1.新しい夏
始まりました、二章。
基本はほのぼのですが、プチざまぁや、イデオンがピンチに陥ることもあるので、楽しんでいただけると嬉しいです。
ケント・ベルマンとドロテーア・ベルマンの夫婦は、ルンダール家の領地欲しさに前当主アンネリ・ルンダールを殺害した罪で、終身刑となった。
カミラ先生も同席して、警備兵からその報告を聞いたときに、私の頭の上には大きなクエスチョンマークが飛んでいたに違いない。ファンヌもよく分からなかったのだろう、首を傾げている。
「ご子息とご息女にはまだ難しかったでしょうか?」
報告してくれた警備兵は内容が、5歳の私と3歳のファンヌには難しかったと思ったようだが、私たちが分からなかったのは、そういうことではなかった。
「ケント・ベルマンってだれですか?」
「ドロテーア・ベルマンって、だぁれ?」
誰も教えてくれなかったし、私たちの生活には一切必要のないものだから、私とファンヌは、両親の名前を知らなかった。
「ケントがお二人の父親、ドロテーアが母親ですよ」
「そんななまえだったのですね」
「ベルマンって、なぁに?」
「ルンダールに入り婿に来ましたが、アンネリ様との間に子どもはできませんでしたし、一時的な当主として、ケントはルンダールを名乗ることは許されなかったのです」
「どゆこと?」
「ちちうえの、みょうじ……おうちのなまえだよ」
警備兵、カミラ先生、私の説明を受けて、やっとファンヌは納得したようだった。
「イデオンとファンヌは、両親の名前も知らなかったんだね」
「ひつようなかったから」
「もう、いらにゃいの」
「うん、これからもひつようないよね」
教えれば良かったと後悔するお兄ちゃんに、私とファンヌは全く気にしていなかった。あの二人の名前を記憶しておくくらいなら、別のことを覚えておいた方が良い。たくさん単語を覚えて勉強しているが、毎日覚えられることの少なさに、私はやきもきしていた。
両親の罪状が決まって、処されることになっても、私とファンヌの暮らしは変わらなかった。ルンダール領の魔術学校に戻ったお兄ちゃんは、夏休みに入って、長い時間傍にいてくれるし、カミラ先生が一緒に課外授業で街にも連れて行ってくれる。
薬草市に連れて行ってもらったときには、お兄ちゃんはその惨状に真剣な表情になっていた。
「薬草を売りに来たときも思ったのですが、これが薬草栽培で栄えたルンダール領の薬草市なのかと、申し訳なくなります」
市場の露店に薬草は少なく、売り買いしているひともほとんどいない。重税からやっと解放されて、農地を手放したものには取り戻せるように資金援助が始まったが、まだ薬草を栽培して収穫し、売りに出す段階には入っていなかった。
「アンネリ様が生きていた頃のように、この地を薬草栽培で潤しましょう」
「がっこうのおかねもさげないと」
「イデオン、そんなことを考えていたの?」
「カミラせんせいから、きいたの。ほんとうにりょうちにだいじなのは、おかねじゃなくて、じんざい、にんげんなんだって」
良い人材を育てるためには学問が必要だ。そのためには、魔術学校に入るための費用を、私の父親が考えなしに上げようとしていたのを、逆に下げて行かなければいけない。
優秀な人材はオースルンド領では奨学金が出て、進学を領で支えていくのだと聞いていたが、ルンダール領で父親がため込んだ金を吐き出せば、それくらいできるはずだった。
身振り手振りでその話をすると、お兄ちゃんが驚いた顔から、笑顔になる。
「やっぱり、イデオンはとても賢いね。僕の自慢の弟だ」
将来はお兄ちゃんの力になりたい。
それを願う私は、早く大人になりたくてたまらなかった。
それと同時に、お兄ちゃんがずっと傍にいてくれて、私もファンヌもどこに行かなくていいという安心感から、私はお兄ちゃんに甘えたくてたまらなくなっていた。
「とおくまでいちをみたいな。おにいちゃん、だっこしてぇ」
「おいで、イデオン」
両腕を広げられて、お兄ちゃんの腕の中に飛び込む。抱き上げられると、視線が高くなって、市が遠くまで見晴らすことができた。薬草は売り買いされているが、その数は多くはない。
「びぎゃ!」
「にんじんたん、かってにでちゃ、めー!」
ファンヌの人参のポシェットから顔を出した人参マンドラゴラが、怒られて顔を引っ込める。一瞬しか顔を出さなかったのに、薬草を売っていた露店の主人は、それを見逃さなかった。
「お嬢ちゃん、マンドラゴラを持っているのかい?」
「わたくちの、にんじんたん」
「それを売ってくれないかな? 美味しいお菓子がいっぱい買えるよ?」
「にんじんたん、やぁのー! カミラてんてー!」
助けを求めて、カミラ先生の足元に逃げて行ったファンヌを宥めて、抱き上げ、カミラ先生が露店の店主と話してくれた。
