16.お風呂場の襲撃と法案の可決
法案の審議は問題なく進んだ。
明日にも可決できそうということでイーリスさんもとても喜んでいた。
お兄ちゃんは明日可決されればルンダール領の当主として法案に署名をしなければいけない。オースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様も、スヴァルド領のイーリスさん一行も、ノルドヴァル領の領主夫婦も今日は王城の客人のための棟に泊る予定だった。
お兄ちゃんの成人のパーティーのときも泊まったが、今回はお兄ちゃんと二人きりということで緊張してしまう。同じ部屋に通されて、普段から並んだ別々のベッドで寝ているけれど、豪奢なベッドが並んでいるのに私は妙に意識してしまった。
「イデオン、疲れたでしょう。お風呂に入る?」
「うん、先に入らせてもらうね」
国王陛下とセシーリア殿下に招かれて、今日は四公爵の交流の夕食会がある。それに私とイーリスさんも招かれていた。
夕食会はヨアキムくんやファンヌがいるので夕方の早い時間に晩御飯にして早寝をするルンダール家と違って、大人のための時間なので普段よりも遅い時間になる。部屋に帰る頃には絶対に眠くなっているに決まっているので、私は先にお風呂に入っておくことにした。
広いシャワーブースとバスタブがあって、豪華なお風呂にはルンダール領の向日葵駝鳥と青花の石鹸とシャンプーが置かれていた。バスタブにお湯を溜めている間にシャンプーで髪を洗って、石鹸で身体も洗ってしまう。
夏場なのでシャワーだけでも良かったが、今日は緊張する場所でたくさん発言したので疲れていた。
バスタブにたっぷりと溜めたお湯に入ると全身の緊張が解けていく気がする。バスタブの近くには大きな窓があって、曇りガラスの向こうから眩しい日差しがバスルームを明るく照らしている。瞼に光を感じながら目を閉じてゆっくり浸かっていると、こつんと頭に何かが当たった。
「なに……? まな板?」
痛いほどではなかったが当たったまな板に驚いて手に持つと、シャーッと窓から奇妙な音が聞こえた。少しだけ空いていた窓の隙間から蛇が入り込んできている。
「ぎゃー!? 蛇ー!?」
思わず叫んで私はまな板を投げ付けていた。まな板は蛇に当たって蛇の首を潰してタイルの上に繋ぎ止める。首が潰されているのに物凄い生命力で頭と尻尾が動いているのが恐ろしい。
「イデオン、どうしたの!?」
「びぎゃー!」
「びょえ!」
「びょわん!」
私の悲鳴を聞きつけてお兄ちゃんと南瓜頭犬に跨った大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラが駆け付けてくれた。バスタブの中でぶるぶると震えながら私は窓辺のタイルの上にまな板で繋ぎ止められた蛇を指さす。
「へ、へび、へびが、へびが!」
「毒蛇かもしれない! イデオン、こっちへ!」
バスタオルを持ってきてくれたお兄ちゃんが私をバスタオルで包んで脱衣所に連れて行ってくれた。服を着てから髪が濡れたままでバスタオルを被っている私を、お兄ちゃんが隣りの部屋のオースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様の部屋に連れて行ってくれる。
「警備兵を呼んでくるから、イデオンはここにいて。お祖父様、お祖母様、バスルームに蛇が出たのです。狙いはイデオンだと思います。イデオンを保護してください」
「イデオンくんは私に任せてください」
「オリヴェル、私も一緒に行きましょう」
お兄ちゃんのお祖母様が震えている私を部屋に招き入れてくれて、お兄ちゃんのお祖父様がお兄ちゃんと一緒に警備兵を呼びに行ってくれる。
魔術でブラシをかけながら丁寧に髪を乾かしてくれたお兄ちゃんのお祖母様は、私のためにお茶を注いでくれた。冷たいローズヒップの鮮やかなお茶の水面にぽたりと雫が落ちる。
「怖かった……」
「なんともなくて良かったです」
「まな板が守ってくれたんです」
全裸で何も身を守るものがなくて気を抜いているときにバスルームで蛇に襲われたら、私は無事ではなかっただろう。
それほど大きくない蛇ではあったが、蛇は小さい方が毒性が高い場合が多いというのを私は農家の子たちから聞いていた。
「イデオン、部屋を変わるって。蛇は警備兵が確かめたけど、毒蛇で間違いない」
