10.ダンくんとフレヤちゃんの関係性について
夏が近くなるとルンダール領の気温は上がる。この国の中では最南端で一番暑い地域なので仕方がないが、馬車で通学するダンくんやお兄ちゃんに移転の魔術で送ってもらう私は良いとして、小一時間かけて歩いてやって来るフレヤちゃんが登校した時点で汗だくで可哀想なくらいだった。
「早く移転の魔術が使えるようになりたいわ……」
移転の魔術自体は指標と呼ばれる目印を目標にして飛ぶので、魔力が低い生徒でも指標の方に引っ張ってもらう形で使いこなせて、決して難しい魔術ではない。ただ、指標のない場所に飛んだりする場合は非常に高度になったり、空間軸を間違えて別の場所に飛んでしまう危険性があったりするために、魔術師として安定してくる四年生までは練習で魔術学校内で使う以外は使う許可が下りないのだった。
一歩間違えれば物質の中に移転してしまったり、道ではない場所に移転してしまったりする場合があって、出られない、川や森の中に落ちるなどという事故が過去に何件も起きているのだ。
ちなみに四年生になれば自分で簡単な指標を作る魔術も習うので、自分の家を自分の魔力で力の弱い指標のある場所にすることができる。そういう意味でも四年生からなのだが、フレヤちゃんの暑さにばてている様子を見ると許可を取ってあげたい気分になる。
「特別許可、下りないよね」
「まぁ、無理でしょうね」
ルンダール家の養子の私でも魔術学校に我が儘が言えるわけがない。カリータさんがフレヤちゃんを週末に迎えに来て領地に連れて行くためにフレヤちゃんの家にはもうカリータさんの作った指標が置かれているのに許可が下りないのは勿体ない気がするが、フレヤちゃんだけ特別扱いというわけにはいかなかった。
寮に入るには微妙な距離で、帽子と日傘で日差しを避けてフレヤちゃんは登校してくるが、夏休みまでにはますます暑くなるので熱中症の危険もある。
机の上に突っ伏しているフレヤちゃんにダンくんがノートで扇いで上げながら口を開いた。
「フレヤちゃんの家はちょっと遠回りすればいいだけだし、俺が馬車の御者さんに頼んで一緒に連れて行ってもらうか?」
「いいの!?」
がばっと顔を上げたフレヤちゃんは額にまだ汗をかいていて前髪が濡れていた。水筒で水分補給していたがこれが毎日で、日に日に暑さも増していくとなるとつらいだろう。
「俺一人のために馬車を出してもらうのも申し訳なかったし、いいよ、頼んでみる」
ミカルくんの幼年学校とアイノちゃんの保育所のためにベルマン家では一台馬車を出している。行き先が全く違う魔術学校のダンくんのためには別に一台馬車を出していた。一人しか乗らないよりも二人乗った方が効率的だと言うダンくんに私もホッと胸を撫で下ろした。
「フレヤちゃんが登校途中に熱中症で倒れたとかいうことにならなくて安心だね」
「授業は受けたいから、這ってでも学校には来るわよ」
「それが心配なんだろ」
おや、ダンくんがフレヤちゃんに真面目な顔で言っている。ダンくんの頬がちょっと赤いのは教室を冷やす魔術が弱くて部屋が暑いせいだけではなさそうだ。
ダンくんはフレヤちゃんを好きかもしれない。
そう考えると私はダンくんを応援したくなる。
ダンくんもフレヤちゃんも大事な私の幼馴染だし、これからも魔術学校で一緒に勉強する仲間だ。最初はルンダール家の養子で生意気な口を利く私のことがダンくんは気に入らなかったみたいだけれど、今ではすっかり親友になっている。フレヤちゃんは最初から好意的だったけれど、恋愛的なものではなくずっといい友達だった。
ダンくんとフレヤちゃんが将来いい関係になれば良いと願わずにいられない。
お昼休みになってお兄ちゃんとの待ち合わせ場所の中庭に行くと、今日はお兄ちゃんの方が先に来ていてベンチに座っていた。
「私、遅かった?」
「ううん、僕の方が早く実験が終わったんだ。レポートの提出まで終わらせたら昼休みに入って良いって言われたから、早く来ちゃった」
「暑かったでしょう?」
「そうだね。そろそろ庭でお弁当を食べるのは暑いかもしれない」
