6.想いを封じて
目を腫らして帰って来た私にヨアキムくんもファンヌも心配そうだった。
執務がないのでカミラ先生とビョルンさんはエディトちゃんとコンラードくんをベルマン家に預けてオースルンド領で過ごしている。週末はアイノちゃんとミカルくんと遊ぶ約束を取り付けたコンラードくんは、ようやく号泣と脱走をやめてオースルンド家で大人しく過ごすようになったようだった。それにちゃっかりと乗っかってアイノちゃんとミカルくんと遊ぶ権利を手に入れたエディトちゃんはさすがと言えるだろう。
頭にできたこぶをお兄ちゃんが用意してくれた氷嚢で冷やして自分の部屋のベッドで横になる。
お兄ちゃんへの恋心を自覚して引っ込んだ涙がまた出てきて止まらなくなった私を、お兄ちゃんは抱っこしたままでルンダール家のお屋敷に帰って来た。ぶつけたのが頭なので吐き気などがないかお兄ちゃんに診察されて、今はベッドで安静にして氷嚢でこぶを冷やしている。
「イデオン兄様大丈夫ですか?」
「前国王様と喧嘩しちゃったの?」
泣いてこぶまで作って帰って来た私にヨアキムくんとファンヌは誤解しているが、そんな荒事はなかった。
「喧嘩はしてないよ。ちょっと、椅子から落ちただけ」
正確にはセシーリア殿下が悪戯心を出して、私を膝の上に抱っこして、ショックと恥ずかしさで気絶してしまった私をランナルくんが突き飛ばして膝から落としたので、テーブルに頭をぶつけて床に転がってしまった、なのだが、本当のことは恥ずかしくて言えるはずがない。
13歳にもなるのにセシーリア殿下という大人の女性の膝に抱かれて、驚きとショックで気絶してしまっただけでも恥ずかしい。セシーリア殿下からすれば背も低くて華奢な私は子どもに思えるのかもしれないが、気軽に膝の上に抱き上げるなんてことはして欲しくなかった。
身分の差があるし、私もお兄ちゃんも強く言えなかったがセシーリア殿下の悪戯には困ったものだと思っていた。
「頭をぶつけたの? 兄様、痛い?」
「ずきずきする……吐き気が出たらすぐに教えてってお兄ちゃんは言ってた」
「オリヴェル兄様が戻るまで、僕たち、この部屋にいましょうか?」
医者の資格もあるお兄ちゃんは頭を打ったときの処置についてエレンさんに聞きに行っていた。怪我をして安静にしているときに一人でいるのは寂しいのではないかと気を遣ってくれるヨアキムくんとファンヌにはありがたかったが、私は少し一人になりたかった。
「眠ってるから平気だよ。ありがとう、ヨアキムくん、ファンヌ」
「何かあったら呼んでくださいね」
「人参さん、頼んだわよ」
知らせに走れるようにファンヌは自分の人参マンドラゴラを私の枕元に置いて行った。
目を閉じて今日の出来事を思い起こす。
自分勝手な前国王には腹が立ったが徹底的に利用してやることにして怒りは治めた。その後にあんな事故が起きてしまって、ランナルくんは土下座をして謝って、私はお兄ちゃんの秘密を知った。
「お兄ちゃんは、腕力のあるひとだったんだ……」
考えたことはなかったが、お兄ちゃんは普通よりも体格が良くて背も頭一つ大きくて、立派な成人男性である。腕力が強くても不思議ではないのだが、優しくて穏やかな性格がそんな風にはお兄ちゃんを見せていなかった。
「私のためにあんなに怒って……扉ももいで、茶器も割って……」
自分が襲われたときすら他人を傷付けることを好まなかったお兄ちゃんが、私のために茶器と扉を破壊した。大事な弟を傷付けられてそれだけ怒っていたのだろうが、私はそのことにときめきを覚えてしまった。
お兄ちゃんは私を特別大事に思っているが、普段見せない顔を私に見せるくらい動揺していた。
「お兄ちゃんが、好き……」
呟くと涙で視界が滲む。
こんなことお兄ちゃんに気付かれたら距離を置かれてしまうかもしれない。ただの弟から特別な感情を抱かれていると分かったらお兄ちゃんは私に遠慮してしまうかもしれない。
今の関係を壊したくない。
そのためにはこの気持ちは封印しなければいけない。
それに去年見た夢のこと。お兄ちゃんは可愛い黒髪の女の子を産んでくれる誰かと一緒になるのではないか。予知夢は未来の可能性で確定ではないと分かっていても胸に重くあの夢がのしかかる。
