、特訓の手は決して緩めなかった。
ファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんとコンラードくんに付き合ってもらって、私は身体が覚えるまで出だしを歌わされることになった。何度も何度も歌っていると、自分がちゃんと歌えているのか分からなくなってくる。この曲はなんだったっけ、なんて混乱してくることもある。
それを乗り越えて私はアントン先生に合格をもらうまでに上達した。
「明日からオースルンド領に行かれるのですよね。自主練習をしておいてください。次にお会いするときは、王都でリハーサルですね」
夕食前までみっちりと練習をした夏休みの終わりに近付いた頃、帰り際にアントン先生はそれぞれに気を付けておくことを伝えてから私たちを応援してくれた。
「ここまで来たら、実力が付いていますので、その実力で頑張りましょう」
「本番もよろしくお願いします」
「オースルンド領での夏休みを楽しんで」
爽やかに手を振って馬車に乗るアントン先生を私は見送っていた。
発表会の日に私はエリアス先生と話す機会があった。そのときにエリアス先生はアントン先生のことをとても評価していた。
「神聖魔術の使い手としては私の方が才能が上ですが、純粋な声楽家としての実力はアントン様が非常に高い。魔術学校で声楽の授業がもっと盛んになれば、アントン様を講師に迎えられるのですけれどね」
声楽的なことはアントン先生の方がエリアス先生よりも高度な技術を持っていて、それを教える実力もある。神聖魔術で歌を使う私のような人材には、エリアス先生の授業だけでは足りないこともあるようだった。
魔術学校では美術や音楽は貴族の道楽と思われていて、領地を治めるために必要なものと考えられないので、選択する生徒が非常に少ないのが現実だ。フレヤちゃんもダンくんも美術や音楽は最初から選択肢に入れていない。
私は神聖魔術で声楽をやっているのもあって、音楽というものがどれほどひとの心を動かすものかを知っている。異国の意味の分からない歌ですら、心を込めて歌えばお兄ちゃんに何か伝わるものがあった。
そういう経験をたくさんのひとにして欲しいからこそ、音楽堂の補修にも力を入れて発表会でお披露目をしたのだが、まだまだルンダール領で音楽が気軽に楽しめるほどまではひとびとは豊かになっていないようだ。
これからのルンダール領の課題とも言えるだろう。
アントン先生の夏休み最後の練習を終えると、私たちは慌ただしくオースルンド領に移動した。残りの数日しかない夏休みをオースルンド領で過ごすのだ。
これはコンラードくんの願いだった。
「わたしのおたんじょうびは、ディックくんと、イデオンにぃにと、オリヴェルにぃにと、ファンヌねぇねと、よーにぃにと、えーねぇねと、みんなでおいわいしてほしいの」
コンラードくんのお誕生日をお祝いしたいという思いはオースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様も同じだっただろうから、どうせならオースルンド領でみんなでお祝いしよう。そのついでに練習ばかりだった夏休みの最後の数日をゆっくり過ごそうということになったのだ。
「あーちゃんにしょうたいじょう、かいてもいい?」
「きっときてくれるわ。ミカルくんにもかきましょう」
ベルマン家からもお誕生日にはダンくん、ミカルくん、アイノちゃんが来ることになっていた。
歌の練習で忙しかったので私もお兄ちゃんもファンヌもヨアキムくんも、コンラードくんのお誕生日お祝いを用意できていない。困った私たちに声をかけてくれたのがエディトちゃんだった。
「おやしきのちゅうぼうを借りて、ケーキをつくりましょう?」
コンラードくんの誕生日にエディトちゃんは以前もケーキを作ったことがある。ボウルをひっくり返してしまったが、誰も責めずにクリームとクリームチーズをベルマン家にまでもらいに行って、仕上げられたことがエディトちゃんの自信になっているのだろう。
材料を用意してもらってあのときと同じアイスクリームケーキを作る。
クリームとクリームチーズにジャムを混ぜて冷やし固めて、スポンジケーキの上に乗せたアイスクリームケーキは、今回は失敗せずに作れた。
夕飯のデザートにアイスクリームケーキを持ってコンラードくんの前に置くとお手手をぱちぱちと叩いて喜んでくれる。
「おっきーケーキ。ディックくんもたべられる?」
「ディックも食べられますよ。もう食べたいみたいです」
「みんなのぶん、きってください」
身を乗り出してテーブルの上に乗ってしまいそうなディックくんをリーサさんが止めていた。お誕生会に呼ばれたダンくんとミカルくんとアイノちゃんの分も切り分ける。
さすがに全員分は無理だったので子どもだけで分けることになったが、それでもファンヌ、ヨアキムくん、エディトちゃん、コンラードくん、ディックくん、ミカルくん、アイノちゃんと七人もいた。大きなケーキも八等分にすると小さくなってしまう。
残った一切れを私はカミラ先生のところに持って行った。
「今日はコンラードくんのお誕生日です。カミラ先生が一生懸命コンラードくんを産んでくれた日でもあります。カミラ先生にこのケーキを食べて欲しいです。良いよね、お兄ちゃん、ダンくん?」
「もちろんです。叔母上、食べてください」
「カミラ様、どうぞ」
ケーキの乗ったお皿を見てカミラ先生が涙ぐんでいる。
「産んだ私にくれるだなんて……なんて良い子たちに育ったんでしょう。喜んで食べさせてもらいますね」
「ははうえ、いっしょ」
「ええ、コンラードのケーキ、いただきます」
涙ぐむカミラ先生にビョルンさんがハンカチを渡していた。
夏休みの終わりまで残り少し。二日間はオースルンド領で過ごして、それからルンダール領に戻って過ごすことになっていた。
客間にお兄ちゃんと二人で泊って、宿題の見直しをしていく。私は歌で忙しくて、お兄ちゃんは執務で忙しくて、ゆっくりと話す時間もなかった。
「イデオン、この夏は本当によく頑張っていたね」
「お兄ちゃんも、私がいないのに執務、大変だったんじゃない?」
ちょっとふざけて言ってみると、お兄ちゃんが真顔になる。
「隣りにイデオンがいないのに話しかけちゃったんだ」
「嘘!?」
「それを、叔母上とビョルンさんに聞かれてて、『オリヴェルも寂しいのですね』とか言われて恥ずかしくて穴を掘って埋まりたかったよ」
その場面には出くわさなかったけれど、私もお兄ちゃんがいないのにカスパルさんの前で「お兄ちゃん」と話しかけてしまったことがあるだけに、その恥ずかしさは理解できた。それと同時にお兄ちゃんにとって私がそれだけ自然に傍にいる相手なのだと分かってにやけてしまう。
「全部終わったら、お隣りの椅子に座るから、椅子は残しておいてね」
「国王陛下の結婚式で立派に歌えるように応援してるよ」
発表会もして、練習も積み重ねてきた。
体が覚えるくらいに出だしも特訓した。
残りは本番だけだった。
夏休みが明ければ秋が来る。秋の日の国王陛下の結婚式は魔術学校も祝日になっているし、リハーサルでも魔術学校に休むことは伝えてあった。
間近に迫る大イベントに私は緊張半分、期待半分だった。
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