16.結婚式のドレス選び
カミラ先生から追加で伝えられた結婚の法案全体の見直しについてスヴァルド領のイーリスさん、オースルンド領のカミラ先生のご両親は快く了承してくれた。ノルドヴァル領の領主夫婦は渋ったらしいが、茶器の販売をルンダール領が支援しないとなると手の平を返して協力体制に入ったようだった。
夏休み明けには提出できそうだった署名も形を変えるのでもう一度初めから取り直さなければいけなくなって、王都に提出するまでにはまだ時間がかかりそうだった。
『結婚全体を見直すのですね。そうなるとわたくしにも利益がありますわ』
「セシーリア殿下も協力してくださいますか?」
『わたくしも、陛下のお傍を離れずに支え続けて生きていきたいですからね』
「私もおに……兄上のお傍を離れずにずっと支え続けたいです」
『まぁ、わたくしという婚約者がありながら?』
「それは仮初のものでしょう?」
ころころと鈴を転がすように笑うセシーリア殿下に揶揄われていることは分かっていたが、12歳の私ではどうにもできなかった。
署名の提出が遅れること、主旨が変わることに関してはセシーリア殿下は賛成で、国王陛下にも伝えてくださるということだった。お礼を言って通信を切ると、同じ部屋にいたお兄ちゃんがじっと私を見つめていた。
「やっぱりセシーリア殿下はイデオンのことが好きなんじゃない?」
「そんなはずないよ。年だってすごく離れてるし」
「イデオンは可愛いからなぁ。油断ならないなぁ」
「お兄ちゃんの傍を離れるつもりはないよ」
成人したときにセシーリア殿下はちゃんと私の意志を聞いてくださると国王陛下の前で宣言している。お互いに利害が一致したから偽りの婚約をしただけで、セシーリア殿下が本当に私と結婚したいわけではないのは私にははっきりと分かっていた。
何故お兄ちゃんはこのことに関してはすごく拘るのだろう。もしかすると、お兄ちゃんはセシーリア殿下のことが好きなのだろうか。
頭に過った考えに胸がずきんと痛くなる。
年齢的にもセシーリア殿下はお兄ちゃんの一つ上だし結婚するにはちょうどいい年齢差だ。国王陛下もセシーリア殿下の嫁ぎ先をルンダール家のお兄ちゃんに定めていた。けれどセシーリア殿下は国王陛下のお傍を離れたくなくて私と偽りの婚約を結んでしまった。
目の前でセシーリア殿下と私の口付けを見て、お兄ちゃんの心の中はどうだったのだろう。
じわりと滲んで来た涙にお兄ちゃんが私の顔を覗き込む。
「どうしたの、イデオン?」
「う、ううん、なんでも……」
「なんでもなくはないでしょう」
なんでもなくはないのだが正直にお兄ちゃんに言ってしまうことはできなくて、私は言葉を飲み込んだ。
お兄ちゃんはセシーリア殿下を好きなの?
その言葉が胸につかえて涙が出そうだったがぐいっと袖で拭って我慢した。
黙り込んでいるとお兄ちゃんの領地のお屋敷の執務室にヨアキムくんとファンヌがやって来る。遅れてエディトちゃんとコンラードくんもやってきていた。
「デシレア叔母上がいらっしゃったの」
「見本の布とヴェールを持って来たんです」
ファンヌとヨアキムくんに言われて私は応接室に移動した。ソファから立ち上がってデシレア叔母上が私とお兄ちゃんに一礼する。
「お邪魔しております。イデオン様のご意見も聞きたくて」
「どうぞ寛いで行ってください」
「ありがとうございます、オリヴェル様」
テーブルの上にはたくさんの白い生地と刺繍の入ったヴェールのサンプルが置いてあった。微妙に織りが違ったり、素材が違ったりする。
「絹のドレスに刺繍をしたら良いと思うの」
「ビジューを飾ると良いかもしれませんね」
「きらきらにするの」
「でちれあおばーえ、かーいーの」
布は光沢のある絹の薄く軽い織物がファンヌたちのおすすめのようだった。
「私もこれが綺麗で良いと思います」
「ヴェールなのですが、どれも美しくて迷ってしまって」
ヴェールは美しく透けるレースの刺繍になっていた。花や模様を刺繍してあるそれを一枚一枚手に取る。
「デシレア叔母上被ってみてください」
「恥ずかしいですわ」
照れながらもデシレア叔母上はヴェールを被って見せた。
「デニースさんを呼んではいけませんか?」
「ニリアン家のご当主のですか?」
「デニースさんも再婚を考えておられるんだった! お兄ちゃんいい考え!」
さり気なく申し出たお兄ちゃんに私はデシレア叔母上の許可を取ってデニースさんを呼び出した。急な呼び出しに驚いていたが都合をつけてデニースさんはすぐに来てくれた。