「ただいま、イデオン。涙が出てるけど、まだそんなに痛い?」
「ん、ううん、これは眠くて出ちゃった涙だよ」
横になっているので目じりから耳の方に伝った涙を私は慌てて拭った。帰って来たお兄ちゃんは氷嚢を外して髪を掻き分けて私のこぶをよく見ている。
「吐き気とかはないね?」
「うん、平気」
「今日一日安静にしてて変化がなければ大丈夫だろうってエレンさんは言ってたよ。そんなに高い位置からぶつけたわけじゃないし、気絶して脱力してたからダメージ自体は少ないだろうって」
セシーリア殿下のお膝に乗せられてからランナルくんに突き飛ばされてテーブルで頭を打って床に転げ落ちるまで、全てをお兄ちゃんは見ていたはずだ。気絶していたのと頭を打ったので意識が朧気で私は何が起きたか後で聞いて把握したのだが、見ていたお兄ちゃんには随分と心配をかけてしまったはずだ。
頭を打たなければお兄ちゃんだってあんなにランナルくんに怒ることはなかったし、セシーリア殿下にも険悪な態度を取ることはなかっただろう。
「あれ? お兄ちゃんって、セシーリア殿下と言い争ってたよね」
「あまりにもイデオンのことを酷く扱うからだよ」
怒ることも言い争うこともあまりイメージにないお兄ちゃんが、身分の違うセシーリア殿下にまで険悪な空気を纏っていた。一時期はお兄ちゃんはセシーリア殿下のことが好きなのではないかと誤解したが、どうやらそうではなかったようだ。
ほっとしたような、お兄ちゃんに言えない気持ちを抱いてしまった罪悪感を覚えるような、複雑な気持ちで私は目を閉じた。
打った頭は次の日にはこぶも小さくなって目立たなくなっていた。
魔術学校に登校するダンくんの馬車を待つ私を、お兄ちゃんが見送ってくれる。
「途中で具合が悪くなったら呼んでね」
「分かったよ。行ってきます」
行ってきますのハグをしようとして私は一瞬固まってしまった。
お兄ちゃんは弟として私をハグするわけだけど、私はお兄ちゃんが好きなわけで、そんな気持ちを抱いたままでハグをしていいのだろうか。
「イデオン?」
「い、行ってきます」
ぎこちなく後ろに下がってハグをしないままで私は門の前についたダンくんの馬車に駆け乗った。不自然な動作にお兄ちゃんが首を傾げているのが見えたが、それもすぐに馬車が動き出して見えなくなってしまう。
「フレヤちゃんは、気付いてたの?」
「おはよう、イデオンくん。どうしたの?」
「私が、お兄ちゃんを……」
好きだったこと。
そこまで言えずに真っ赤になった私に、馬車の中で座っていたフレヤちゃんはがたごとと揺られながらにやりと微笑んだ。
「やっと気付いたんだ」
「なんで分かったの!? 私、そんなに露骨だった!? みんな、気付いてるの?」
慌てすぎて身を乗り出してフレヤちゃんを詰問するような姿勢になった私に、フレヤちゃんは意味ありげに笑う。
「ドロテーア・ボールクとケント・ベルマンに冷遇されていたオリヴェル様を助けた幼い英雄イデオンくんと、助けられたオリヴェル様の恋なんて、ロマンチックじゃない?」
フレヤちゃん曰く、幼年学校に私が通い出したころからずっと私とお兄ちゃんの様子を観察していたのだという。ずっと見守っていて、これが恋に違いないと見抜いていた。
「気付いてるのは私だけよ。あ、ダンくんも今知っちゃったかな」
「イデオン、お前、お兄ちゃんが大好きだもんな。弟としてだけじゃなかったんだな」
フレヤちゃんに隠せるわけもなくダンくんにも知られてしまった。
そういうことにしておこうという周囲の声はそのときの私には自分の気持ちで手一杯で気付けなかった。
私の抱くこの想いは伝えられない。
「お兄ちゃんは私のこと、弟としか思ってないよ……」
呟くと涙が出そうで私は奥歯を噛み締めた。
恋とか愛とか、ふわふわ柔らかくて暖かくて甘いイメージしかなかったのに、こんなに苦しいものだなんて知らなかった。
苦い想いを飲み込んで、私はこの気持ちに蓋をした。
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