3.デシレア叔母上の来訪
デシレア叔母上が訪ねて来てくれたとき、私はまだ魔術学校から帰っていなかった。働きながら魔術学校に通う生徒のために午後の授業が比較的早い時間に終わるので、その日もお兄ちゃんとお弁当を一緒に食べて、午後の授業を受けてクリスティーネさんにお願いして移転の魔術でお兄ちゃんの領地の家まで連れて帰ってもらった。
ファンヌとヨアキムくんは幼年学校から、エディトちゃんとコンラードくんは保育所から既に帰っていて、デシレア叔母上の膝の上にコンラードくんが当然のように座っていた。
「ただいま、ファンヌ、ヨアキムくん、エディトちゃん、コンラードくん。いらっしゃってたんですね、デシレア叔母上」
「イデオン様を待っていました」
私を待っていたとはどういうことだろう。疑問に思う私に近寄って叔母上はじっくりと私の姿を見る。紺のチェックのスラックスとジャケット、白い開襟シャツ姿の私はまだ制服から着替えていなかった。クリスティーネさんは使用人の部屋に入ってメイド服に着替えている。
「魔術学校に入学したのですよね。幼年学校の卒業式も立派だったそうで」
私には叔父や叔母にあたるひとがずっといなかった。お祖父様はダンくんのお祖父様でもあるので幼年学校の卒業式や魔術学校の入学式に来ていて私のことも見ていたけれど、デシレア叔母上がそうしたいだなんて考えたこともなかったのだ。
「お招きもせずに申し訳ありません」
慌てて私が謝るとデシレア叔母上は穏やかに微笑んでいた。
「ルンダール家は大家族でしょう。私まで行くと大変ですわ。制服姿が見られただけで幸せです」
「学年で一番小さいのですが……」
「誕生月が学年で一番遅いんですから仕方がないですよ」
そういえば誕生日のパーティーにデシレア叔母上は来てくれたけれど、クラース先生とのことばかり気にして叔母として私を祝いたいのではないかという考えに至っていなかった。
「ごめんなさい、私はデシレア叔母上が私をお祝いしてくれようとしているだなんて考えたこともなかったです」
「私も甥や姪にどう接して良いか難しくて今学んでいるところです」
それでも膝の上にはコンラードくんを乗せていたり、エディトちゃんを乗せていたりするので、デシレア叔母上はすっかりとルンダール家に馴染んでいると言えた。コンラードくんのお絵描きに付き合いながら、ファンヌとヨアキムくんの宿題も見てくれていたようだった。
「デシレア叔母上に計算間違いを教えてもらいました」
「わたくしも綴りの書き間違いを教えてもらったわ」
「ヨアキム様まで叔母上と呼んでくださって嬉しいですわ」
正確にはヨアキムくんやエディトちゃんやコンラードくんの叔母ではないのだけれど、私たちはみんな兄弟のようにして育っているので、私とファンヌの叔母ならばヨアキムくんとエディトちゃんとコンラードくんの叔母のような存在かもしれない。
描き上げた絵をコンラードくんが鼻息荒くデシレア叔母上に渡す。
「でちれあおばーえ」
「まぁ、コンラード様まで。とっても上手に描けましたね」
「こー、じょーじゅ!」
絵を受け取って大事に鞄に仕舞ってから、デシレア叔母上はコンラードくんを膝から降ろして立ち上がって私の前に立った。小柄なデシレア叔母上よりも私はまだ背が低い。
淡い金髪に緑色の目のデシレア叔母上はドロテーアと似ている気がしたけれど、私の記憶にあるドロテーアのようにごてごてと飾り立てず、化粧も控えめだった。
「お誕生日お祝いと入学祝を兼ねて……。男の子はどんなものが良いのか悩んだのですが、イデオン様は私が真剣に選んだものならば何でも喜んでくれそうだったので」
「ありがとうございます。開けても良いですか?」
「どうぞ、開けてみてください」
大きめの包み紙を解いて開けると入っていたのは小ぶりなリュックサックだった。椅子から飛び降りたファンヌが身体に合った小さなリュックサックを持ってくる。
「デシレア叔母上がくださったの。わたくしもお誕生日のお祝いをあげていなかったからって」
革でできたリュックサックは頑丈そうで飴色に艶のある輝きを放っていた。
「使い込むほどに艶が出るんです。オースルンドの布製品のバッグやポシェットをお持ちだけど、革製品はお持ちじゃないかと思ってファンヌ様と揃えてみました」
「とても美しい品ですね」
「シベリウス様の領地で飼育していたケンタウロスの皮をなめして作った一点ものだそうですよ」
カリータさんの飼育していたケンタウロスの皮だったのか。それは素晴らしく美しいものが出来上がるに違いない。
良く磨かれた飴色の革を見つめていると、デシレア叔母上が手入れの仕方を教えてくれる。
