6.向日葵駝鳥の畑
翌日は朝から長袖長ズボンの作業着を着て、麦わら帽子を被って、セバスティアンさんの息子夫婦のお宅にお邪魔した。ヨーセフくんが私とファンヌの先に立って案内してくれる。
「これ、とーちゃんとかーちゃん」
「ヨーセフ、口のきき方に気を付けなさい。その方はルンダール領の次期当主なのですよ」
「じきとーしゅってなんだ?」
「もう、勉強しないから。お恥ずかしい。私たちは柵の修理がありますので、父とヨーセフと自由に見て行ってくださいね」
向日葵駝鳥が逃げ出さないように、柵を修理するヨーセフくんのお父さんとお母さんに、お兄ちゃんは興味津々で近付いて行った。私とファンヌも当然一緒に行く。
「柵の修理を手伝わせてもらえますか?」
「よろしいのですか?」
「オリヴェル様の勉強になるだろうから、させてあげてくれるか?」
セバスティアンさんの口添えも得て、お兄ちゃんは柵の修理を手伝った。金網の柵の一部が破れて、杭が倒れているのは、何か害獣が来たことを示している。
杭を立て直して、金網を張り直し、破れた部分を針金で補強するのを、私はじっと見ていた。お屋敷は街中にあるので裏庭の薬草畑には害獣は来ないが、他のひとたちは害獣にも悩まされているのだ。
「なにがきますか? いのしし? くま?」
「害獣のことですか? 鹿や猪ですね。熊は出ません」
「いのちち、わるい」
「柵を破るのはほとんど猪ですからね」
怒っているファンヌに、ヨーセフくんのお父さんが同意する。猪が来たときのために、小さな拳を握り締めるファンヌに、お兄ちゃんが説明していた。
「害獣は、昼間はほとんど来ないんだよ。来るのはひとが寝静まった夜」
「わたくち、よるは、ねむたい」
「みんな眠ってるから、柵で守るんだ」
金網だけでなくとげとげのついた針金を柵に巻いて、猪や鹿が近寄れないようにして、柵の補強は終わった。案内してもらって、向日葵駝鳥の畑に行くと、大きな花が顔になった一本足の駝鳥に見える、植物のような動物のような不思議なものが、畑を駆け回っていた。
足が速いので捕まえられそうにないが、近くで見たい欲はある。
「わたくち、ちゅかまえまつ」
「え? むりだよ! けられたら、いたいんだぞ」
「わたくち、ちゅよい!」
自信満々で向日葵駝鳥の群れの中に走り込んでいくファンヌを、ヨーセフくんが追いかける。これは、危ないかもしれない。
「お嬢様が……お戻りください」
「あぶないのは、ヨーセフくんです。つれもどしにいってきます」
走って追いかけた私は、間に合わず、ヨーセフくんが向日葵駝鳥に蹴られて吹っ飛ぶのを目の当たりにしてしまう。器用にファンヌは向日葵駝鳥の脚の間をすり抜けて、目を付けた一匹を追い掛け回す。
「ヨーセフくん、だいじょう……うわー!?」
ヨーセフくんを助け起こそうとした私も、向日葵駝鳥の群れに踏み潰されてしまった。痛くて泥だらけで情けなくて、半泣きでお兄ちゃんのところに戻ってくると、泥をはたいて、抱き上げてくれる。
「危ない中、ヨーセフくんを助けて偉かったね」
「いたかった……おにいちゃん」
ひしっとお兄ちゃんに抱き付いて甘えてしまっても、私はまだ5歳なので仕方がなかっただろう。ヨーセフくんは半泣きで洟を垂らして、お母さんの服をぎゅっと掴んでいる。
ずびずびと洟を啜るヨーセフくんと、抱っこされて慰められる私の目の前に、信じられない光景が広がった。
見事に一匹の向日葵駝鳥を捕まえたファンヌが、その葉っぱになっている尾羽を掴んでよじ登り、しっかりと首に腕を回して、背中に跨ったのだ。向日葵駝鳥の方も驚いたようで、跳ねたり、走ったりして、ファンヌを振り落とそうとする。しかし、ファンヌはしっかりと向日葵駝鳥の首にしがみ付いて、離れなかった。
疲れて来たのか、向日葵駝鳥の動きが鈍くなる。
「にぃたま、オリヴェルおにぃたん、ちゅかまえたー!」
誇らしげに向日葵駝鳥に乗って戻って来たファンヌ。乗られた向日葵駝鳥ももう諦めの境地に入っていて、言うことを聞くようになっていた。他の向日葵駝鳥は群れになって、ファンヌの乗った向日葵駝鳥から離れて避難している。
「すごいね、ファンヌ。これでしっかり観察できる」
「わたくち、しゅごい!」