「マンドラゴラが性急に必要なのですか?」
「実は、重税のせいで栄養失調になったものたちが、良くない病に罹っておりまして、それを治療するために、マンドラゴラを求めている医者がおります」
マンドラゴラは一匹丸々ではかなり高価だが、大きければ大きいほど、一匹から作れる魔術薬の量は多くなる。マンドラゴラのエキスはほんの少しでも非常に強い効果があるから、高く売れるのだ。
一匹で何人ものひとの命を救えるのならば。
そう考えたのは、私だけではなかったようだ。
私の肩掛けの鞄から出て来た大根マンドラゴラと、蕪マンドラゴラと、ゴボウマンドラゴラが、「びぎょえ」「びょえ」と話し合って、すっとカミラ先生の前に出た。
「良いのですか?」
「びゃびゃ」
「イデオンくんも良いのですか?」
「やまいにかかるほどこんきゅうさせたのは、ちちうえのつみです。マンドラゴラがなっとくしていて、やくにたつのであれば」
別れはつらかったけれど、私もマンドラゴラも納得していた。細い根っこの手で私と握手をして、大根マンドラゴラと、蕪マンドラゴラと、ゴボウマンドラゴラは売られて行ってしまう。きっとひとの命を救うために役に立つはずだ。
屋敷に戻ると、マンドラゴラと別れた私のために、カミラ先生はお兄ちゃんに薬草畑に私とファンヌを連れて行くように言った。
「私は当主代理としての仕事がありますから、オリヴェル、二人を畑へ連れて行ってくれますか?」
「分かりました。イデオン、今日は偉かったね。大事なマンドラゴラを手放しても、ひとを救おうとして」
手を引いて薬草畑に行くと、ファンヌのマンドラゴラがぴょんとポシェットから飛び出した。両手を広げて「ぴゃー!」と声をかけると、一番奥の畝から、マンドラゴラがぞろぞろと出て来る。
マンドラゴラ同士で「びびゃ」「ぎょえ」と話し合って、ジャガイモマンドラゴラと、蕪マンドラゴラと、大根マンドラゴラが歩み出て、残りはまた土の中に入って行った。
「わたしは、おなかまをうったんだよ? それなのに、ついてきてくれるの?」
「びゃ!」
返事をされて、涙ぐみながら私は丁寧にジャガイモマンドラゴラと、蕪マンドラゴラと、大根マンドラゴラを洗った。前のマンドラゴラは病気のひとのために売られて行ったが、私には新しい仲間ができた。
部屋に戻って、おやつを食べていると、仕事の休憩時間になったカミラ先生がやってくる。
「マンドラゴラを売って得たお金は、イデオンくんのものですが」
「まずしいひとに、きふしてください」
「それは、売られて行ったマンドラゴラの気持ちを裏切るようなものです。イデオンくんのために使いましょう」
急に手に入れたお金は、5歳の私には多すぎる。
欲しいものがあるかと言われたら、薬草の本とかそういうものしか浮かばないが、そういう使い方でいいのだろうか。初めてお金を手にした私は、使い方が分からずに、お兄ちゃんに助けを求めていた。
「おにいちゃん、したいこと、ある?」
「僕じゃなくて、イデオンのために使わないと」
「わたしは、だいすきなおにいちゃんのためにつかいたいんだけど」
「わたくちは?」
「もちろん、ファンヌのためにも……ファンヌ、したいことがあるの?」
問いかけにファンヌはおやつのカップケーキを口に詰め込んで、椅子から飛び降りた。お口に物を入れたまま歩くのはお行儀が悪いが、それだけファンヌは急いでいたのだろう。
戻って来たファンヌが持ってきたのは、文字の練習のために大きく絵が描いてある教科書だった。開いてあるページは、黒い鉄の乗り物が描かれていて、その下に「れっしゃ」と文字の書かれているページだった。
「こえ、のりたいの」
「れっしゃ! わたしものったことない。おにいちゃんは?」
「僕も乗ったことないよ」
移転の魔術が使えないひとたちの移動手段は、近距離だと馬車、長距離だと列車になるが、私もファンヌもお兄ちゃんも、一度も列車に乗ったことがない。乗り物だと知っているが、実物を見たこともない。
「わたしものってみたい……カミラせんせい、このおかねで、れっしゃにのれますか?」
「わたくちも、のりちゃい!」
「わたしと、ファンヌと、おにいちゃんと……カミラせんせいも!」
興奮して話す私は、5歳児らしかっただろう。両親がいた頃と違って、今はお兄ちゃんにもカミラ先生にも、存分に甘えることが許されている。カミラ先生は「まぁ」と微笑んで声を上げる。
「私も一緒で良いのですか?」
「夏休みに、家族旅行ができるなんて……憧れてました」
わくわくとしているお兄ちゃんも、体は大きいが年相応に見える。
列車に乗ってみたい。
夏の計画は始まったばかりだった。
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