「魔術で防水加工はしてありますから、水濡れも大丈夫です。時々蜜蝋で磨くと更に艶が出るんですよ。革は大事に使えば長持ちしますからね」
「みつろうって、デシレアおばうえ、なぁに?」
「蜜蜂の巣の材料です。蜜蜂の巣からは蜂蜜だけでなく、蜜蝋という油も取れるのです」
聞きたい盛りのエディトちゃんに説明するデシレア叔母上は小さな瓶に入った蜜蝋の革クリームも一緒にくれた。
「ものすごく大人になった気分です」
一点物の革製品を持てるだなんて私はうっとりとしてそのクラシックな作りのリュックサックを撫でていた。蓋の金具を開けて中を見ると魔術で拡張してあって大量に物が入りそうだ。
「ボディバッグは通学用に、リュックサックはお出かけのときに使いますね。ありがとうございます!」
「わたくしもおしゃれして使いますわ」
ファンヌと二人でお礼を言えばデシレア叔母上は「どういたしまして」と嬉しそうに返してくれた。
決してデシレア叔母上の領地が豊かではないことを私もファンヌも知っている。それなのにこんなに良いものを贈ってくれたデシレア叔母上には感謝の気持ちしかなかった。
「あの……話は変わるのですが……」
「はい、なんでしょう?」
「クラース様から私、お茶に誘われておりまして」
私とファンヌがリュックサックをもう一度大事に包み直してボディバッグとポシェットに仕舞った後で、椅子に座ったデシレア叔母上は恥ずかしそうに話し出した。クリスティーネさんが全員分の花茶を淹れて持ってきてくれる。
風がなければ上着が暑くなってきた時期にぴったりの冷えた花茶にミルクを入れてみんなでいただく。
「クラース先生はデシレア叔母上のことが気になっているのではないでしょうか?」
「好きなんだと思うわ!」
はっきりと言ってしまうファンヌに、デシレア叔母上は顔を真っ赤にして頬を押さえる。
「私の方が年上ですし、姉のこともありますし、ヘルバリ家はよく思わないのではないかと不安なのです」
「デシレア叔母上はクラース先生のこと、どう思っているの?」
「ファンヌ! 直接的過ぎ!」
身を乗り出して聞き出す気満々のファンヌに私はツッコミを入れる。ヨアキムくんもエディトちゃんも、コンラードくんまで目をキラキラさせてデシレア叔母上を見つめている。
「ヘルバリ家のお茶会に誘われたので……そういう意味ではないかと気付いてはいるのですが……」
「クラース先生は家族にデシレア叔母上を紹介するのね!」
どうしてこういう話になるとファンヌは異様に活き活きするのだろう。
「デシレアおばうえ、けっこんなさるの?」
エディトちゃんまで!?
結婚の言葉にデシレア叔母上は狼狽える。
「そ、そうなったら良いと思うのですが、私には姉のこともありますし、両親も隠居したとはいえ領地におりますし……」
「好きなひとと結婚できるって幸せなことだとカミラ先生が言っていました。デシレア叔母上、好きならば母のこともご両親のことも、何も関係ないと思います。クラース先生を信じて良いのでは?」
分別ある12歳として穏やかに告げるとデシレア叔母上は目を伏せた。
「多分、ファンヌ様とイデオン様に背中を押して欲しかったのだと思います。図々しいお願いなのですが、甥と姪として、家族として、お茶会に……ついてきてくれませんか?」
デシレア叔母上には紹介する家族がいないに等しい。ドロテーアは牢獄に囚われているし、ご両親は精神が弱っていて隠居して出てこられる状態ではない。
家族に紹介するとなるとデシレア叔母上も自分の家族に紹介しなければいけないのだろうが、その家族がいなくて私たちを頼ってくれている。
「イデオン兄様、行きましょう!」
「ファンヌ、行こう。デシレア叔母上、私たちで良ければ行きますよ」
やる気満々のファンヌに私も快く返事をする。それを聞いてデシレア叔母上は心底ほっとしたように息を吐いた。
「ありがとうございます。日程は今週末なのですが、よろしくお願いします」
「手土産を相談しましょう」
「ボールク家の領地は何がとれるのですの?」
早速ヘルバリ家に行く算段をする私たちにデシレア叔母上から意外な答えがあった。
「ボールク家の領地は、生花の栽培が盛んです」
お花を売っているお店には必ずお花を納めている農家がある。それがボールク家の領地にはたくさんあるというのだ。温室栽培も盛んだという。
「お花がいっぱいなんですか?」
ボールク家の領地に去年の夏に行ったけれど見せてもらったのはジャスミンばかりで他のものには目が行かなかった私たち。これからボールク家のことをもっと深く知ることになりそうで期待に胸を膨らませていた。
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