3.ダンくんとフレヤちゃんとの登下校
朝の薬草畑の世話をするとシャワーを浴びて朝ご飯を食べて、着替えて魔術学校に行く準備をする。時間になるとクリスティーネさんが制服を着て玄関で待っていてくれた。ルームシューズを靴に履き替えてクリスティーネさんと手を繋ぐ。
今年で18歳になるクリスティーネさんは大柄ではなく、中肉中背だったが私よりも背が高い。それなのに握った手が華奢で小さく感じられるのは私が男性でクリスティーネさんが女性だからだろう。
お兄ちゃん以外のひとと手を繋ぐのは毎日のことでも慣れなくて照れ臭いような気分になってしまう。それでも私一人のために馬車を出してもらうのも申し訳なかったから、私はクリスティーネさんと魔術学校に登校していた。
その話を魔術学校でダンくんにすると、教科書とノートと筆記用具を揃えながらダンくんはフレヤちゃんの方を見た。
「ルンダール家なら、ベルマン家からフレヤちゃんの家を経由して、通り道だから一緒に登校するか?」
「いいの? その……邪魔じゃない?」
声を若干顰めて問いかけるとダンくんは半眼になる。
「いいんだ……全然意識されてないから」
「あぁ……」
ダンくんはきっとフレヤちゃんのことが好きなんだろうなぁとは感じるのだが、それはフレヤちゃんには全く通じていない。フレヤちゃんが興味があるのは魔物のことと魔術学校の勉強のことばかりだった。
「イデオンくん、オリヴェル様の補佐になったの?」
それから、何故かよく分からないけれど私とお兄ちゃんのこともすごく気にしている。
「補佐って言うか、執務室のお兄ちゃんの隣りの椅子に座ってることが多いけど」
デスクのスペースを空けてもらってやっていることは魔術学校の宿題だったり、ルンダール領の経営のための書類を見せてもらったりするだけなのだが、将来的に当主の補佐になるつもりの私には勉強になることばかりだった。
少しの情報でも逃すまいとお兄ちゃんの隣りの席にずっと座っているから、ときどきカミラ先生とビョルンさんが心配してくれていた。
「イデオンくんは遊びに行ってもいいのですよ」
カミラ先生にそう促されてもお兄ちゃんがいなければどこかに出かけるのもつまらないし、何かをして遊ぶという発想も私にはなかった。することがないときは本を読んでいたりもするが、お兄ちゃんから声をかけられたらすぐに反応して本に栞を挟んで閉じる。
「やっぱり、イデオンは俺たちと登校した方が良いよ。下校するときも馬車に乗って行けよ」
「そうかな。甘えちゃっていい?」
クリスティーネさんと毎日手を繋いで移転の魔術で登下校するのは慣れないので、私はダンくんの申し出に甘えることにした。クリスティーネさんには昼休みの間に伝えておいて、今日の帰りからダンくんの馬車に乗せてもらう。
お弁当はなんとなく中庭に来て、研究課程の生徒が階段から降りて食堂に向かうのを見ながら、木陰のベンチで食べていた。あの研究課程の生徒の中に一際背が高くて、前髪を撫で付けた穏やかな笑顔のお兄ちゃんが混じっているかもしれない。
そんなことがあるはずはないのにどうしても目が勝手にお兄ちゃんの姿を探してしまう。
お兄ちゃんとお弁当を食べられた一年間はかけがえのないものだったけれど、足早に通り過ぎてしまった。卒業したお兄ちゃんが当主様として仕事をしている様子を見ているのに、私はまだお兄ちゃんとお弁当を食べたくて、寂しくて一人でベンチに座っている。
「イデオン、お昼一緒に食べないか?」
「ううん、ごめんね」
ダンくんが誘ってくれても私はお昼だけは断っていた。
「イデオンくん、隣りに座っていい?」
「ダメ。一人で食べたいんだ」
イェオリくんも親し気に近付いて来るけれど、私は一人でお弁当を食べることをやめない。このベンチに座ってお兄ちゃんと一緒にお弁当を食べた。お兄ちゃん以外のひととこのベンチに座ってお弁当を食べるつもりはない。
一人で食べるお弁当は味気なくて、水筒の花茶の良い香りにも心が躍ることはなかった。
帰りにダンくんとフレヤちゃんと馬車に乗ると、ダンくんが寄り道に誘ってくれた。
「アイスクリームを食べて帰らないか?」
「フレヤちゃんと三人で?」
「私、カシスのアイスがいいな」
