26.ヨアキムくんのお母さんの思い出
秋の終わりには墓参りに行く。秋から冬のどこかでアンネリ様とレイフ様、それにヨアキムくんの乳母さんにしてお母さんの墓参りに行くのが毎年の風習になっていた。
今年もヨアキムくんはお母さんのために薔薇の花束を庭師さんに作ってもらっていた。
「今年はミニ薔薇にしたんです。とても可愛いでしょう」
「お母様も喜ぶでしょうね」
「生きてるうちに『お母さん』って呼びたかったです」
目を伏せるヨアキムくんにカミラ先生が目元を押さえていた。
命を懸けてヨアキムくんを育てた乳母さんがヨアキムくんの実の母親だと分かったのは二年前のことなので、何も知らないままに死んでしまったお母さんのことを呼ぶことはもう叶わない。その分を取り戻すようにヨアキムくんは毎年庭師さんに自分の選んだ薔薇園の薔薇を花束にしてもらっていた。
アンネリ様には赤い薔薇を、レイフ様にはブルースターを用意してお墓まで行く。今年用意したのはお花だけではなかった。
「香りだけでも届くといいんですが」
「ヨアキムくんとファンヌちゃんとイデオンくんとエディトとオリヴェルの摘んだお茶ですからね」
花茶を水筒に入れて持って行くことにしたのだ。
春から今までお兄ちゃんと私たちで領地を治めて育てたお茶である。報告したいことがお兄ちゃんにもヨアキムくんにもたくさんあるだろう。
初めに行ったヨアキムくんのお母さんのお墓ではミニ薔薇の花束を供えたヨアキムくんが水筒の中のお茶をカップに注いだ。香り高いジャスミンの匂いがふわりと辺りに漂う。
落ち葉を掻き分けて掃除をした墓石の前に、ヨアキムくんはカップを置いた。
「お母さん、僕たちが育てて作ったお茶です。ルンダール領だけでなく国中でこのお茶が飲まれるようになっています。お母さんにも香りだけでも届くと嬉しいです」
「ヨアキムくん……」
「僕は兄上たちやファンヌちゃん、エディトちゃん、コンラードくんと一緒で、父上と母上も優しくて、とても幸せです。お母さん、また来年も来ます。僕、毎日お母さんのことをお祈りしています」
しゃがみ込んで語り掛けるヨアキムくんにカミラ先生が涙ぐんでいる。ハンカチを渡すビョルンさんも涙を堪えていた。
養子にヨアキムくんがなってからカミラ先生もビョルンさんもますますヨアキムくんのことが可愛くなったのだろう。
カップの中のお茶はヨアキムくんが「僕がいただきますね」と言って飲み干した。
続いて行ったアンネリ様とレイフ様の墓参りでも、落ち葉が多く散っていた。それを片付けて掃除して、お兄ちゃんがアンネリ様の墓石の前に赤い薔薇の花束を置いて、カミラ先生におねだりをしたエディトちゃんがブルースターの花束をレイフ様の墓石に備える。
お茶もお供えして、お兄ちゃんが語り掛ける。
「再来年には僕もルンダールの当主となります。今年と来年は茶畑のある領地を治めていくことになりました。花茶を広めたりカレー煎餅を開発したりして、ルンダール領を豊かな土地にしていきたいと思っています」
「オリヴェルはとてもよく働いているのですよ。将来が楽しみです」
「叔母上とも協力して良い当主になれるように頑張っていきたいと思います。父上、母上、見守っていてください」
祈るお兄ちゃんとカミラ先生に私も目を閉じて黙とうした。
帰り道、ファンヌとヨアキムくんが手を繋いで馬車まで歩いていく。
「お母さんってどんなひとだったんでしょう」
「写真でも残っていればいいのにね」
二人の話している様子に私は自分が小さな頃を思い出していた。自分の持ち物には全部名前が書いてあるために、アンネリ様の遺品をお兄ちゃんに渡そうとして一生懸命アンネリ様の名前が書いてあるものを探した幼い日。
結局セバスティアンさんにロケットペンダントをもらってアンネリ様の遺品は手に入れられたのだが、ヨアキムくんにはそれがない。ルンダール家に来たのが2歳のときだから、お母さんの顔も覚えてはいないだろう。
「お兄ちゃん、アシェル家と交渉できないかな?」
