5.お兄ちゃんの秘密と気付いた気持ち
お兄ちゃんには秘密があった。
それを私は知ることになる。
前国王が退室して国王陛下も退室した後で、セシーリア殿下がランナルくんにお茶とお菓子を持って来させて、私たちを労ってくれた。
「あの様子なら父上も賛成派にならざるを得ないでしょう」
お妃様と離婚できてずっと思っていた恋人と結婚できることになるという利益につられたのだろうが、本音としてはセシーリア殿下と国王陛下の言葉を前国王には心に刻んで欲しかった。
――わたくしは、愛のない結婚も、その結果として生まれた子どもも不幸だと思います
――セシーリア、アンドレア、お前たちには申し訳ないことをしたと……
――分かっていらっしゃるなら、どうして理解してくださらないのですか!
感情的になってしまった国王陛下はお兄ちゃんよりも一つ年下なのだ。12歳で責務を押し付けられて十年近くこの国を必死に守って来た。宰相とセシーリア殿下と助け合ってなんとかこの国を良い方向に発展させようとする国王陛下のお気持ちが、前国王には届いていないようで胸が苦しい。
体の弱さを理由にさっさと退位をして自由の身となった前国王の無責任ぶりは私でも腹が立つくらいだった。
「賛成派として意見を述べていただきましょう」
「王家にはもう関わりたくないと仰っておいででしたよ」
「お妃様との離婚を手伝う対価にすればいいのです」
こうなったら徹底的に利用してやる。
腹黒いことを考える私にセシーリア殿下は目を細めていた。
「イデオン様はお優しいですね」
「性格が悪いと言うのですよ、こういうのは」
「いいえ、お優しいです。こちらに」
手招きされてセシーリア殿下の前に立つと、椅子に座ったままセシーリア殿下は私を向かいに座るお兄ちゃんの方に向かせた。何事かと首を捻っていると腰を掴まれて強く引かれる。
バランスを崩した私はセシーリア殿下の膝の上に座るような格好になってしまった。
「まだ華奢で可愛らしいこと」
セシーリア殿下の膝の上に私は座っている。
なんで?
疑問符が浮かんでくる。
何が起きているのだろう。降りなければいけないという気持ちと、お兄ちゃん以外のひとの膝の上に乗ってしまったというショックと、お腹に回されるセシーリア殿下の腕の感触に気が遠くなる。
小さな頃から私はお兄ちゃん以外のひとに抱っこされないし、膝の上にも座ったことはほとんどない。
「セシーリア殿下の膝の上に座るなど、不敬だ!」
ランナルくんの声が遠くに聞こえた気がした。
ガツンッと激しい打撃音が響いて、私は自分がどうなっているのか分からないままでいた。ランナルくんの靴が私の霞んだ視界に映っている。
「イデオン!? なんでイデオンを叩き落とした!」
「お、落ちるとは思わなくて……」
どうやら私はセシーリア殿下の膝の上から落ちて、テーブルに頭をぶつけた挙句、床の上に倒れてしまったようだった。頭が痛くて、セシーリア殿下の膝の上に抱き上げられたのが恥ずかしくて屈辱で、涙が滲んでくる。頭に手を添えるとそこがこぶになっているのが分かった。
痛みと混乱で立ち上がれずにいる私をお兄ちゃんが抱き上げる。
「イデオン、どこをぶつけた? 僕に見せて?」
「お兄ちゃん、頭、痛い……ふぇ……」
前国王との交渉も頑張って、セシーリア殿下にも国王陛下にもお礼を言われたのになんでこんな理不尽な目に遭わなければいけないのだろう。涙が零れる私をお兄ちゃんが抱き上げる。
「セシーリア殿下の膝の上に抱き上げられて気絶してるなんて思わなくて……す、すまない」
「ランナルくん、うちの可愛い弟によくも怪我をさせてくれたね?」
しっかりと私を抱き締めるお兄ちゃんの片腕とは反対の手で、お兄ちゃんが強く茶器を握り締めた。繊細な茶器にひびが入ってぱきりとお兄ちゃんの手の中で割れてしまう。
「お兄ちゃん、手!? 怪我してない?」
「僕は平気だよ……イデオン、痛かったよね」
抱き締めてこぶのできた頭を撫でてくれるお兄ちゃんに私はようやく何が起きたかを把握し始めていた。
