2.お兄ちゃんに告白できない理由
魔術学校の三年生になった私は苦手な実技科目がこの年までということもあって、必死に努力していた。攻撃の魔術を編もうとしても鋭い刃を出現させるどころかそよ風くらいしか吹かせられないし、防御の魔術は盾となる範囲が手の平くらいの大きさしか編み上げられない。
「座学は非常に優秀なんですけどねぇ。致命的なまでに才能がありませんね」
沈痛な面持ちで告げる担当教諭には申し訳ないのだが、私はどうしても攻撃の魔術も防御の魔術も上手く編み上げられなかった。
結界の魔術も練習はしているのだが、鳥籠くらいの大きさまでしか編み上げられない。貴族たちはそれぞれに自分たちの領地を魔物から守るために、またお屋敷を盗人から守るために、巨大な結界を張る。これに関しても私は明確に才能がないことが分かっていた。
「イデオンくんは薬草学と神聖魔術の方に進むのだから、実技科目は最低限でいいのですが……せめて、相手の攻撃の魔術を弾けるくらいにはなって欲しいものですね」
「毎日練習はしているのですが……」
そうなのだ。
私は毎日お屋敷でも攻撃と防御の魔術の練習をしていた。庭に出て術式を編み上げて案山子を相手に発動させる。案山子をざっくりと切り裂くはずの攻撃の魔術は、涼やかな風を吹かせただけだった。
「兄様、頑張って! こうよ! こう!」
「イデオン兄様、頑張って!」
ファンヌの編み上げた術式が巨大な光りの刃を生み出して、ヨアキムくんの編み上げた術式がヨアキムくんを包んでしまうような大きな光りの盾を作り出す。二つの魔術はぶつかり合って相殺された。
「ファンヌとヨアキムくんの方ができてるー!?」
「兄様の見てたらできちゃった」
「イデオン兄様のやり方をずっと見てたら習得してました」
才能というのは残酷なものです。
ファンヌとヨアキムくんは魔術学校に通って頑張って練習して三年目になる私の横で見ているだけで攻撃と防御の魔術を身に着けてしまった。対する私はまだそよ風を吹かせて、魔術の盾も手の平くらいの大きさまでしか作れない。
「才能がない子は仕方がないですからね。最低限、相手がどんな術式を編んでいるのかを見て分かるようになりましょう」
攻撃の魔術ならば逃げられるように、防御の魔術ならば相手が編んでいるうちに逃げられないように捕らえる。術式が何かを理解することはとても大切だ。結界の魔術で閉じ込められないように、攻撃の魔術で傷付けられないように、防御の魔術で逃げられないように、術式の種類を見分けられるようになれば試験は合格にしてくれるという担当教諭の言葉に私は感謝した。
こんなにも実技科目に才能がないことが分かっても、落ち込まずに済んだのは、ビョルンさんという存在が私の中にあったからだろう。
ビョルンさんは攻撃の魔術が苦手で全く使えない。防御の魔術もほとんど使えない。カミラ先生がエディトちゃんを妊娠中にコーレ・ニリアンに決闘を申し込まれたときに、ビョルンさんが代理として戦うくらいならファンヌを出した方が良いと判断されたくらいなのだ。
攻撃の魔術は使えず、防御の魔術もほとんど使えないけれど、ビョルンさんはカミラ先生の補佐として、私たちにとっては貴重な男性の大人として、エディトちゃんとコンラードくんにとっては大事な父親として、立派に務めを果たしていた。何度も私はビョルンさんに相談して答えを導き出せたし、医者としてもビョルンさんは私たちだけでなくルンダール領で頼りにされていた。
攻撃の魔術と防御の魔術が得意なカミラ先生は確かに華やかに敵を蹴散らすが、ビョルンさんのような裏方の仕事も必要だと私には分かっていた。
「気落ちしないでください。イデオンくんには神聖魔術の才能があります。神聖魔術がひとを救うこともあるでしょう」
「はい、ありがとうございます、先生」
落ち込んではいなかったのだが慰められて私は担当教諭にお礼を言った。こつんっと足に何かが当たる感触に下を見れば、まな板が私の脚にもたれかかっている。
「なんで出てきちゃうの……」
伝説の武器にロッカーのカギは無意味らしい。
実技科目のために体操服に着替えてロッカーに鍵をかけてボディバッグを入れているのだが、どうやっているのか分からないが抜け出して出てくる。
「それは、イデオンくんのものですか?」
「えっと、これは……」
「イデオンの伝説の武器なんです」
話を聞いていたダンくんは親切で言ってくれたのだろうが、私は頭を抱える。担当教諭の目が興味津々になったのを感じていた。
「攻撃もできる、盾にもなる、すごい武器なんですよ! これがあるから、イデオンは攻撃の魔術も防御の魔術も使えなくても大丈夫なんです」
