11.夏休みの特訓
夏休みに入ってアントン先生の指導は毎日行われて、まだ小さなコンラードくんやエディトちゃんには長時間になるので厳しくもあったけれど、上手にアントン先生が二人がやる気になるように褒めつつ、休憩を入れて練習させてくれるので、飽きずに練習は続いていた。
「あーちゃんにほめてもらうの」
「アイノちゃんもミカルくんもいっぱいほめてくれるとおもうわ」
「そうですね。私もこの年でこれだけ歌える子どもを指導したことはありません」
「わたし、じょーず?」
「わたくし、すごい?」
「コンラード様はとてもお声が大きくて素晴らしいし、エディト様は音程が正確ですごいですよ」
冷たい緑茶で喉を潤して果物を食べて小腹も満たしたコンラードくんとエディトちゃんは、再び表情を引き締めて音楽室に向かうのだった。休憩時間にお茶と少しの摘まむおやつがあるのも良かった。
小さい子は胃袋が小さいので一度にたくさん食べられず、すぐにお腹が空いてしまう。歌うのは腹筋を使って声も出して、涼しい魔術の風が吹く部屋にいるのに暑くて汗びっしょりになるくらいの物凄い運動量だった。それをこなすためのエネルギーをみんなこまめに補給しつつ練習しないといけなかった。
「わたくし、今年の自由研究の課題は歌にします」
「音楽堂で過去にどんな演目が開催されたのかも調べてみます」
ファンヌとヨアキムくんは今回の経験を勉強にも活かすようだった。自由研究をどうしていいか分からずに相談に来ていた頃とは違って、自分でテーマを見つけられる二人をすごいと思う。
お兄ちゃんが私の勉強を見てくれたように、私は歌の練習の合間に自分の勉強もしながらファンヌとヨアキムくんの勉強も見ていた。
「そろそろお昼の時間ですね。今日もみなさん、よく頑張りました」
「ありがとうございました、アントン先生」
早朝に薬草畑の世話をして、朝ご飯を食べてから昼ご飯までの間、休憩を挟みつつ練習をする。それから休憩を挟んでおやつから夕食まで練習をする日もあれば、残りの時間は自主練習の日もあった。
その日はお昼ご飯までの練習の日で、アントン先生を見送ってから手を洗ってお昼ご飯の席に着く。朝から張り切っていたコンラードくんはスープのお皿に顔を突っ込みそうなくらい眠そうだった。
まだ幼年学校に入学していないコンラードくんはお昼ご飯の後にはお昼寝をする。お昼寝の間は子ども部屋は使用人さんに任せて、私たちは音楽室で練習をしたり、宿題をしたりしていた。
エディトちゃんはファンヌの部屋でヨアキムくんと三人で勉強しているようだ。
お昼ご飯を食べ終えて束の間の休息。執務室のお兄ちゃんの隣りの席に座って、私はお兄ちゃんと二人だけの時間を過ごしていた。カミラ先生とビョルンさんは休憩を取って、コンラードくんのお昼寝のために絵本を読んだり、エディトちゃんの勉強を見に行ったりしている。
「お兄ちゃん、セシーリア殿下は私じゃなくてランナルくんのことが好きなんだと思うんだ」
前に話したときにはランナルくんがセシーリア殿下のことが好きだと思っていたが、それはそうでも、セシーリア殿下の方もランナルくんが好きなのかもしれないと私は思い始めていた。
「ランナルくんはセシーリア殿下を間違いなく好きだと思ったけど、セシーリア殿下も?」
「うん、ランナルくんに見せつけるために私を膝に乗せたでしょう? セシーリア殿下はランナルくんに告白して欲しくて、私との婚約解消を渋ってるんじゃないかなぁ」
セシーリア殿下の話題になるとお兄ちゃんはなぜか不機嫌になるのだが、今日は真面目に聞いてくれている。
「可愛いイデオンをそんな風に使うなんて許せないな」
可愛いイデオン。
お兄ちゃんにとって私は14歳になっても可愛いようだ。
多分お兄ちゃんも私の名前の前に「可愛い」を付けたことを気付いていないくらい自然に出て来た。
他の相手だったら「可愛いじゃなくてカッコいいがいいなぁ」と言ってしまいそうだけれど、お兄ちゃんにとって私が「可愛い」存在であることはなぜか嬉しい。
お兄ちゃんが私のために怒ってくれていることも嬉しい。
「自分から告白できないのかなぁ。国王陛下の姉殿下だから難しいんだろうか」
「どうだろうね。年上から年下の相手に告白するって結構勇気がいるものだと思う」
