21.初めての船旅
お兄ちゃんが無事にチケットを取ってくれて私たちは港町から船に乗ってルンダール領近くの小島に行けることになった。宿もカミラ先生に聞いてお兄ちゃんが手配してくれていた。
「仕事が忙しいのにお兄ちゃんに任せてしまってごめんなさい」
「僕ももう大人だからこれくらいのことはできなくちゃ」
今までどれだけカミラ先生とビョルンさんに甘えて頼っていたのかがよく分かる。お兄ちゃんももう22歳で成人してから四年も経っていた。
「カミラ先生、ありがとうございます」
「父上、母上、助かります」
執務の手伝いに来ていたカミラ先生とビョルンさんにファンヌとヨアキムくんがお礼を言えば、カミラ先生もビョルンさんも目を細めていた。
「誰でも初めてのときはあるものです」
「父上と母上は船に乗ったことがありますか?」
「私は調査のために船で小島に渡ったことがありますね。カミラ様は?」
「私はありませんね」
コンラードくんが行きたがったときにすかさずビョルンさんがディックくんとカスパルさんとブレンダさんの一家を誘って行くことにした家族旅行。私たちとは別だけれど、「船で行きましょうか?」とビョルンさんがカミラ先生を誘っていた。
結婚して子どもも二人……ではない、ヨアキムくんもだから三人いるけれど、カミラ先生とビョルンさんはとても仲睦まじい。オースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様も二人で統治していてとても仲睦まじい様子に、私は憧れを抱いていた。
私の両親は仲が良かったかもしれないが、その様子を私たちに見せることはなかった。アンネリ様の件で糾弾したときには醜く仲間割れをしていて、あれで本当に愛し合っていたのか疑問が残る。
大人になって結婚なんて考えられないけれど、縁があって誰かと結婚することになったら私もカミラ先生やビョルンさん、オースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様のようにずっと仲睦まじくいられるのだろうか。
結婚という単語にお兄ちゃんの顔が浮かんで、急に胸が痛くなる。
お兄ちゃんが誰かと結婚してしまったら、きっと私は悲しくてつらくて傍にいられなくなってしまうだろう。
夢で見た光景が頭を過ぎる。お兄ちゃんが抱っこしていたお兄ちゃんをパパと呼ぶ女の子。
あの夢のようにいつかお兄ちゃんは私ではない誰かを王都に連れて行って、審議の際に隣りに座らせるのかもしれない。
――他の公爵家は夫婦で王都に来ています。私は結婚をする予定がなく、将来補佐となってくれる弟のイデオンを信頼しておりますので、王都に召集される際にはイデオンも共に連れて来させてはくれませんでしょうか?
結婚をする予定がないとお兄ちゃんは言っていたけれど、未来は誰にも分からない。運命的な出会いがお兄ちゃんに訪れないとも限らないのだ。
それができる限り遅くあるように。あの夢がただの夢であるように。
そう祈ることくらいしか私にはできなかった。
温泉旅行の当日も薬草畑の世話をしてシャワーを浴びてから着替えて、朝食を食べ終わると私たちは馬車に乗った。お屋敷の使用人さんたちもほとんどがお休みしているので、私たちが旅行に出るのは私たちの世話をしなくていいのでちょうどいい。
「気を付けて行ってらっしゃいませ。留守はお守りしておきます」
送り出してくれるセバスティアンさんに手を振って私たちは馬車で列車の駅まで行った。駅にはダンくんとミカルくんとアイノちゃんとご両親とお祖父様が来ている。フレヤちゃんも少し遅れて到着した。
「駅まで歩いてきたんだけど、物凄く暑かったわ。汗かいちゃった」
「列車の中は涼しいから水分いっぱい取って休んでね」
「今日はよろしくお願いします」
脱いだ帽子で汗ばんだ顔を扇ぐフレヤちゃんにファンヌが駆け寄る。
「フレヤお姉様、一緒に座りましょう」
「嬉しいわ、ファンヌちゃん」
「僕も一緒で良いですか?」
「もちろんよ、ヨアキムくん」
個室席は三人掛けの席が二つ向かい合っている六人掛けなので、ダンくん一家が一つ、私たちルンダール家とフレヤちゃんで一つ使う形になった。
ヨアキムくんを窓側に、ファンヌが挟まれて、フレヤちゃんが通路側に座る。私はお兄ちゃんが窓側を譲ってくれて、三人掛けの席に二人で座った。
ダンくん一家は隣りの個室席で賑やかに話しているのが聞こえる。