セシーリア殿下の膝の上に抱っこされて、驚きとショックのあまり気絶してしまった私をランナルくんが突き飛ばした。気絶していたので抵抗できなかった私はセシーリア殿下の膝の上から落ちて、テーブルで頭を打って床に転がった。
「お、お兄ちゃん……こ、怖かった……」
同意もなく勝手に私を膝の上に乗せたセシーリア殿下も酷いし、気絶しているのを知らないとはいえ突き飛ばして膝から落としたランナルくんも酷い。
痛みと悔しさと悲しみで涙が出るのを、お兄ちゃんは隠すように私を胸に抱きしめてくれる。そのまま扉の所に行ったので帰るのかと思ったらドアノブを握ったお兄ちゃんは、そのまま扉を蝶番ごともいでしまった。
「え!? お兄ちゃん、肉体強化の魔術が使えたの!?」
今まで何度も危機に遭っているが、お兄ちゃんが肉体強化の魔術を使ったことはない。使えないものだと私は信じ込んでいたが、使えたのだろうか。
「違うんだ……これは、ただの僕の腕力。あまり見せたくはなかったんだけど」
実はお兄ちゃんは肉体強化を使って扉をもげるファンヌくらいの腕力を魔術を使わなくても持っていた。穏やかな性格なのでそれを今まで一度も誰にも使ったことがない。
それが私のために怒って使ってくれている。
「ランナルくん、この扉のようになりたくなければ、誠心誠意、イデオンに謝って」
「も、申し訳ありませんでした! 本当にごめんなさい!」
床に膝をついて額を擦り付けるようにして謝るランナルくんに、もいだ扉を投げ捨ててお兄ちゃんは私の髪を優しく撫でる。
「イデオン、どうする?」
「お兄ちゃんが壊した茶器と扉の請求はランナルくんに回してください。せ、セシーリア殿下も、こういう悪戯をしたら、いけません」
ぼろぼろと涙を零しながら訴える私にセシーリア殿下もさすがに静観してはいられなかったようだ。
「怪我をさせるつもりはなかったのです。わたくしの婚約者殿がどれだけ大きくなられているか確かめたくて」
「イデオンは成人した暁には、自分の意志で結婚を決めますので!」
「そうですね、そのために法案を整備しているのですからね」
え!?
唐突に私はお兄ちゃんの思惑を知った。
セシーリア殿下と婚約しているけれど、結婚の法案が審議を通れば私もセシーリア殿下も婚約を解消することも、他の相手と結婚することも可能になる。それを見越してお兄ちゃんはこの法案を通そうと頑張っているのではないか。
穏やかで優しいお兄ちゃんが私のために茶器を壊して、扉をもぐくらい怒ってくれた。
自分のことには欲のないお兄ちゃんが私のことを考えて法案が通るように努力している。
頭が痛くてくらくらする私はお兄ちゃんに抱き上げられたままで、高鳴る胸の鼓動を抑えられなかった。
こんなにも私は大事にされている。
扉をもいだお兄ちゃんの格好良かったこと。
「お、お兄ちゃん、下ろして」
「まだ痛いでしょう? イデオン、僕には甘えて良いんだよ」
「お、下ろしてぇ」
急に耳まで熱くなって私は両手で顔を押さえた。
涙も引っ込んで恥ずかしさで頭が沸騰するくらい顔が熱い。
お兄ちゃんのことが、好きだ。
気付いてしまった。
お兄ちゃんは可愛い弟としてしか私のことを考えていないのに、私はお兄ちゃんのことが好きだった。
多分、ずっと小さな頃からお兄ちゃんの抱っことお膝以外受け入れなかった私は無意識にお兄ちゃんのことを慕っていたのだろう。
今はっきりと分かる。
お兄ちゃんが結婚するかもしれないと考えるたびに胸が痛くなって涙が出てきそうになったのも、お兄ちゃんに好きなひとができるかもしれないと思うと胸が潰れるほどつらかったのも、全部お兄ちゃんが好きだったからだ。
いつからかは分からない。
私はお兄ちゃんが好きだった。
気付いてしまった恋心。
いけない。お兄ちゃんは私のことは弟としか思っていないのに。
恋に気付いた瞬間、私はこの恋を忘れなければいけない事実に直面して、胸の苦しさに新しい涙が零れていた。
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