3.列車の中で
列車が揺れるたび、さりげなくお兄ちゃんがお膝から落ちないように支えてくれる。窓の外を流れる景色は、お兄ちゃんの胸を突いたようだった。
季節外れだが、ようやく育ち始めた薬草畑。農地にはぽつぽつと緑が戻り始めている。いきなりマンドラゴラを育てるのは、栄養剤が手に入らないので、育つまで時間がかかるために、余裕のあるものしかできないが、栄養剤の材料になる薬草ならば、今から育てても十分間に合う。そうしてできた栄養剤が安価で出回るようになれば、またルンダール領もマンドラゴラ栽培で潤うようになるだろう。
私とファンヌに教えたような簡単な栄養剤の作り方を、カミラ先生は積極的に魔術学校や工房で教えるように命じているようだった。少しずつだが、ルンダール領は再建に向けて努力している。
「きいろい、おっちーおはな!」
「向日葵……いや、あれは、向日葵駝鳥だね」
「ひまわりだちょうって、なぁに?」
窓の外を指さしたファンヌが、大輪の向日葵が顔になった駝鳥のような植物に反応すると、お兄ちゃんが教えてくれる。
「秋に種から絞った油が、魔術薬の原料になるんだよ。良く育ってたら、身も食べられるって聞いたことがある」
「おにいちゃんは、たべたことがある?」
「ないかな……叔母上はどうですか?」
「私もありませんね」
食べられるくらいに身が太る向日葵駝鳥は、あまりいないのだとカミラ先生が教えてくれた。その分種にしっかりと栄養を回すのだ。
「収穫の際には、走って逃げ回るし、蹴るし、大変なのですよ」
「わたくち、ちゅかまえたい!」
「まだ収穫の時期ではないですからね。来年は、畑を増やして、向日葵駝鳥も育ててみますか?」
両親にお兄ちゃんが追い出されることも、命を狙われることもなくなったので、私たちは楽しく未来のことを語れる。来年の今頃には、私は幼年学校に入学して一年生になっているだろう。
「ひまわりだちょう、のれるかな?」
「ファンヌちゃんだったら、乗れるかもしれませんね」
肉体強化の魔術を使えるファンヌならば乗れるかもしれないが、私ならば蹴られておしまいな気がする。
しばらく外の景色を楽しんでいると、きゅるるるるとファンヌのお腹が鳴った。体が小さいので、ファンヌはすぐにお腹が空く。小さいから仕方がないと言おうとしたところで、私のお腹も鳴ってしまった。
「そろそろ、お昼ご飯にしましょうか」
恥ずかしくてお兄ちゃんの膝の上で俯く私に、リーサさんがトランクを開けて、中からサンドイッチの入ったバスケットと水筒を取り出した。バスケットは二つあって、お兄ちゃんとファンヌと私とカミラ先生の分、セバスティアンさんとリーサさんの分と、分かれているようだった。
「どうぞ、お召し上がりください」
飲み物もコップに用意してくれて、私たちの分のバスケットを広げるが、リーサさんとセバスティアンさんは自分たちの分に手を付けない。手を拭いてもらったファンヌが早速鶏肉とキャベツのサンドイッチを持って、もしゃもしゃと食べ始めるのに、私はリーサさんとセバスティアンさんが気になって、まだ手を付けられなかった。
「おふたりはたべないのですか?」
「使用人はご主人様と一緒に食事は致しません」
「おなじコンパートメントにいるのですよ。いっしょじゃないなんて、さびしいです」
私たちに配慮して、時間をずらしたり別の場所で食べたりするのは、一緒に旅をしているのに寂しい。そう私が主張すれば、カミラ先生も同意してくれる。
「私が帰った後は、リーサさんとセバスティアンさんが子どもたちの保護者になるのです。家族旅行ですから、みんなで食べましょう?」
「よろしいのですか?」
セバスティアンさんも躊躇っていたようだが、カミラ先生に促されて、バスケットを開けてリーサさんと一緒にサンドイッチを食べ始めた。当然のことながら、作ってくれたスヴェンさんは、私たちのサンドイッチとセバスティアンさんとリーサさんのサンドイッチに、差などつけていなかった。
美味しいお昼ご飯が終わると、朝早くから準備をしていたので眠くなってしまう。