必死にダンくんがフォローのつもりで言ってくれているのは分かる。
担当教諭も私がルンダール家の子息で攻撃の魔術も防御の魔術も使えないのは、身を守る手段がなくて心配だと思ってくれているのだろう。気持ちは嬉しいのだが、まな板の性能をここで披露することになるなんて、物凄く情けなく負けた気分になる。
「伝説の武器の威力を見せてもらえませんか?」
伝説の武器と言われれば誰でも興味を持つものなのだろう。子どものように目を輝かせた担当教諭に私は逆らえるはずもない。
始めに練習用の案山子を狙ってまな板を投げることになった。私の腕力でへろへろと飛んでいくまな板が空中で速度を上げて、角度を調整して、的確に案山子の頭に突き刺さる。
「まな板の角が刺さってる! すごい威力ですね」
「は、はぁ……」
感心されても私の胸中は複雑である。
続いて担当教諭の放つ手加減された魔術を、まな板が私を完全に隠す大きさになって防いだ。まな板にぶつかって霧散していく攻撃の魔術に、担当教諭が駆け寄って来る。
「これはすごい。研究させて欲しいですね」
「あ、触っちゃダメです!」
「うぁっ!? ……そうでしたね、迂闊でした。さすが、伝説の武器。所有者以外は拒むのですね」
ついまな板に触ってしまった担当教諭には電撃が走って手を引いた。研究したいというのに協力する気はまな板には全くないようだった。
「いいなぁ、あのまな板欲しい」
「私も」
他の生徒たちから羨望の眼差しで見られても私は全く嬉しくなかった。まな板なのである。何度も命を助けられているので悪くは言いたくないが、何故まな板という形を取ったのか私はまだ納得していなかった。
とりあえずは実技科目は術式を見て理解できるようになるという課題が課せられて、実際の攻撃と防御はまな板のおかげで免除された。
ボディバッグにまな板を押し込めて更衣室で着替えてからフレヤちゃんと合流すると、フレヤちゃんはダンくんから話を聞いていて、今日の授業を羨ましがっていた。
「イデオンくんのまな板が活躍したんでしょう? 見たかったわ」
フレヤちゃんは実技科目の攻撃も防御も結界の魔術も使えて二年生までに単位を取っているので、肉体強化の魔術の授業へと移動していた。より高度な実技科目の授業を取っているフレヤちゃんと、私とダンくんは授業が違うのだ。
「ダンくんは良かれと思って言ってくれたんだろうけど、恥ずかしかったよ」
「恥ずかしがることないだろ。伝説の武器だぞ?」
「まな板だよ?」
まな板であることを強調するとダンくんも何となく目を逸らす。
「イデオンくんは贅沢なのよ。まな板でも、麺棒でも、お玉でもいいじゃない。自分の身を守れるんだったら」
「そうかな……」
「かっこつけなくていいのよ。イデオンくんって結構かっこつけよね。オリヴェル様に告白だって、振られたら格好悪いからできないんじゃない?」
そういうつもりはない。
はずだった。
お兄ちゃんに振られたら格好悪いからとかではなく、お兄ちゃんの可愛いただの弟ではいられなくなるかもしれないという恐怖から、私はお兄ちゃんに気持ちを告げられずにいた。
「好きなら、好きになって欲しいって思わないの?」
まな板の話がいつの間にか恋愛の話になっている。
好きになって欲しいけれど。
「お兄ちゃんは弟として私のことが好きだよ」
「イデオンくんは兄としてオリヴェル様が好きなの?」
「お兄ちゃんとしても、好きだよ」
兄としても好き。
恋愛対象としても好き。
それが両立してしまっているから、踏ん切りがつかないのだ。
小さい頃から「お兄ちゃん」と呼んで慕ってきたお兄ちゃんが、今更、兄でなくなるのは怖い。
「お兄ちゃんがお兄ちゃんじゃなくなるなんて、想像できない……」
お兄ちゃんに告白してそれが受け入れられたとしても、私とお兄ちゃんの関係は変わってしまう。その先に何があるのか分からないのが怖い。
私はお兄ちゃんに告白するのが、弟としての関係を壊してしまうだけでなく、もし受け入れられたときにはその先が分からないのが怖いということを自覚してしまった。
「お付き合いって、どんなことをするんだろう」
「手を繋いだり、一緒にお出かけをしたり、お互いの家に遊びに行ったり、旅行に行ったり?」
「それ、今までと変わらないんだけど」
「キスをしたり?」
キス。
お兄ちゃんとキス。
眠る前にお休みのキスをお兄ちゃんが額にしてくれていたが、それ以外のキスがあるのだ。
考えただけで頭から湯気が出そうになって、私は倒れそうになっていた。
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