24.訪れたチャンス
夏休みが終わる前日に私はファンヌとヨアキムくんの宿題を全部チェックした。今回の二人の自由研究の課題は温泉で、火山地帯で地下水がどう温められて温泉が湧き出るのかなどが纏めてあった。他の宿題も小さなミスはあったけれど特に大きな問題はなくファンヌとヨアキムくんに私は宿題のテキストを全部返した。
「よく頑張ったね」
「ファンヌちゃんと二人ですから」
「兄様、見てくれてありがとう」
お礼を言って二人が私とお兄ちゃんの部屋を出て行くと、次は私の番だった。私はお兄ちゃんに宿題を全部渡して、自分がファンヌとヨアキムくんの分を見ている間に見てもらっていたのだ。
「どれも良く調べられてると思うよ。大きな問題はないかな」
「そっか。良かった」
「イデオンもよく頑張ったね」
撫でようとしてお兄ちゃんが手を引っ込めたのが分かった。撫でられる気満々だった私ははっとして身を引く。13歳にもなってお兄ちゃんに撫でられて喜ぶなんておかしいと分かっているけれど、私はお兄ちゃんに撫でられたいし、抱き締められたくて苦悩していた。
「あ、ありがとう、お兄ちゃん」
「いいえ、どういたしまして」
ぎくしゃくとしながら宿題を受け取ってボディバッグの中に入れる。
今年は春から結婚の法案の審議の準備で度々王都に行かなければいけなかったし、夏休みも王都に行って審議に参加しなければいけなかった。そのおかげで法案は可決されて夏休み明けから施行される。
これから貴族の結婚式が多くなってくるだろうから、デシレア叔母上の領地の生花を栽培する畑や将来ヨアキムくんの領地となるお茶畑では、忙しくなってくるだろう。
「お茶だけじゃなくてお茶請けも引き出物に良いかもしれないね」
「クラース叔父上はその辺抜かりないと思うよ」
話題を変えたお兄ちゃんも同じことを考えていたようだった。
オースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様に会うときにも煎餅やおかきを持ってきていたクラース叔父上。引き出物にお茶を売り出したら、お茶請けにカレー煎餅やおかきも売り出す方針になるだろう。
最初は向日葵駝鳥の油で石鹸を作る事業を立ち上げたが、その後、花茶や果物の香りを付けた緑茶が国中で流行り、お茶請けとしてカレー煎餅が流行って、ルンダール領はかなり豊かになっている。
この状態でルンダール領の正式な当主になったお兄ちゃんは仕事は多いが充実しているようだった。
私の両親が無茶苦茶な重税で荒らしてしまった領地を、カミラ先生が当主代理となって、私の発案を活かしてくれて、長い時間をかけて立ち直らせてくれた。
カミラ先生が当主代理となった当初は言うことを聞かない貴族ばかりだったけれど、今は領地の貴族のほとんどが私たちルンダール家の味方となってくれている。
これからルンダール領は領地の貴族と力を合わせて更なる発展を願えるようになっていた。
「早くお兄ちゃんの補佐になりたいな」
「魔術学校を卒業したらぜひなって欲しいよ」
そのためにももっともっと勉強しなければと誓う私だった。
夏休み明けの初日もベルマン家からフレヤちゃんの家を経由して、ルンダール家の前に馬車が停まった。馬車に乗り込むとフレヤちゃんとダンくんに挨拶される。
「おはよう、イデオンくん」
「二学期もよろしくな」
夏休みの間にダンくんはフレヤちゃんに告白したわけで、二人の中で気持ちがどうなっているのかは分からないけれど、私はここに居てもいいのか。そんな不安を吹き飛ばす明るい笑顔に私は自然にダンくんの隣りの席に座ることができた。
「イデオンくんは知ってると思うから言うけど、ダンくんに告白されたわ。返事は待ってもらってる。返事がどうなっても、イデオンくんもダンくんも大事な友達だし、幼馴染ってことには変わりないから、そのままでいて」
私がフレヤちゃんを尊敬するのは、こういう風に自分の意見をはっきりと言えるところだった。自分の気持ちを口にするのには勇気がいるのに、フレヤちゃんはそれを軽々とやってしまう。
「分かった。ありがとう。私もダンくんとフレヤちゃんが大事な友達だよ」
「俺も、イデオンは大事な友達だ。フレヤちゃんは……まぁ、これから」
「これからどうなるかなんて分からないものね」
しみじみとフレヤちゃんが言う。
「私もダンくんも幼年学校に入学したときには、貴族になんて縁がなかったわ。イデオンくんが同じクラスになるって分かって驚いたもの」
「私はルンダール家の養子になれたからで、本当は罪人の子どもとして打ち捨てられててもおかしくなかったんだよ」
「そんなことないわよ。イデオンくんとファンヌちゃんは、幼いのに両親を断罪して正当な後継者のオリヴェル様を助けたって物凄い噂になってたんだから」
私は知らないところで幼年学校に入る前から有名だったらしい。
幼年学校にはクラスに一人か二人、貴族の子どもがいた。私の学年は最初は私一人だったけれど、後からダンくんもベルマン家の養子になって貴族になった。