せっかくの家族旅行なのだから楽しみたいのに、眠気で頭が重くなって、うとうとと眠り始めた私を、お兄ちゃんは膝から降ろして、膝枕をしてくれた。閉じそうな目で見たファンヌは、カミラ先生のお膝に抱っこされたまま、涎を垂らしてぐっすり眠っている。
「おにいちゃん、ねたくない……」
「眠っていていいよ。眠るのも身体を育てることになるからね。着いたらちゃんと教えるから」
「おにいちゃんと、れっしゃのたび……」
もっとお兄ちゃんと話して、感動を分かち合いたかった。
しかし、お腹がいっぱいで眠たい5歳児が睡魔に抗えるはずもなく、私はぐっすりと眠っていた。目が覚めて、まだ列車に乗っていたことに、私はほっと胸を撫で下ろす。
楽しい列車の旅は、まだ終わっていない。
起きると伸びをして、またお兄ちゃんのお膝の上に乗せてもらう。
「おちっこ!」
「ファンヌちゃん? 目が覚めましたか」
「もれちゃう!」
「急いで行きましょうね」
列車の中で漏らさないようにと気を張っていたのだろう。眠っていたファンヌが突然飛び起きた。カミラ先生にお手洗いに連れて行ってもらって、戻って来たファンヌは、すっきりとした顔をしていた。
「もらたなくてよかった」
「ちゃんと起きて偉かったですね」
「カミラてんてー、ずっとだっこちてくれてありがと」
「いいえ、ファンヌちゃんは全然重くなかったですよ」
親子のように話しているファンヌとカミラ先生。自分が顧みられなかった母親という存在を、ファンヌはカミラ先生の中に見ているのかもしれない。
「カミラせんせいは、どくしんですよね。ごけっこんは?」
「政略結婚をするくらいなら、ファンヌちゃんを養子にもらって、跡継ぎにしますね」
「結婚されないのですか、叔母上?」
「好きでもない相手と結婚することはないでしょう?」
若く美しく見えるカミラ先生だが、強い力を持つ魔術師は往々にして、自分の若さを保つ魔術を使っている。年齢不詳のカミラ先生が結婚しないことを、今のオースルンド領の領主であるご両親はどう思われているのか。
カミラ先生の笑顔が怖くてちょっと聞けない私だった。
おやつを食べて少ししたら、目的の駅に着いた。
荷物を纏めて列車から降りると、嗅いだことのない匂いがする。
「これが、うみのにおいですか?」
「そうですね。潮の匂いです」
お兄ちゃんと手を繋いで駅から出ると、迎えの馬車が来ていた。
カミラ先生が私、ファンヌ、お兄ちゃんを順番に抱き締める。
「私は仕事でお屋敷に戻らねばなりませんが、あなたたちは楽しんでくるのですよ?」
「はい、叔母上」
「カミラてんてー、いないの?」
「カミラせんせいは、とうしゅだいりとして、おしごとがあるんだよ」
「お迎えには来ますので、三日後、またここで会いましょうね」
帰りの列車もカミラ先生と一緒に乗れるということで、ファンヌもカミラ先生との別れを納得した。リーサさんに支えられて、ファンヌが馬車に乗り、私とお兄ちゃんも乗る。最後にセバスティアンさんが乗って、馬車の扉を閉めた。
がたごとと揺れる馬車。お屋敷の近くの街の道は、凸凹だが石畳で舗装されているが、この街の道は舗装されていない。ときどき大きく馬車が揺れて、私は座席から転がり落ちそうになった。ファンヌは見事に転がり落ちて、ころりんころりんとお兄ちゃんの足元に落ちてしまった。
「ファンヌ、痛くなかった?」
「いちゃくない。わたくち、ちゅよい」
「僕が抱っこしようか?」
「おにいちゃんが?」
妹のファンヌでも、お兄ちゃんが抱っこするのはなんとなく胸がもやもやとする。それが独占欲だなんて、5歳の私に分かるはずがない。
「あらまぁ、イデオン様ったら。凄い顔をされてますよ? わたくしが抱っこ致しましょうか?」
リーサさんに言われたが、私はどんな顔をしていたのだろう。どちらでもファンヌは構わなかったようで、大人しくリーサさんに抱っこされていた。
馬車の窓の外に、海が見える。
「うみ……おにいちゃん、あれが、うみ?」
「海だと思うよ。そうですよね、セバスティアンさん?」
「えぇ、これが海ですよ」
松林の向こうに広がる砂浜と、広い広い水たまり。さざめく波の音に、私もファンヌも夢中で窓にへばりついていた。
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