「僕もそれを考えていた」
帰りの馬車の中で私とお兄ちゃんはアシェル家と交渉してヨアキムくんのお母さんの遺品を探せないかを考えていた。
お屋敷に戻ってカミラ先生に相談すると、すぐに返事が戻って来る。
「アシェル家にはないかもしれませんが、アシェル家の記録を辿れば、ヨアキムくんのお母さんの実家が分かるかもしれません」
「実家!? ヨアキムくんのお母さんのご両親が見つかるかもしれないということですか!?」
そのことは今まで一度も考えたことがなかった。
ヨアキムくんはアシェル家の夫婦の間の子どもではない。夫が他の相手との間に作った子どもだから、お母さんの両親は当然どこかにいるはずなのだ。アシェル家の祖父母ならば関わりたくはないかもしれないが、乳母さんだったお母さんのご両親ならば会いたいと思うかもしれない。
「探してみましょう」
動き出したカミラ先生はやることが早かった。アシェル家に過去に雇用していた使用人の経歴を提出させる。揉めたことがあったし、アンデッド事件で怯えていたこともあったので、アシェル家は従順に資料を渡してくれた。
「兄夫婦は政略結婚で夫婦仲が完全に冷えていて、互いに子どもは愛人と外で作って、養子に迎える形にしたがっていたようです」
アシェル家の現在の当主であるヨアキムくんの父親の弟が資料を渡しに来たときに、ヨアキムくんも私もお兄ちゃんもファンヌも同席していた。小さな頃から一緒のヨアキムくんのことなのだ、聞かないわけにはいかない。
「お母さんは納得して僕を産んだということですか?」
「それは……分かりません。主人と使用人のことですから」
真っすぐな目で問いかけるヨアキムくんにアシェル家の当主は戸惑っている。まだ9歳前のヨアキムくんに大人の事情をどこまで聞かせて良いのか、カミラ先生の目もあるし躊躇っているのだろう。
「全て真実を話してください」
テーブルの上に出された花茶を一口飲んで、ヨアキムくんに請われてカミラ先生を伺いつつアシェル家の当主が話し出す。応接室には花茶とお茶請けのカレー煎餅の匂いが漂っていた。
「最初は多分無理やりだったのではないかと……そのうちに彼女が諦めて言うなりになったのだと思います」
貴族に逆らってもどうにもならない。バックリーン家の件で女性が襲われても言い出しにくいことは私も学んでいた。特に平民の女性が貴族に歯向かって職を奪われたり、恨みを買ったりすることがどれだけ恐ろしいことかも、アッペルマン家で苛められていたクリスティーネさんとそれを暴いたフレヤちゃんの件でよく思い知っている。
無理やり手籠めにされて、従わざるを得ないまま子どもを妊娠して、子どもを産めば取り上げられて呪い漬けにされる。
どれだけヨアキムくんのお母さんが苦しんだか分からない。
「それでもお母さんは命を懸けて育ててくれるくらい僕を愛してくれたんですね……」
黒い瞳から一筋涙が流れて、カミラ先生がヨアキムくんを抱き寄せた。
アシェル家の当主が帰った後で渡された資料をみんなで見ることにした。ヨアキムくんの年齢から逆算して7年くらい前に亡くなった使用人を探せば、ヨアキムくんの乳母だった女性の名前と実家がその資料で分かった。
「ビルギットさん……ヨアキムくん、あなたのお母さんのお名前はビルギットさんと仰るようですよ」
「ビルギット……お母さんはビルギットというお名前だったんですね」
資料がよく見えるようにカミラ先生の膝に抱き上げられたヨアキムくんは、何度もお母さんの名前のあるページの文字の上を指でなぞっていた。
「僕にお祖父様とお祖母様がいる。会いたいです。母上、父上、会ってもいいですか?」
「みんなでご挨拶に行きましょうね。貧しい暮らしを強いられているのならばそこから連れ出してあげないと」
カミラ先生の意見に全員が同感だった。
先に手紙を送って、冬休みに入ってから伺うという旨をカミラ先生が伝えてくれた。
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