7.この心は誤魔化して
普通の大人の男性は扉をもげるのだろうか。
私の中に浮かんだ疑問が消えてくれない。
戦闘向きではなくて荒事はカミラ先生やファンヌに任せていたビョルンさんが、無造作に部屋の扉を蝶番ごともいでしまう様子などは想像できない。そうなるとあれはお兄ちゃんに特別なことなのではないだろうか。
「お兄ちゃんが、王城の応接室の扉をもいじゃったんだ」
「は!? オリヴェル様は肉体強化の魔術が使えたのか?」
「使えないよ。使えるかもしれないけどすごく苦手だと思う」
それなのに自分の腕力だけで王城の重い応接室の扉をもぎ取ったという話をしたら、ダンくんは恐れ戦いていた。
「扉ってもげるものなのか……」
「ファンヌとかカミラ先生はもいでたけど、それは肉体強化の魔術を使ってだもんね」
「普通、扉はそんなに気軽にもがない!」
小さい頃から肉体強化の魔術を呼吸をするように自然に使うファンヌと一緒だったから気付かなかったけれど、普通のひとは……いや、魔術師は扉をもぎ取らないものであると私は知った。そうなると応接室の扉を魔術を使わずにもぎ取ってしまったお兄ちゃんはますます稀有な存在になる。
「格好良かった……」
「えぇぇ!?」
怪訝そうな声がダンくんから聞こえたが、それは耳に入れないことにする。講義室の机に肘をついて手で顔を支えて、ほぅっと私はため息を吐いた。
泣いている私のために怒ってくれて応接室の扉をもぎ取ったお兄ちゃんは本当に格好良かった。ランナルくんを怯えさせて土下座までさせたお兄ちゃんは、ただただ私のことを心配してくれていた。
こんなにもお兄ちゃんに大事に思われていることが嬉しいのに、それがただの弟に対する感情だと考えると気持ちが沈んでくる。
「イデオンくんは、オリヴェル様に告白するの?」
「告白!? そんなの、無理だよ!」
大きな声が出てしまったがそれも仕方のないこと。
告白したせいでお兄ちゃんと気まずくなるなんてことは私は望んでいなかった。気持ちには蓋をして封印して、お兄ちゃんとはこのままのいい関係を続けたい。
お兄ちゃんに好きなひとが出来たり、結婚してしまったりしたら、胸が張り裂けるほど悲しくつらいだろうが、その日も覚悟して傍にいなければいけない。お兄ちゃんの傍から離れるという選択肢は、私にはなかった。
「お兄ちゃん、私がセシーリア殿下との婚約を解消して自由に結婚できるように法案を変えようとしてる……」
険悪な雰囲気でセシーリア殿下と話すお兄ちゃんの言葉で気付いたこと。
お兄ちゃんは私のためにも法案を変えようとしてくれていた。ブレンダさんのために叔母想いだと感動していたが、それだけではなかったのだ。
それにしても、出がけにお兄ちゃんのハグを拒むという妙なことをしてしまった。帰ってお兄ちゃんが「お帰りなさい」のハグをしようとしたらどうすればいいんだろう。
素直に受け入れるには恥ずかしくて、私は一日中そのことばかりを考えていた。
魔術学校の授業が終わってダンくんの馬車でフレヤちゃんと私も乗せてもらって帰る。一番最初に着くのがルンダール家のお屋敷なので、二人に手を振って私は馬車から降りた。
「さよなら。明日もよろしくね」
「イデオン、頭、お大事にな」
「お兄ちゃんと仲良くね」
王城でセシーリア殿下の膝から落ちてテーブルで打った頭をダンくんは心配してくれている。フレヤちゃんの方はお兄ちゃんに言及して来たので私は赤くなりながらいそいそと馬車から降りた。
玄関でルームシューズに履き替えて、子ども部屋の横を通って部屋に帰る。子ども部屋ではエディトちゃんとコンラードくんが連れて来られていて、ファンヌとヨアキムくんも一緒に椅子に座っていた。
ファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんは宿題をしているのだろう。コンラードくんは仲間に入ったつもりでお絵描きをしているのだろう。仲の良い様子に目を細めてから部屋で制服から普段着に着替える。
執務室に入ろうとすると中から声が聞こえて来ていた。
「イデオンが『行ってらっしゃい』のハグをしてくれなくなってしまったんです」
落ち込んだようなお兄ちゃんの声に、カミラ先生の声が答える。
「イデオンくんももう13歳ですよ。思春期になるのです。お兄ちゃん離れをする時期なのかもしれません」
「昨日いっぱい抱っこしてしまったから嫌がられたのかなぁ」