向日葵駝鳥のスケッチをして、お兄ちゃんはファンヌを抱っこして向日葵駝鳥から降ろした。助かったとばかりに、向日葵駝鳥はお兄ちゃんに頭を下げながら、群れに戻って行く。
「臆病でひとが来るたびにああやって走り回って、根からしっかり栄養を吸わないので、水やり以外は放置して育てるのがいいみたいなんですが」
「そうなるとひとが来ないから、害獣が来るんですね」
「そうなのです。害獣除けの魔術のかかったお守りは高くて手に入りませんし」
「おれが、まじゅつしになって、がいじゅうよけのまじゅつを、つかってやるよ」
「魔術師にはなりたいと思ってなれるものではないんだよ」
向日葵駝鳥の育成を聞いているお兄ちゃんに、ヨーセフくんが自信満々に言うが、貴族でもないただの領民に魔術師の血統が入っていることは稀で、入っていたとしても強いものではない。
貴族を中心に魔術師がこの国は他国より多いのは、魔術の才能のあるものを買い上げて、貴族が魔術師を増やすために妾にしたり、親子ほど年の離れた相手を伴侶にしたりという、酷い歴史があったからだった。おかげで、今は魔術師のほとんどは貴族の血が入っている。
「害獣除けの魔術……まだ移転の魔術も使うことを許されていない、勉強中の身の拙い結界で良ければ」
「かけてくださるんですか?」
「習った範囲の結界で宜しければかけさせてください。今日のお礼に」
お兄ちゃんが申し出て、ヨーセフくんのお父さんとお母さんの畑に結界の魔術の術式を編んでかけていく。魔術の才能がそこそこにはあると言われる私は、その術式がどんなものかは詳しく分からないが、お兄ちゃんが魔術を使っているということだけは分かった。
「おかげで、ファンヌも楽しかったようです。僕も勉強になりました。ありがとうございます」
「ありがとうございました」
「ありがとごじゃいまちた」
お礼を言ってヨーセフくんのお母さんとお父さんの家から戻ると、汗びっしょりだったのでコテージでシャワーを浴びる。涼しい服に着替えて、お昼ご飯を食べた後には、旅でいつもと時間の流れが違うせいか、眠くなってしまう。
自由研究の課題を仕上げているお兄ちゃんに、「おひるねしてくる」とほとんど寝かけているファンヌの手を引いて、ベッドに倒れ込むと、すぐに眠ってしまった。
夢の中で、私は向日葵駝鳥を追いかけていた。捕まえたと思ったら、どすんっと足で踏まれてしまう。踏んだまま動かない向日葵駝鳥に、動けなくなって、私は泣きながらお兄ちゃんを呼んでいた。
「イデオン、大丈夫?」
「ん……おにいちゃん?」
「すごく魘されてたよ。見に来たときに、ファンヌの脚がお腹に乗ってたからそのせいだと思うけど」
「ファンヌのあしか……ひまわりだちょうに、ふまれたゆめをみたの」
「あぁ、すごかったね、向日葵駝鳥」
あんなに元気に走り回る薬草は、マンドラゴラ以外にいないと思っていたから、私の中でも夢に見るほど衝撃的だったらしい。
「ファンヌ、よくのりこなせてたよね」
「本当に。僕も怖くて近寄れなかったのに」
「おにいちゃんもこわかったの?」
「実はね」
僕は臆病なんだよと言うお兄ちゃんに、私はそうなんだろうかと考えた。
両親がいた頃に自分の立場が悪くなっても、私とファンヌを庇ってくれたお兄ちゃんは、とても臆病とは思えない。
「おにいちゃんは、やさしくてつよいの。けっかいのまじゅつもかけてあげたし」
「成功するかドキドキしてたんだよ。格好つけて引き受けたのは良かったけど」
こんな風にお兄ちゃんが自分の胸の内をこっそりと語ってくれるのは、私の前でだけだ。嬉しくてにやけていると、ベッドに寝ていたファンヌが飛び起きた。
「わたくちの、ひまわりだちょうは?」
「ファンヌもゆめをみたの?」
「ゆめ……わたくち、ちゅかまえたのは、ゆめ?」
「夢じゃないよ。捕まえたけど、ちゃんと返してあげて偉かったね」
お兄ちゃんに言われて、ファンヌは夢と現実が繋がったようだった。
その夜は、通信機でカミラ先生に向日葵駝鳥のことをたくさん報告した。
もう旅も終わり。
明日の朝にはカミラ先生が迎えに来て、列車に乗って、お屋敷に戻るのだ。
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