「港町まで結構かかるから、列車の中でお昼にするんだけど、フレヤちゃんの分もお弁当持って来たよ」
「いいの? 私、車内販売で何か買おうかと思ってたんだけど」
「フレヤお姉様も食べましょう」
列車が動き出してファンヌはフレヤちゃんにたくさん話しかけていた。にこにこしながらヨアキムくんがそれを聞いている。
「フレヤお姉様は魔術学校でどんな科目を専攻していますの?」
「実技系が結構多いかな。魔物研究には結構腕力が必要だからね」
「わたくし、肉体強化の魔術、使えます」
「ファンヌちゃんみたいに才能があればいいんだけどね。なくても、努力である程度は身につくんだけど」
将来はカリータさんの後継者として魔物研究を志しているフレヤちゃんにとって、魔物と相対するために拘束や肉体強化、攻撃の魔術も必要だった。領地の統治を目指している私とはフレヤちゃんは見ているものが違うのだ。
「わたくし、魔物は倒すけど、研究しようとは思わないわ」
「研究したいひとがすれば良いのよ。私みたいな」
魔物に関しては食材としか見ていないファンヌは、フレヤちゃんのように生態を観察したり、毒や石化を解く血清の研究をしたりするのには向いていないのかもしれない。
来年度にはファンヌとヨアキムくんも幼年学校の六年生になる。再来年には魔術学校に入学してくるのだ。そろそろ将来のことも考え始める時期だろう。
「わたくし、ヨアキムくんと結婚して、ルンダール領を一緒に治めるの」
「オリヴェル兄様とイデオン兄様をお手伝いします」
まだ10歳と11歳の将来の希望だけれど、二人が離れずにいられるように私も願わずにはいられない。カミラ先生とビョルンさん、オースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様のような仲睦まじい関係が、この二人はずっと続いて欲しい。
2歳で出会ったヨアキムくんと結婚すると決めてしまった3歳のファンヌ。あれから八年が経っても気持ちは変わっていなかった。
「イデオンが小さい頃、僕のこと『だいすち』って言ってくれたのを思い出すよ」
「え!? なんで急に!?」
「僕は両親もいなくて、味方になってくれるひともいなくて寂しかったから物凄く嬉しかったんだ」
確かに小さい頃はお兄ちゃんのことを気軽に「大好き」と言っていた。最近までお兄ちゃんに言えていた「大好き」が言おうとすると喉につっかえるようになったのは、お兄ちゃんへの恋心に気付いたからだろうか。
黙っているとお兄ちゃんはお弁当を広げてみんなでお昼ご飯を食べた。冷たく甘いフルーツティーが乾いた喉を潤す。ベーコンとレタスを巻いたクレープと、フルーツとクリームを巻いたクレープのお昼ご飯。フルーツの方はデザートにして、先にベーコンとレタスのクレープを食べる。ケチャップが口元に付いていたのをお兄ちゃんが指で拭ってくれた。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
急に黙り込んでしまったり、口元を触られると飛び上がったりしてしまうのに、お兄ちゃんはいつも通りの穏やかな態度だった。
港町に着くと船に乗り換える。
海風が強くてデッキに出ると手すりをしっかり握っておかないとこけてしまいそうだった。
「船って揺れるんだね」
「デカい船だとあまり揺れないんだって。これはそんなに大きな船じゃないからな」
デッキに出るのは危険だと判断して、ダンくんと頷き合って船室に入った。床に敷物を敷いてアイノちゃんがご両親と座っている。立っていると揺れで転びそうだったので私も敷物を敷いてファンヌとヨアキムくんとお兄ちゃんと船室の床に座った。
フレヤちゃんは今度はアイノちゃんに呼ばれてダンくん一家の方に行っている。
「船酔いって知ってる、イデオン?」
「船酔い? 酔うの?」
「船の揺れで気分が悪くなっちゃうんだって。ヨアキムくんもファンヌも、気分が悪くなったらすぐに教えてね」
船室の窓から外を見たかったけれど、そんな余裕はなさそうだ。ヨアキムくんとファンヌは敷物に座って手を繋いでいた。
船は揺れながら進んでいく。
幸い誰も船酔いにはならなかったけれど、揺れが残っていて船から降りた後もしばらく私はふらふらするのだった。
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