19.魔術学校の二学期
オースルンド領のお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様は言っていた。
「貴族社会では今、跡継ぎ問題に悩まされているものが多いのです」
「跡継ぎを争って骨肉の争いが起きているのですか?」
「逆ですよ、イデオンくん」
お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様の話では、跡継ぎになりたくない貴族が増えているというのだ。
「貴族社会の煩わしさ、背負わなければいけない領民たち、面倒な責務、そして好きな相手と結婚することもできない現実」
「それらが貴族の若者を後継者になることから遠ざけようとしています」
アシェル家やノルドヴァル領の領主の家などを見ていると後継者を育てること、政略結婚を推し進めることに必死になっているように見えるが、それに若い貴族たちは反発しているという。
「今回の署名はいい機会だと思います」
「貴族社会に新しい風を吹かせるでしょう」
好きなひと以外と結婚しないと決めていたカミラ先生を認めていたオースルンド領の領主夫婦のお二人。お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様は貴族の結婚全体を見直す法案についてそんな見解を持っていたのだ。
驚くと共にお二人がとても柔軟で理屈の分かるひとだと尊敬の念がわいてくる。こういうひとたちの元で育てられたからこそ、カミラ先生やカスパルさんやブレンダさんは自由に伸び伸びと生きられているのかもしれない。
オースルンド領から帰る直前にイーリスさんがお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様を訪ねて来た。明るいミントグリーンのドレスを着てセピア色の髪を青い花のコサージュで纏めたイーリスさんは清楚で美しかった。
「ブレンダ様のことを尊敬し、愛しております。親の言いなりだったわたくしが、初めて自分で選んだ方です」
「イーリス嬢のことは……その、好ましく思っているよ」
「結婚の法案が通れば、わたくしたちの結婚をお許しください」
深々と頭を下げるイーリスさんに、お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様は柔らかい表情で二人を見ていた。
「許可などいりませんよ」
「法案が通れば、結婚は両者の意志があればできるようになるのですから」
「それでも、わたくしはブレンダ様を産み、育ててくださったご両親に認められたいのです」
「ブレンダの選んだ方です。認めないはずがありましょうか」
和やかに話は進んでイーリスさんはブレンダさんにもたれかかって涙ぐんでいた。覚悟を決めて同性同士の結婚の法案の署名を募り始めたのだろうが、貴族社会でイーリスさんがどれだけ陰口を叩かれて異端扱いされているかは想像に難くない。
それでも自分のためだけではなく、これまで主張できなかったたくさんの貴族たちのためにイーリスさんは活動している。同性同士の結婚だけではなく、政略結婚や離婚問題にまで踏み込むことになってしまったが、イーリスさんは文句ひとつ言わず活動を続けてくれていた。
「スヴァルド領ではほとんどの貴族が署名をしてくれました」
「オースルンド領も署名が集まっています」
「ルンダール領も頭の固い少しの貴族以外は署名が集まりました」
残るはノルドヴァル領だけ。
イーリスさんとお兄ちゃんのお祖母様とカミラ先生が報告をする。
そこまで署名活動は進んでいた。
「ノルドヴァル領でも全員とはいかないようですが、過半数は賛成してくれていると聞いています」
「ノルドヴァル領から署名が届けば、セシーリア殿下を通して国王陛下にお目通り願いましょう」
イーリスさんの言葉にカミラ先生が強く頷いた。
夏休みが終わる。
ルンダール領に帰って夏休み最後の夜、宿題が全部揃っているのを確認して私はボディバッグに新学期の教材と共に宿題を入れた。部屋に来ているヨアキムくんとファンヌも私とお兄ちゃんに宿題を確認してもらっている。
「自由研究がこれで、算数、国語、社会……」
「わたくし、縫物もしたのよ」
「僕も巾着を縫ったよ」
幼年学校では縫物の授業もあっているようだ。私はやった覚えがないのでヨアキムくんとファンヌの代からの新しいカリキュラムなのかもしれない。