それくらいの寄り道なら悪くないと馬車から降りてお店でアイスクリームを買っていると、隣りの雑貨を売っているお店のディスプレイが目に入った。
この時期は天気が良いとそこそこ暑くはなるが、まだ魔術で部屋を冷やすほどではなくて、お兄ちゃんの執務室も窓を開けて風を入れている。吹いてくる風は心地いいのだが、書類が飛んでしまうことがしばしばあった。
お兄ちゃんは適当に本や筆箱を書類の上に置いていたけれど、お店に飾ってある透明なガラスに花を閉じ込めたリンゴの形のペーパーウエイトが目に留まったのだ。
「ダンくん、フレヤちゃん、ちょっと待ってて」
お店に飛び込むとディスプレイのペーパーウエイトを示す。
「あれ、ください」
店員さんはすぐに箱に入った在庫を出してきてくれた。受け取ってお金を支払ってボディバッグの中に入れて戻ってくると、フレヤちゃんが真っ赤なカシスのアイスクリームを食べながらにやにやしている。
「オリヴェル様のこと、考えてたんでしょう?」
「なんで分かったの?」
「イデオンくんは、いつもオリヴェル様のことばかり考えてるもの」
それを何と言うのか。
賢い頭で考えてみたらと言うだけでフレヤちゃんは答えは教えてくれなかった。私はシンプルなミルクのアイスクリームを食べて、ルンダール家まで馬車で送ってもらった。
先に帰っていたクリスティーネさんが既に報告はしてくれていただろうけれど、玄関でルームシューズに履き替えると真っすぐに執務室に向かう。
「お兄ちゃん、カミラ先生、ビョルンさん、ただいま!」
「お帰り、イデオン」
「お帰りなさい、イデオンくん」
三人に迎えられて私は改めて明日からの登下校のことをお兄ちゃんに相談した。
「ダンくんがフレヤちゃんの家を経由して、ルンダール家で私を乗せて馬車で連れて行ってくれるって言ってるんだ」
「友達と登下校するのは楽しそうだね」
「寄り道してきちゃった……」
ボディバッグを探って私はペーパーウエイトの入った箱を取り出した。お兄ちゃんは受け取って丁寧に箱を開けて緩衝材を取り除く。
透明なガラスのリンゴの形をしたペーパーウエイトには、青い花が閉じ込められていた。
「とても綺麗だね。重みがあって使いやすそう」
「風で書類が飛んじゃうことがあるから、お兄ちゃんにプレゼント」
「ありがとう、イデオン」
立ち上がったお兄ちゃんが机を回って私の前に来て私を抱き締めてくれる。
ただのお帰りなさいのハグなのだろうけれど、私は胸がドキドキとしてしまった。
「友達と寄り道することも、イデオンくんには必要ですね」
「ダンくんとフレヤちゃんと登下校できるようになって良かったです」
カミラ先生もビョルンさんも微笑ましそうに私とお兄ちゃんを見ている。
一度部屋に戻って着替えてから、私は子ども部屋を覗いた。ファンヌとヨアキムくんがエディトちゃんとコンラードくんと遊んでいる。コンラードくんはスイカ猫のスーちゃんと人参マンドラゴラのニンちゃん、エディトちゃんは蕪マンドラゴラのブーちゃんと大根マンドラゴラのダーちゃんを隣りの椅子に座らせて、みんなでお絵描きをしていた。
「イデオン兄様、お帰りなさい」
「コンラードくんはもうオースルンド家に慣れたのかな?」
振り返ったヨアキムくんが挨拶をしてくれて手を振ると、全員が私のところに駆けよって来る。
「こー、おうち、ここ」
「こーちゃん、こんどはだっそうしはじめたの」
「え!? 脱走!?」
泣き喚いてもルンダール領に連れ帰ってもらえないと分かったコンラードくんは、今度は実力行使に出たようだった。毎日保育所から脱走して、先生たちを困らせているという。
「ははうえが、こんまけして、まいしゅうまつ、アイノちゃんのところにつれていくっていったら、やっとなっとくしたのよ」
コンラードくんは最終的に自分の要求を通してしまった。
「わたくしも、アイノちゃんのおうちにいきたかったから、つれていってもらうけど」
そして、エディトちゃんはちゃっかりと自分の要求を弟の我が儘に上乗せして通してしまった。
カミラ先生も大変な苦労をしたはずだ。
お疲れ様の気持ちも込めて、私は花茶を淹れて執務室に零さないようにお盆に乗せて運んで行ったのだった。
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