6.お茶会の終わり
昼食が終わるとコンラードくんとエディトちゃんは眠くなる。
デシレア叔母上のお膝の上でうとうとし始めたコンラードくんと、隣りの席で頭がぐらぐらし始めたエディトちゃんに気付いて、お兄ちゃんがエディトちゃんを、私がコンラードくんを抱っこした。
眠って脱力した子どもというのは力が抜けてぐにゃぐにゃで、自分でしがみ付かないからとても重く感じる。それでもデシレア叔母上の大事な場面をコンラードくんとエディトちゃんを連れて来たせいで台無しにしたくなかった。
私たちの配慮は分かってくれていたのだろうデシレア叔母上は用意していたアネモネの花束を取り出した。
「これはボールク家の領地で育てた生花です。イデオン様とファンヌ様とヨアキム様と話し合ってアネモネにしました。どうか受け取ってください」
最初にクラース先生のご両親に紫色の一重のアネモネの花束が贈られる。
「とても美しいですね」
「ボールク家の領地は良いところなのでしょうね。そのうち、訪ねさせてください」
「ぜひいらっしゃってください」
続いてクラース先生の弟さんにはピンク色の八重のアネモネの花束が贈られた。
「花なんて僕にもったいない。大事に飾ります」
「これは栄養剤です。花瓶に一滴垂らすと長持ちします」
小さな瓶の栄養剤も渡されてクラース先生の弟さんは感謝していた。
最後にクラース先生に赤い半八重のアネモネの花束を持ってデシレア叔母上が向き合うと、クラース先生が先に口を開いた。
「初めてあなたに会ったときから美しい方だと思っていました。ご両親のこと、姉夫婦のこと、借金のこと、たくさんの話を聞きました。けれど、あなたが当主になってからボールク家は立ち直っているという噂で、領民はあなたを支持していることを知りました」
「クラース様……」
「あなたと家族になりたい。私をあなたの家族にしてくれませんか?」
「嬉しいです……。年上で、姉のことも両親のことも、ご迷惑をおかけすると思いますが、一緒に幸せになりたいです」
はっきりとデシレア叔母上にプロポーズしたクラース先生にファンヌとヨアキムくんが拍手でお祝いしている。デシレア叔母上の白い頬には涙の雫が伝っていた。それをクラース先生の手が優しく拭う。
「愛しています、デシレア様」
「私もです、クラース様」
赤いアネモネの花束が手を取り合う二人の間を繋いでいた。
コンラードくんを抱っこしていたので上手く動けない私に、クラース先生がそっと問いかける。
「有耶無耶のままに結婚したくなかったのです。私は大事な叔母上を支える男としてイデオンくんのお眼鏡にかなったのでしょうか?」
「選ぶのはデシレア叔母上ですよ、クラース先生」
「そうですね。さぁ、イデオンくんも重いでしょう。馬車を用意させましょうね」
帰りの馬車が用意されて私たちはそれに乗ってルンダール家のお屋敷に戻ることになった。デシレア叔母上はクラース先生が領地まで送って行くようだった。
「デシレア叔母上を本当によろしくお願いします」
「これからは家族としてよろしくお願いしますよ、イデオンくん、ファンヌちゃん」
「クラース叔父上ね!」
結婚式の衣装なども決めなければいけないが、そこら辺はオースルンド領の織物をカミラ先生が手配してくれるだろう。帰りの馬車の中で私の膝の上でコンラードくんが、お兄ちゃんの膝の上でエディトちゃんが完全に眠っていた。
お屋敷に帰るとクリスティーネさんが出迎えてくれてコンラードくんを抱き上げて子ども部屋に連れて行ってくれる。エディトちゃんはお兄ちゃんが子ども部屋のベッドに寝かせた。
部屋に戻って普段着に着替えているとお兄ちゃんも着替えながら話しかけて来た。
「正直、僕はドロテーア・ボールクのことも、ケント・ベルマンのことも許せないんだ」
ジャケットを脱いでハンガーにかけるお兄ちゃんの横顔は冷たく強張っているように見える。私もジャケットを脱いでハンガーにかけた。
「お兄ちゃんのお母様を毒殺したんだものね」
「うん……でも、あの二人がいなかったら、僕の大事なイデオンもファンヌも生まれていないことも分かってるんだ」
「僕の大事な」が私だけにかかっているはずはないのに、そんな風に聞こえてしまって私は自分が勘違いしないようにぶんぶんと頭を振った。
お兄ちゃんが大事なのは私とファンヌであって、私だけではない、絶対に!