全部揃えてポシェットと肩掛けのバッグに入れるのを確かめて、ヨアキムくんとファンヌにお休みの挨拶をした。
「オリヴェル兄様、わたくしにはおでこにキスしてくれないの?」
「ファンヌちゃん、オリヴェル兄様は恥ずかしがり屋さんなんですよ」
「あら、兄様だけ特別なのね」
去り際にファンヌとヨアキムくんに言われて私は真っ赤になってしまった。最近はお兄ちゃんはおでこにキスで「お休み」はしていないけれど、小さい頃からずっとしてくれていたのでそれが普通だと思い込んでいた。
「お兄ちゃんはなんで、私だけ……」
「イデオンは特別だって言ったでしょう。母が……朧気にしか覚えていないんだけど、眠れないときに母がおでこにキスをしてくれてたんだ」
それを私にすることでお兄ちゃんはアンネリ様を思い出して慰められていたのだろうか。そうだったら良いと思わずにはいられない。
幼年学校に入学する前にはお兄ちゃんとずっと一緒にいられないと夏休みの終わりが悲しくて泣いたことがあったが、今はそんなことはない。それどころか夏休みが終わって魔術学校に行くのが楽しみなくらいだった。
「明日のお弁当、何かな?」
「一緒に食べようね」
「空き教室で食べようね。まだ暑いから」
二人で話しながら隣り同士のベッドに入って眠りについた。
その夜、私は夢を見た。
お兄ちゃんが黒髪の女の子を抱っこしている。
今よりも年上に見えるお兄ちゃんが何歳なのか分からない。
「ぱぁぱ、ねんねちよ?」
女の子がお兄ちゃんに話しかけている。
「僕で良いの?」
優しい声でお兄ちゃんは答えていた。
目か覚めて私はお兄ちゃんを見る。お兄ちゃんも同じ夢を見たようで驚いた顔をしていた。
お兄ちゃんに可愛い娘ができる。
それが未来の可能性だとしたら、私は泣くほど胸が痛かったがそのことを必死に忘れようと心がけた。
新学期初日も早朝にお兄ちゃんの領地に行って、お茶畑の世話を手伝った。ヨアキムくんのお祖父様とお祖母様も一緒にお茶畑に出て手伝ってくれている。エディトちゃんはコンラードくんに一生懸命雑草抜きを教えていた。
「んちょ、んちょ」
「ねもとをもたないと、ねっこからぬけないわ」
「ここ?」
「そうよ、ねもと……あぁ、ちぎれちゃった」
「ごめしゃい」
「ううん、あやまらなくていいのよ。だれでもしっぱいはするもの」
雑草が上手く抜けなくてもエディトちゃんはコンラードくんを責めることはない。それはエディトちゃん自身がファンヌやヨアキムくんにされてきたことで、元を辿ればお兄ちゃんが私やファンヌにしてくれたことだった。
ルンダール家の子どもたちの伝統はお兄ちゃんから始まっている。
「お兄ちゃんはお母様のことどれくらい覚えているの?」
お兄ちゃんの領地のお屋敷でシャワーを浴びて着替えて、エディトちゃんとコンラードくんとファンヌとヨアキムくんがヨアキムくんのお祖父様とお祖母様に送られて馬車で出かけた後、移転の魔術のために私はお兄ちゃんと手を繋いでお兄ちゃんを見上げた。
移転の魔術を紡ごうとしていたお兄ちゃんはちょっと考えたようだった。
「もしかするとなんだけど……あの歌」
「どの歌?」
「イデオンがリーサさんから教えてもらって僕のお誕生日に歌ってくれた歌」
あのときはまだ私は小さかったので歌詞の意味など知らなかったが、あれが恋する相手を求める歌だと後々に知った。今でも歌えるのだが、歌詞の意味を知っているだけにあまり口にしたことはない。
「母が歌っていたような気がする」
「本当?」
リーサさんはアンネリ様が歌っていたのを聞いて覚えたのかもしれない。そういう可能性もあると私は帰ったら聞いてみようと思っていた。
手を繋いだお兄ちゃんが移転の魔術を使う。空間が歪んで私たちは魔術学校の前に出ていた。研究課程は魔術学校の入口から見える中庭にある階段を昇って行けばいいので私はそこまでお兄ちゃんを送っていく。
階段の下でお兄ちゃんは私を抱き締める。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」
「イデオンも行ってらっしゃい」
「うん、行って来るね、お兄ちゃん」
お互いにしっかりとハグをして「行ってきます」と「行ってらっしゃい」をして私たちは別れた。昼休みにはここで待ち合わせをして、空き教室でお昼ご飯を食べる。
今だけはお兄ちゃんを独占できる。
魔術学校の二学期が始まった。
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