8.国王陛下からの依頼
神聖魔術の才能があって訓練を受けた魔術師は王都でも非常に少ない。
ルンダール領、オースルンド領、ノルドヴァル領、スヴァルド領という四公爵の領地では更に少ない。王都ですら二桁いるかいないかくらいなのだから、四公爵の領地では数名いるだけくらいになってしまう。
アンデッドと呼ばれるものはゴースト系は普通の人間や魔術師には触れることもできず、一方的に攻撃されてしまう。グールやゾンビ系は物理攻撃が効かないわけではないが、肉塊にするまで叩きのめさないと頭だけでも飛び付いてくることがある。その他にもアンデッドには色々な種類があるのだが、形のないものもあるものも、結局は神聖魔術でないと完全に祓うことができない。
祓う方法としては、私は歌を使うのだが、魔術の光の糸を繊細に練り上げて粉砕したり、神聖な光の魔術で塵に変えたりする方法があるようだった。
エリアス先生に神聖魔術について習えば習うほど、私は自分がお化けが怖くて堪らないのだと理解する。頭だけで噛み付いてくるグールやゾンビに出会ったら、きっと私は気絶してしまう。
「イデオンくんはアンデッドを祓う能力があるのだから、恐怖に打ち勝つか、恐怖の中でも支えてくれる人物を探さなければいけませんね」
「支えてくれる人物ですか?」
「イデオンくんが、このひとが隣りにいれば安心してアンデッドを祓えると思えるひとのことです」
エリアス先生に言われた一番に浮かんだのはお兄ちゃんだった。お兄ちゃんが隣りにいてくれたら、私は泣きながらでも歌ってアンデッドを祓える。
「『闇の魔術師』の放った呪いでゴーストに憑りつかれたスイカ猫を助けたことがあります」
「もう実践を行ったことがあるんですね。それはすごい」
「エリアス先生もアンデッドを祓ったことがありますか?」
二人きりの授業なので遠慮なく質問すればエリアス先生は苦笑していた。
「アンデッドが関わる事件の方が少ないのですよ。特にルンダール領のような平和な領地では」
王都では『闇の魔術師』が何件も呪いで貴族にアンデッドを送り込んでいたが、そういう事件はルンダール領ではほとんど起こらないようだ。話を聞いて私はほっと胸を撫でおろす。
アンデッドの事件が日常茶飯事で起きていたら、ルンダール領の神聖魔術を使える魔術師は、アントン先生とエリアス先生と私くらいだから呼び出されまくって、毎日泣かなければいけなかっただろう。
「怖くて、泣いてしまうんですよね……。私、この年になっても泣き虫なんです。恥ずかしいです」
「イデオンくんは感情豊かなのだと思いますよ。その感情が歌にも込められて、異国の言語の分からない歌でも相手に気持ちが通じたのではないでしょうか」
歌を歌うに当たって感情豊かであることは大事だとエリアス先生は言ってくれた。14歳になっても泣き虫な私を笑うようなことはしなかった。
授業が終わって馬車で揺られてお屋敷に帰ると、汗だくでまずシャワーを浴びる。着替えて部屋に戻ると、お兄ちゃんの机の上に本が置いてあった。
「辞書?」
大陸の言語の辞書だと分かったがなんでそんなものが置いてあるのかと辞書を持ち上げると、その下に置いてあった白い紙がひらひらと床に舞って落ちた。拾い上げると、楽譜だと分かる。
「う、嘘!?」
書き込みがされている転写された楽譜は、私が去年のお兄ちゃんの誕生日に歌った曲が書かれていた。そういえば私の誕生日にお兄ちゃんは私に異国の曲の楽譜集をくれた。わざわざ輸入したものだと聞いたが、あの中に入っていた曲の中にこの曲もあった。
お兄ちゃんはこの曲を辞書で訳そうとしている。
私が密やかに込めた想いを暴こうとしている。
「イデオン、帰ってたの?」
「ひゃ、ひゃい!」
廊下からお兄ちゃんの声が聞こえて私は慌てて辞書の下に楽譜を戻した。ちゃんと元通りに戻せたかは分からないが、お兄ちゃんが気付かないことを願う。それと同時に私はお兄ちゃんが私が歌った曲の歌詞を訳そうとしていることに気付いてしまったことを隠さなければいけない。
聞かれても「珍しい旋律だからこの曲にした」としか答えないことを心に決めてお兄ちゃんの前に出ると、お兄ちゃんは私が考えているのと全く違うことを口にした。
「国王陛下から正式な依頼が来てるんだ。執務室に来て、書類を見てくれる?」
「国王陛下から?」
なんの依頼だろう。
またアンデッドが出たとか、前国王の説得を手伝って欲しいとかだったら、遠慮したいところだが、ルンダール領の領主の弟である私にそんな選択権はない。
お兄ちゃんの隣りの椅子に座るとお兄ちゃんが書類を手渡してくれる。
書類には「国王陛下の結婚式での歌の披露」という内容の文書に、楽譜が付いていた。
「私が国王陛下の結婚式でお祝いの歌を歌うの?」
「神聖魔術が使える歌い手が、王都では高齢になっているらしいんだ。それで、イデオンが歌えることをセシーリア殿下は知ってるからね」
「セシーリア殿下の前で、私、泣きながらボロボロで歌った気がするんだけど」
綺麗に歌えた記憶はない。恐怖で震えながら涙を流し、鼻水で鼻声で必死に歌った神聖魔術の歌。あれをセシーリア殿下が国王陛下に推薦したのだったら恥ずかしすぎる。
「イデオンを婚約者としてセシーリア殿下が隣りに立たせない代わりに、どうしても目立つことをさせたいみたいだね」
「私、目立ちたくないなぁ……」
目立っても良いことなど何もない。セシーリア殿下と偽りの婚約をしたせいで暗殺されかけた私の実感の篭った言葉に、お兄ちゃんは私の髪をくしゃくしゃと撫でる。
撫でられた!