「イデオン、やっぱり気にしてるの?」
「え? 両親のこと? それは、まぁ」
挙動不審な動きをしたせいか私はお兄ちゃんに心配されてしまった。スラックスを脱いで楽な部屋着のズボンに着替えて、シャツは洗濯籠に入れて新しい部屋着のシャツを出す。
「年頃になってイデオンやファンヌが両親のことで傷付いたり、落ち込んだりすることがあったら、僕は慰めようって決めてた。僕を助けてくれて、僕を生かしてくれたのはイデオンだもの」
「ふぁ、ファンヌもだよ」
「ファンヌは最初から微塵も気にしてないみたいだから」
「あ、そうだね」
自分の両親の名前を忘れるくらいファンヌは両親のことを気にしていない。私は5歳で両親を断罪した後から、いつか誰かが両親の罪で私のことを責めに来たらそのときはそれを受け止めようと決めていた。幸いにもそんなことはこれまではなかったが、これからはあるかもしれない。
デシレア叔母上は詳しく話さないが、ドロテーアのことをあれだけ気にしているのは誰かがデシレア叔母上を責めたことがあるのだろう。ベルマン家のお祖父様も気に病んでいて、ケントの弟はそのせいで身体が弱かったのが悪化して亡くなったという。
「今日みたいにデシレアさんとの縁だって、イデオンがいなければなかったわけで、僕はその点に関してだけはドロテーア・ボールクとケント・ベルマンがいなければ良かったとは思わないんだ」
「いなければ、お兄ちゃんのお母様は生きていたかもしれないんだよ」
「他の相手と再婚させられて同じ末路を辿ったかもしれないし、例え母上が生きていたかもしれない未来があっても、僕はイデオンと出会う今を選ぶよ」
お兄ちゃんの言葉に私は目の奥が熱くなるのが分かった。鼻の奥が痛んで洟が垂れそうになる。
「お兄ちゃん……」
「覚えていて。イデオンの存在はそれだけ大きなものだってこと」
「うん……」
「ルンダール領の今があるのだって、イデオンが色々と試行錯誤して考えてくれたおかげだよ」
「それは、お兄ちゃんも……」
「イデオン、ありがとう。大好きだよ」
抱き締められて私は耐えられなくて涙を零していた。
ずっとどこか私の中でドロテーアとケントのことは心に引っかかっていた。幼年学校の六年生でフレヤちゃんにドロテーアのことを呼び捨てにすることを指摘されて以来、胸に刺さった棘の存在が顕著になった気がする。それをお兄ちゃんが柔らかく抜いてくれた。
「お兄ちゃん、ありがとう」
「何かあったらいつでも言って。僕はイデオンの味方だから」
優しいお兄ちゃんに抱き締められてお兄ちゃんの匂いを胸いっぱいに吸い込んで私は少しだけ涙を流した。
それはそれとして私ももう幼年学校は卒業した。魔術学校に入る年になったのでお兄ちゃんとは取り決めていることがあった。
「そろそろ、お風呂に入ろうか」
「うん、準備するね……って、ダメだよ! もう一緒に入らないって決めたでしょ?」
「騙されなかったか、残念」
「もう、お兄ちゃんったら、揶揄わないでよ」
お風呂に一緒に入るのは幼年学校を卒業するまでと決めていたのに、お兄ちゃんはときどき私を試すようにさりげなく私をお風呂に誘う。最初の頃はすっかり忘れていて一緒に入ってしまっていたのだが、何度も繰り返すとさすがに私も気付くようになった。
「わざとしないでよ」
「ごめん、ごめん。イデオンが可愛いから」
「もう、可愛いとか言っても許さないよ」
「イデオンと一緒にお風呂に入ると二人きりの秘密みたいで楽しかったんだもの」
それは私もお兄ちゃんと同感だった。
裸で二人きりの空間で、バスルームの中では日ごろ言いにくいことでも口にできた。抱き締め合ってお互いに涙を流したこともあった。あの時間は卒業するには惜しい特別な時間だった。
けれど私も大人にならなくてはいけない。
お兄ちゃんだっていつまでも私に構ってばかりではいけないだろう。
結婚はしないと宣言していても貴族としていつかはそういう話が持ち上がるのかもしれない。お兄ちゃんに好きな相手が出来たらきっと私は寂しくて身の置き場がないような気分になってしまうだろう。
それでもいつかは来るであろうその日を私は恐れていた。
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