ベンチのある場所は木陰になっているが、風がないとむっとした熱が周囲から立ち込めて暑くなる。今の時期まではギリギリ大丈夫かもしれないが、これからは空き教室でお弁当を食べた方が良いだろう。
考えながら座ろうとして、私はうっかりお兄ちゃんの膝の上に座ってしまった。
小さい頃からお兄ちゃんの膝は座っていいものだというのが私の認識だった。お兄ちゃんはいつも私が膝の上に座っても気にせずにいてくれた。抱き締めて欲しいときには自分から膝の上に上がってぎゅっとお兄ちゃんの胴に抱き付いたり、お兄ちゃんが膝の上に招いてくれて抱き締めてくれたりしたこともあった。
本当に無意識でうっかりしてしまったのだ。
12歳にもなってお兄ちゃんの膝に乗ってしまった私は恥ずかしくて、何も言えないままそっと降りてお兄ちゃんの隣りに移った。
「イデオン」
「あ、あのね、ダンくんがフレヤちゃんを一緒に馬車で送って行くって言ってた!」
「へぇ、そうなんだ」
「フレヤちゃん、今は小一時間かけて歩いてきてるでしょ? ただでさえ暑いのにこれからもっと暑くなるし、熱中症になったら大変だからね!」
「ダンくんは優しいね」
「ダンくんはフレヤちゃんのことが好きなのかもしれないなって思ったの!」
早口でまくし立てるように言ってお兄ちゃんに言及させない構えの私に、お兄ちゃんはにこにこして話を聞いてくれた。顔が熱くて耳までどころか首まで真っ赤になっている気がする。
「イデオン、落ち着いて花茶でも飲もうか」
「う、うん」
「冷たくて美味しいよ」
狼狽える私を宥めてくれるようにお兄ちゃんは水筒から花茶を蓋のカップに注いでくれた。一口飲むと冷たさが喉を通って、爽やかなジャスミンの香りが鼻を抜けて、痛いほど鳴り響く心臓が落ち着きを取り戻してくる。
「別に膝に乗ってくれてもいいんだけどね」
「ぶふぉ!? ごほっ! げふっ!」
そこで話題を掘り返しちゃうんだ!?
あまりのことに私は咽て花茶を吐き出してしまった。汚いのにお兄ちゃんが私の背中をさすって、ハンカチで口元を拭ってくれる。
「お、お兄ちゃん、そのことは、げほっ……触れないで」
「僕は可愛いイデオンがお膝に乗ってくれるの嬉しいんだけどな」
「お兄ちゃん!」
恥ずかしくて涙が滲んでくる。
そこはそっとスルーして欲しかった。
なんとかお兄ちゃんも黙らせて、咽ているのも落ち着いてから私はお弁当を食べ始めた。
「ダンくんとフレヤちゃんが付き合うことになったら、私は邪魔をしないようにしなきゃいけないのかな」
「イデオンはそのままで良いと思うよ」
「そうなの?」
「三人は幼馴染でしょう。不自然なことをする方がダンくんもフレヤちゃんも嫌がるんじゃないかな」
お弁当を食べながら話を元に戻すとお兄ちゃんは大人な答えを返してくれた。
ダンくんはフレヤちゃんを意識していても、フレヤちゃんの方がどうなるか分からない。何よりフレヤちゃんはシベリウス家の後継者に望まれていて、ダンくんはベルマン家を継ぐ立場になるだろう。そうなると二人が恋愛関係になってもどちらも後継者という難しい立場になる。
「シベリウス家の後継者とベルマン家の後継者だと、どうなるんだろう」
「ミカルくんはエディトと結婚するって言ってるから、エディトは多分オースルンドを継ぐ実力があるし、オースルンドに行くだろうね。アイノちゃんがどうか分からないけど、後継者は多分ダンくんだろうね」
「後継者同士で結婚できるものなの?」
気が早い話ではあるけれど貴族は十代から婚約をする。魔術学校を卒業して成人するとすぐに結婚する貴族も少なくない。
「前例がないからって無理だとは決めつけちゃダメだよ。同性での結婚だって前例はないけれど、これから法律を作っていくんだから、後継者同士の結婚もルンダール領で法律を作ればいい」
それができる立場にお兄ちゃんも私もあるのだと言われると、ダンくんの未来のためにもその方向で法律を考えて行かなければいけないと使命感がわく。
未来は誰にも分からない。
よりよい未来を作る力が私たちにはあった。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。