久しぶりに撫でられた感触に頬が緩むのは仕方がない。
お兄ちゃんとの触れ合いに私は飢えていた。
「あ、ごめん、つい」
「ううん、嬉しい……」
お兄ちゃん、大好き。
恋心を自覚していない無邪気な時期ならば言えただろうけれど、そこまでは言えずに飲み込んだが私は頬を染めてにやけていただろう。
「歌い終わったらすぐに僕のところに戻ってきていいようにしてもらうから」
「伴奏がいるよね? 練習にも王都に行かなきゃいけないんじゃないかな?」
「そのときも全部僕が一緒に行くよ」
夏休みには国王陛下の結婚式で歌う歌の練習で忙しくなりそうだったが、お兄ちゃんもずっと一緒ならば安心する。
それにしても、国王陛下の結婚式で祝福の歌を歌うことになった私の正直な感想は、「名誉だ」とかそんなものではなくて、「面倒だ」だった。楽譜を見るとかなり複雑な曲だということが分かる。
「古代語だよね……難しそう」
「魔術学校の先生に相談してみれば?」
「うん、そうする」
夏休みまでの間はエリアス先生に指導してもらってこの歌を歌うことにしようと私は決めていた。
「ただいま戻りました」
「イデオンくん帰っていたんですね」
オースルンド領でエディトちゃんとコンラードくんのお迎えに行っていて戻って来たカミラ先生とビョルンさんが執務室に入って来る。久しぶりにお兄ちゃんと二人きりで話したし、撫でてもらった時間がなくなってしまって、ちょっと寂しい気がしたが、私はお兄ちゃんのデスクに宿題を広げておやつの時間まで勉強することにした。
「イデオンくんが国王陛下の結婚式で歌うことになった話はしましたか?」
「楽譜も渡しました。国王陛下も……多分、セシーリア殿下の発案でしょうが、強引ですよね」
「オリヴェルはイデオンくんが可愛いから、イデオンくんの味方なんですね」
「イデオンは大人しくて恥ずかしがり屋なんです」
カミラ先生とお兄ちゃんが話しているのが聞こえてくる。
お兄ちゃんは私が大人しくて恥ずかしがり屋だと思っているようだ。それは外れてはいない。私は自分のことを大人しいとは思わないけれど、ダンくんやミカルくん、コンラードくんを見ていると、周囲から見たら私は大人しい方なのだろうなと理解はできる。
「ちょっと、音楽室に行ってきます」
宿題が意外と早く終わったので楽譜を持って音楽室に行くと、ファンヌもヨアキムくんもエディトちゃんもコンラードくんも入って来た。音楽室は特に私一人が使うわけでもないので、誰でも出入りは自由だ。
ピアノに向かって楽譜を譜面台に置いて音を取って旋律を歌っていると、ファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんとコンラードくんも寄ってきて一緒に歌いだす。
一人で歌うのは正直面倒だとしか思わなかったけれど、ファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんとコンラードくんも一緒に歌ってくれると微笑ましくて楽しくなる。
「ルンダール合唱団を作ろうか?」
「わたくし、入れるの?」
「僕もですか?」
「わたしも?」
「わたくしも?」
子どもたちで構成された合唱団で歌を歌ったら結婚式は盛り上がるのではないだろうか。それだったら私も一人ではないし、楽しく歌えそうな気がする。
「国王陛下の結婚式で歌うんだから、たくさん練習しないとだめだよ?」
「わたくし、頑張ります!」
「僕も、一生懸命歌います」
「わたし、うたう!」
「わたくしもいっぱい練習する!」
ファンヌもヨアキムくんもエディトちゃんもコンラードくんもやる気十分だった。
いつかルンダール家とオースルンド家を担う子どもたちが歌う祝福の歌。リードするのは神聖魔術を込めた私の歌ならば、充分お祝いになるのではないだろうか。
「お兄ちゃん、カミラ先生、ビョルンさん、聞いてください」
いいことを思い付いたと私はおやつの席でお兄ちゃんとカミラ先生とビョルンさんに報告することにした。
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