恋愛の話がお兄ちゃんの口から出て私は身を乗り出してしまう。
年上の相手から年下の相手に告白するのは勇気がいる。お兄ちゃんがそう思っているのならば、私から告白した方が良いのだろうか。いや、そんな大胆なことはできない。お兄ちゃんの「可愛い」弟でいるためには私の気持ちは封じておかなければいけない。
お兄ちゃんは私とは結ばれない。それはお兄ちゃんに娘ができる夢が告げていた。あれがただの夢で未来でなければいいのに。
「年上だと色んなしがらみがあるし、意地もあるからね。恋愛は惚れた方が負けみたいな風潮がないとも言えないし」
続けるお兄ちゃんの言葉に、それなら私は完敗しているとしか思えなかった。
年上の意地で告白できないセシーリア殿下が、ランナルくんを焦らせるために私との婚約を破棄してくれないのならば、私は完全に当て馬にされているだけではないか。
「理不尽」
ほっぺたを膨らませるとお兄ちゃんが人差し指で私の頬を突いた。
「イデオンが好きなひとは誰かをはっきり言えば、セシーリア殿下も偽りの婚約を続けられないと思うんだけど」
「好きなひとをはっきり……言えないよ!」
そのひとは私の隣りで私のほっぺたを突いています、なんて言えるはずがない。
「僕も気になるなぁ。イデオンの好きなひと」
「な、内緒!」
「僕には言えない相手?」
真剣な声で問いかけられて私は顔が熱くなってくるのを感じる。
お兄ちゃんだよ!
言いたいけど言えないもどかしさと、お兄ちゃんが間近から私の顔を覗き込んでくる近さ。唇に精悍な頬に黒い睫毛に目が行ってしまう。
「歌の、話なんだけど」
露骨に話題を変えた私にお兄ちゃんはそれ以上追及してこなかった。
「音楽堂が埋まるくらいの観客を呼びたいんだけど、音楽堂が実際にどれくらいの広さか見ておきたいんだ」
「補修工事をしてるけど、みんなで見に行ってみる?」
「工事中で邪魔じゃないかな?」
「内部はほとんど傷んでないっていう話だから大丈夫だと思うよ」
話しているとカミラ先生とビョルンさんが執務室に戻って来た。
「コンラードったら、眠いのにぐずって絵本を四回も読まされましたよ」
「エディトは自由研究をどうするか悩んでいたみたいで」
大変そうなのにコンラードくんの元に行ったカミラ先生と、エディトちゃんの元に行ったビョルンさんは優しい表情をしていた。二人とも娘と息子が可愛くてたまらないのだろう。
こういう顔を私も見たことがある。
それは私の両親ではなくて、お兄ちゃんだ。一人で眠れないとお兄ちゃんの部屋に行った私に本を読んでくれて、眠れるまで添い寝をしてくれたお兄ちゃん。
ずっと優しい眼差しに私は守られてきた。
カミラ先生とビョルンさんがルンダール家に来てからは、二人もお兄ちゃんを含めたみんなを優しい眼差しで見守ってくれていた。
エディトちゃんとコンラードくんが産まれて育ってから分かることがある。私たちも大事にされていたのだと。同じように私もエディトちゃんやコンラードくんを大事にしたいと思った。
「叔母上、ビョルンさん、お昼寝からコンラードが起きてきたら、おやつを食べて出かけませんか?」
「どちらへですか?」
「音楽堂の実物をイデオンが見て確かめておきたいと言っています」
お兄ちゃんが説明してくれるのに、私も口を開く。
「招待状はかなりの数みんなで書いたんですが、音楽堂を埋めるだけの観客が来てくれるのか、音楽堂はどれくらいの広さなのか、実際に見ておきたいんです」
「補修工事の進み具合を確かめに行かなければいけませんでしたね」
「ちょうどいい視察になるでしょう」
カミラ先生もビョルンさんも賛成してくれて、おやつの後は音楽堂に行くことに決まった。
執務室から出て、ファンヌの部屋で勉強しているエディトちゃんとヨアキムくんとファンヌにそのことを告げると、宿題を片付けて着替える準備を始めていた。
「音楽堂は暑いかもしれないわ」
「修理の途中だから、部屋を冷やす魔術がかかってないかもしれませんね」
「うわぎ、ぬげるようにしなくちゃ」
出かける支度を始めた三人に、私も部屋に戻って着替えを準備した。
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