「部屋を変わるなら、こちらの部屋で一緒に過ごしましょう。幸い、家族用なのでベッドもあります」
お兄ちゃんのお祖母様が申し出てくれて私たちは隣りのオースルンド領領主夫妻の部屋に避難することになった。まな板も役目を終えたようで私のボディバッグに帰ってきている。
「バスルームを使わせていただきますね」
「遠慮なく使ってください」
お兄ちゃんがお風呂に入っている間、心配だったので私は南瓜頭犬に跨って竹串を構えた大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラをバスルームに送り込んでおいた。マンドラゴラたちがお兄ちゃんを警護してくれるはずだ。
お兄ちゃんがお風呂から出ると、話を聞いたイーリスさんが部屋に駆け付けた。
「大叔父上は奥様と上手くいっていないようなのです。法案が通ってしまうと離婚されると恐れていて」
奥方の方が王家の出身でお妃様の叔父上でイーリスさんの大叔父上はスヴァルド領の出身だ。離婚されれば子どもたちは奥方の元に残してスヴァルド領に帰されてしまうかもしれない。
その上子どもたちとセシーリア殿下や国王陛下を結婚させて権力を得ようとしていたのも水泡に帰す。
それで法案に賛成しようとするお妃様を脅したり、私を狙って殺そうとしたりして来たのだろう。
「毒蛇から何かてがかりがあれば……」
呟いた私は首に下げている魔術具が通信を伝えていることに気付いた。手の平の上に乗せると、カリータさんの立体映像が映し出される。
『カリータ・シベリウスです。今、よろしいでしょうか、イデオン様?』
「大丈夫です。何か分かりましたか?」
『ケルベロスは飼育されていたものだと分かりました。王都の動物園の魔物研究所から盗まれたものです』
ケルベロスの遺体を調べて王都の動物園の魔物研究所に問い合わせたら、そこから盗まれた固体だということが判明した。
「大叔父上は使役の魔術を得意としています」
「魔物や毒蛇を使役の魔術で操って、私を襲わせたというわけですね」
全てが繋がった。
後は証拠だけなのだが。
証拠になる書面を見つけ出したのは、ランナルくんだった。
「ノルドヴァル領の宝石取引は高額になるので相手に踏み倒されないように特殊なインクを使います」
そのインクに付いては私も覚えがあった。
ヨアキムくんに呪いをかけた呪術師が、契約に魔術の痕跡の残るインクを使っていたのを思い出したのだ。
夕食の席でランナルくんはノルドヴァル領から提出された宝石の注文の書面に書かれたサインに手を翳し、浮かび上がった人物をはっきりと示した。
それはイーリスさんの大叔父上で、お妃様の叔父上の姿だった。
「言い逃れはできませんね。警備兵を手配してください」
セシーリア殿下に命じられてランナルくんは一礼して夕食の席から立ち去った。セシーリア殿下の従者であるランナルくんは夕食に同席することはできない。
本来ならば私も同席できないはずなのだが、今回だけは法案の発起人としてお兄ちゃんの隣りに座っていた。
「国王陛下にお願いがございます」
「なんであろう?」
「他の公爵家は夫婦で王都に来ています。私は結婚をする予定がなく、将来補佐となってくれる弟のイデオンを信頼しておりますので、王都に召集される際にはイデオンも共に連れて来させてはくれませんでしょうか?」
私も一緒に!?
お兄ちゃんが一人では不安で助けが欲しいのならば当然私ができることならば何でもするけれど、今回の審議でも椅子を倒してしまったり、宿泊ではバスルームで悲鳴を上げてお兄ちゃんのお祖母様の前で泣いてしまったり、情けないことばかりだった。
それでもお兄ちゃんは私を必要としてくれている。
「イデオン殿には我々も何度も力を借りている」
「母上と共に暮らせるようになりそうなのも、イデオン様のおかげですからね」
「特例として認めよう。他の公爵家もそれで構わないな?」
国王陛下の言葉に反対できるものがいるはずがない。
お兄ちゃんが王都に召集されるたびに私がついてくる。
「お兄ちゃんは、私が必要なの?」
「物凄く必要だよ。傍にいてくれないと困る」
そう言われてしまえば仕方がない。
次の審議のときにはせめて椅子を倒さないようにしようと誓う私だった。
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