セシーリア殿下の膝から落ちた私は頭も打っていたし完全に混乱して泣いていたので、お兄ちゃんにずっと抱っこされていた。そのことを言われて扉越しにも恥ずかしくて私は真っ赤になる。
「抱っこもする年齢ではないですね。イデオンくんの成長だと思って兄として見守って差し上げたら良いのではないですか」
ビョルンさんのアドバイスにお兄ちゃんは納得したようだった。とんとんと扉を叩いて執務室に入るとお兄ちゃんがいつも通りの笑顔で迎えてくれる。
「お帰り、イデオン」
椅子から降りて両腕を広げてはくれたけれど、その腕をぎこちなく避けて私は自分の椅子に座った。
「やっぱりか……」
「オリヴェル、イデオンくんの成長ですよ」
「はい、叔母上」
小声でお兄ちゃんとカミラ先生が話しているがその内容は筒抜けだ。
「今日の魔術学校はどうだった? 僕が卒業してからはダンくんとフレヤちゃんとお弁当を食べているの?」
「いつも通りだよ」
お兄ちゃんが卒業してもなんとなく寂しくて、中庭で一人でお兄ちゃんと並んでお弁当を食べたベンチでお弁当を食べているだなんて話せるはずがない。誤魔化したつもりだったけれど、お兄ちゃんは私の返答を素っ気なく感じたようだった。
「イデオンくんは反抗期なのかもしれません」
「反抗期ですか?」
「大事な成長の過程ですから見守ってあげてください」
小声のビョルンさんに言われてお兄ちゃんは頷いていた。反抗するつもりはなくて、むしろお兄ちゃんのことは大好きなのだけれど、それをどう言い表せばいいのか分からない。
弟として不自然ではない程度に好きと伝えるのはどうすればいいのだろう。これまでできていたことがお兄ちゃんが好きと気付いただけでできなくなってしまうのが私には不思議で悔しくてならなかった。
自然に接したいのに、その自然がどうだったか思い出せない。
机の上に宿題を広げて集中しているつもりだが、お兄ちゃんが身じろぎするとそちらの方が気になって仕方がない。
「イデオン、お茶だよ」
「ありがと……びゃー!?」
茶器を渡す指先が触れ合った瞬間、物凄く恥ずかしい気分になって私は手を跳ねのけてしまった。茶器が飛んでお兄ちゃんの肩に当たり、お茶がお兄ちゃんにかかってしまう。
「ご、ごめんなさい!」
「熱いお茶じゃなかったから平気だよ。びっくりさせちゃった?」
急に差し出したから驚かせたのかとお兄ちゃんは勘違いしているが、私はお兄ちゃんの手に指先が触れてどうすればいいのか分からなくなってしまったのだ。
ルンダール領は暑くなるのが早い地域なので、初夏の今はもうお茶は冷たいものを飲んでいたので幸いなことにお兄ちゃんは火傷はしなかった。
「着替えて来るね。イデオン、気にしなくていいからね」
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
濡れた服を着替えに行ったお兄ちゃんに私は執務室の椅子に座って沈み込んでいた。カミラ先生とビョルンさんが恐る恐る声をかけて来る。
「王城で何かあったのですか? セシーリア殿下の悪戯は聞いていますが」
「お兄ちゃんが泣いてる私を抱っこしてくれて……」
茶器を握り潰して、応接室の扉をもぎ取って、ランナルくんに謝らせた。そのことで私はお兄ちゃんへの恋心に気付いて自然に接することができなくなった。そんなことを素直に言えるわけがない。
「私はもう13歳なのに、泣いている自分が恥ずかしくて、もっとしっかりしなければと思ったのです」
「イデオンくんは小さい頃からしっかりしていて、オリヴェルにしか甘えたことがなかったですからね」
「そんなに恥ずかしがって急に大人になることはないのですよ」
カミラ先生もビョルンさんも優しく言ってくれるが、私はそういうことにして通そうと決めていた。
「お兄ちゃんの補佐を立派に勤めるために、大人になりたいんです」
表情を引き締めて言ったところでお兄ちゃんが戻ってきて私を見て寂し気に微笑んだ。
「イデオンはそんなことを考えていたんだね。少し寂しいけど、イデオンが大人になるのを応援するよ」
本当はそうじゃなくてお兄ちゃんへの恋心に気付いたからなのだが、私はそういうことにしてお兄ちゃんとカミラ先生とビョルンさん、そして自分までも誤魔化すことにした。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。