応接室に案内するとテーブルいっぱいに広がるドレスの白い生地や透けるレースのヴェールの生地に目を丸くしている。その頬が紅潮しているのを私は感じ取っていた。
「再婚なさるそうですね。一緒にドレスを選びませんか?」
「わたくしはこの年ですし……再婚ですし、派手な結婚式はしません」
「それでも、好きな方と結婚なさるのでしょう? 何度目でも関係ありませんわ」
「……イデオン様の叔母君ですわね。イデオン様も『好きなドレスを着てください』と言ってくださったんです」
躊躇いが抜けるとデニースさんもやはり結婚式に思うことがあったのだろう、嬉々としてドレスの生地を選び始めた。
「その織りはクラシックですけど、刺繍がよく映えそうですよね」
「綺麗なドレスを着て好きな方と結婚するのが夢だったんです……こんな年になってしまいましたが」
「年なんて関係ありませんわ。デニース様、本当にお幸せそう」
デシレア叔母上とデニースさんは楽しくドレスの生地とヴェールを選んでいた。
生地とヴェールが決まるとオースルンド領に注文して、生地とヴェールを片付けて全員でお茶にする。ミルクの入った冷たい花茶が出されて、海苔の巻かれた一口サイズのカレー煎餅もテーブルの上に並んだ。
「楽しかった……自分のドレスを選ぶのがこんなに楽しいことだなんて知りませんでした。デシレア様、ありがとうございました」
「オリヴェル様がデニース様にお声かけしようと仰ったんですよ」
「オリヴェル様、本当にありがとうございます」
「いいえ、イデオンがデニースさんのことを気にかけていましたので」
お礼を言われてお兄ちゃんは照れているようだった。
お兄ちゃんのおかげで二人の幸せな花嫁が一緒にドレスの生地やヴェールを選ぶことができた。再婚なので結婚式は大々的にやらないとしても、これまで自分の選んだドレスで結婚式をしたことがないデニースさんにとっては、出来上がったドレスは一生の思い出になるだろう。
年など関係なく結婚を前にしたデニースさんは輝いて見えた。
「でちれあおばーえ、けこんちる」
「えぇ、私、結婚しますのよ」
「こー、でちれあおばーえと、けこんちる」
あれ?
なんだかコンラードくんとデシレア叔母上との会話が噛み合っていない気がする。
恐る恐る私はコンラードくんに聞いてみた。
「コンラードくん、デシレア叔母上はコンラードくんと結婚するためにドレスを選んでたと思ったの?」
「ちやうの?」
これは困った。
もうすぐ3歳になるコンラードくんが結婚という意味をどれだけ知っているか分からないけれど、デシレア叔母上とは結婚できない事実を突き付けなければいけない。
「コンラードくん、デシレア叔母上が結婚するのはクラース先生で、コンラードくんじゃないよ」
「こー、ちやう!?」
「うん、コンラードくんじゃない」
ショックを受けてコンラードくんの手からぽろりとカレー煎餅が落ちる。それがお膝に乗せてもらっているデシレア叔母上のスカートに落ちないように私は受け止めた。
「こー、でちれあおばーえ、すち!」
「好きでも、デシレア叔母上はクラース先生と結婚するんだ」
「こー、けこん、でちない……ぶええええええ!」
大声で泣き始めたコンラードくんがカレー粉塗れの手で顔に触らないように素早くデシレア叔母上が拭く。
「ごめんなさいね、コンラード様。お気持ちはとても嬉しいのだけれど、私はクラース様と結婚するのです」
「びええええ! でちれあおばーえ!」
「こーちゃん、ないてもだめなものは、だめ!」
びしっと姉のエディトちゃんに言われてもコンラードくんはひっくり返って床の上に落ちてもがきながら泣いていた。
デシレア叔母上もデニースさんも狼狽えているが、クリスティーネさんがそっとコンラードくんを子ども部屋に連れて行く。
「落ち着いたらまた連れてまいります」
「悪いことをしてしまったかしら」
「コンラードも泣いてもどうにもならないことがあるのだと学ぶ時期だったのですよ」
クリスティーネさんもお兄ちゃんもコンラードくんがどれだけ泣き叫んでも落ち着いたものだった。
癇癪を起しても大人は言うとおりにならないのだといつかはコンラードくんも学ばなければいけなかった。それが3歳直前の今だったのだろう。
「私、あんな風に癇癪を起した経験はないな」
「ミカルくんは泣いてたよね。イデオンは賢い子だったから」
言ってからお兄ちゃんが私の髪を撫でる。
「たまには我が儘を言ってもいいんだよ」
そう言われてもどんな我が儘を言えば良いのか、私にはよく分からなかった。
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