「ダンくんもだけど、私も貴族になるかもしれないなんて、今でも信じられない」
フレヤちゃんはカリータさんの後継者としてシベリウス家に来ることを望まれている。養子になったからと言って、ダンくんのように本当の両親と縁が切れるわけではないので、フレヤちゃんは悩みはしたもののカリータさんの後継者になることに積極的だ。
「もし、ダンくんと付き合うことになったら、私はシベリウス家の後継者で、ダンくんはベルマン家の後継者でしょう? そういうことも考えなきゃいけないのかなとか思っちゃってね」
「法律で両者の合意があれば当主同士でも結婚できるようにはなってるよ」
「そうなのよね。法律、今日から施行だっけ?」
そうなのだ。
私とお兄ちゃんが尽力した結婚の法案は今日から施行される。
オースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様も結婚式のウエディングドレスとヴェールとタキシードの生地の生産を増やしているし、デシレア叔母上もブーケやブートニアにする生花の生産を増やしている。スヴァルド領では果物の香りのついたお茶の生産を増やしているだろうし、ノルドヴァル領では茶器の生産を増やしているだろう。
「国王陛下も結婚なさるっていう噂だけど」
「え!? 本当!?」
それは私も把握していなかった。
結婚の法案が通ってしまったので私とセシーリア殿下の婚約がどうなるのかは気にしていたが、国王陛下が結婚されるだなんて初耳だ。
「お祖父様が言ってたな。宰相閣下の息子さんとずっと想い合ってたって」
「身分が違うから結婚は躊躇っていたけれど、今度の法案に背中を押されて結婚するんですって」
年もかなり宰相閣下の息子さんの方が上なので周囲からの反対が酷くて国王陛下はずっと結婚を拒んでいた形になっていた。それが今回の法案で結婚できるようになったのだという。
「これは商売しなきゃ!」
「イデオンくん、目の色が変わってるわよ?」
オースルンド領のウエディングドレスとヴェールとタキシードの生地を売り込んで、ルンダール領の生花とお茶とお茶請けを売り込んで。これから忙しくなりそうな気配に私はわくわくしていた。
ルンダール領の存在感をアピールするために国王陛下の結婚式は素晴らしいチャンスなのではないだろうか。
「イデオンって賢い上に商売人だよな」
ダンくんの呆れた声も私の耳には届かなかった。
魔術学校が終わってルンダール家に帰ると、シャワーを浴びて着替えて、真っすぐに執務室に向かう。勢いよく執務室の扉を開けると、先客がいた。
コンラードくんがヨアキムくんの手を引いてカミラ先生を見上げている。
「よーにぃに、わたしのにぃになのに、なんでオースルンドのおうちじゃないの?」
気付いてしまったようだ。
これまで自分のことしか見えていなかったコンラードくんが、ヨアキムくんが自分の兄なのにオースルンド領の家に帰らないことに疑問を持った。それは大きな成長なのだが、カミラ先生とビョルンさんにしてみれば、返事に困る状況でもあるだろう。
「ヨアキムくんはコンラードの兄ですが、私が産んだのではなくて、養子にもらったのです」
「ようし、なぁに?」
「他のお家の子どもを、自分のお家の子どもにすることです」
「よーにぃに、わたしのにぃにじゃないの?」
「ヨアキムくんは養子になったので、コンラードの兄ですよ」
「なんで、オースルンドのおうちにかえらないの?」
話が元に戻って来てしまった。
返事に困るカミラ先生とビョルンさんに、ヨアキムくんがコンラードくんを抱き締める。
「僕はファンヌちゃんと一緒にルンダール領に残りたかったから、オースルンド領には行かなかったんだよ」
「わたしも、ルンダールにのこりたかった」
「コンラードくんまでいなくなっちゃったら、父上も母上もエディトちゃんも悲しむでしょう?」
「よーにぃに、いなくても、ちちうえも、ははうえも、えーねぇねもかなしまないの?」
4歳の真剣な問いかけにヨアキムくんはふるふると首を振った。
「悲しまないわけじゃないよ。ただ、父上も母上もエディトちゃんも、離れてても僕がみんなのことを愛してて、いつでも会えるっていう信頼があるから、ルンダール領に残してくれてるんだ」
「あいしてるから?」
「そう。信じてくれてるから」
ヨアキムくんの説明でコンラードくんが理解できたのかどうかは分からない。気持ちは伝わったのだろう。納得したコンラードくんはヨアキムくんの手を引いて子ども部屋に帰って行った。
「お兄ちゃん、ただいま。カミラ先生も、ビョルンさんもただいま」
「お帰り、イデオン」
「お帰りなさい、イデオンくん」
「急いでどうしました?」
ビョルンさんに問われてコンラードくんの件で吹っ飛びそうになっていた話題を私は口にした。
「国王陛下が結婚する話を、聞きましたか?」
ルンダール領にとっても、オースルンド領にとっても、大きな商売のチャンスが来る。そんな気がしていた。
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