21.スヴァルド領の夏
「いーりつたんとブレンダおばうえ、けこんちて!」
「エディト、あなた、果物に釣られたね?」
「いーりつたんとけこんちたら、くだもの、いっぱい!」
スヴァルド領での滞在で毎日新鮮な果物が出て来ることに感激していたエディトちゃんは、ブレンダさんとイーリスさんをくっ付けたいようだった。私も二人はお似合いだし、イーリスさんはブレンダさんのためなら変わろうと努力ができる、ブレンダさんもイーリスさんに好意を抱いていないわけではないということで、心ひそかに応援はしていた。
エディトちゃんのように大っぴらにではないが。
「エディト様はわたくしの味方ですわね。これ、サクランボのジャムなのですが、お土産に持ち帰りますか?」
「あいがとごじゃます!」
「見事に買収されてるー!?」
食いしん坊のエディトちゃんに大好物のジャムを見せるとは、イーリスさんもなかなかやるものである。
コンラードくんも好き嫌いなく果物をたっぷり食べさせてもらっていて、ほっぺがぷっくり艶々になっていた。
「果物には果糖という脳の栄養が入っているばかりでなく、ビタミンも豊富ですのよ」
「んまっ!」
「コンラード様も気に入ってくださったようですね」
ルンダール領で果物は夏ミカンを中心として暖かな地域で育つものしか栽培されていないし、果樹園よりも野菜や小麦や米やマンドラゴラを育てる農家の方がずっと多い。
新鮮な果物はあまり食卓に上がらなくて、ジャムや加工品が多いので、これだけ豊富に食べられるのは毎日幸せだった。
「イデオン、背が伸びたんじゃない?」
「そうかな?」
「ファンヌとヨアキムくんも大きくなった気がするよ」
ルンダール領と違う気候で涼しいために食も進むせいか、夏の間に私たちは少し大きくなったとお兄ちゃんに言われた。背が高くて逞しくなりたいので嬉しくて堪らない私だが、鏡を見ると小さくて手足がひょろりと細長いファンヌとよく似た顔立ちの少年が映っている。
どうしても厳つく男らしくはなれないものか。
まだ11歳なので夢と希望は捨てずにおく。
滞在の最後の日までイーリスさんはスヴァルド領の隅々まで案内してくれた。
収穫した後のサクランボの果樹園や、収穫前の食用葡萄園。ワインにならない葡萄は普通の葡萄とマスカットとどちらも育てている。リンゴや蜜柑は冬になるということで、小さな白い花が咲いている間を蜜蜂が飛び回っていた。
夏は涼しく過ごしやすいスヴァルド領だが、冬は寒さが厳しいという。
「冬は雪に閉ざされますね。果樹園では木々が雪で倒れないように添え木をしたり、雪で枯れないように根元に藁を敷いたりします」
「ルンダールは夏場の暑さで熱中症でひとが死ぬけど、スヴァルド領では冬の寒さでひとが死ぬのか」
「そうですわ。貧しいものは魔術で温まることもできず、燃料費もなく、凍え死ぬことがあります。そうならないように領地の隅々まで豊かであるようにわたくしたちは努力していかねばなりません」
ブレンダさんと話すイーリスさんは最近まで政治に全く興味がなかったという話なのに、今はしっかりと領地の未来を見据えていた。
「わたくし、兄上が家を継ぐので、ルンダール領やオースルンド領との交流を担わせてもらうことにしたのです。まだまだ勉強が足りないところがありますので、やることは山積みですが」
王都やノルドヴァル領ではないところは、やはりブレンダさんを意識してのことなのだろう。
「イーリス嬢、あなたが立派にやり遂げることを応援しています」
「その暁には、ブレンダ様にプロポーズに参ります」
「ぷ、プロポーズ!?」
「国の法律から変えて行かねばなりませんけどね」
顔を真っ赤にしているブレンダさんにイーリスさんは胸を張って宣言していた。身長もブレンダさんの方が高いし、年も上だが、イーリスさんの勢いに押されている感じがする。
「いーりつたん、がんばえ」
「恋の予感ですわね」
「ブレンダ叔母上、良い感じですね」
エディトちゃんとファンヌとヨアキムくんが二人の様子を手に汗を握って見守っていた。
スヴァルド領から帰るとむっとした空気に包まれて、立っているだけでじんわりと汗が滲んでくる。日差しも強く照り付けていて、エディトちゃんはさっさとカーディガンを脱ぎ捨て、ファンヌとヨアキムくんも上着を脱いで、コンラードくんは暑くてむずがっている。
私とお兄ちゃんは汗をかきながらお屋敷の中に入って部屋でカーディガンを脱いだ。
「こんなに温度差があるものなんだね」
「本当に涼しくて過ごしやすかった」
数日間使ったカーディガンは洗濯に出して、シャワーを浴びる。順番を譲ってもらって私が先に浴びて、お兄ちゃんはカミラ先生とコンラードくんにも順番を譲って、エディトちゃんとヨアキムくんとビョルンさんにも順番を譲って、ファンヌとクリスティーネさんにも譲って、最後にシャワーを浴びていた。
お兄ちゃんのシャワーが終わるまで魔術で冷やされた部屋で今回のスヴァルド領の滞在のことをノートに纏めて行く。
たくさんの種類の果樹園とそこで育てられている果物、その収穫時期や加工品のことなど、学べたことは多かった。ルンダール領から出なければ分からなかったことだ。
「イデオン、何を書いているの?」
バスタオルで髪を拭きながらお兄ちゃんが部屋に戻って来た。椅子を私の机に寄せて、ノートを見てくれる。いつも撫で付けている長い黒い前髪が下がって来ていて、お兄ちゃんはいつもより幼く見えた。
普段が大人びすぎているだけなのかもしれないが、年相応に見えるお兄ちゃんに心臓が跳ねる。ふわりと向日葵駝鳥と青花の石鹸とシャンプーの香りがした。私も同じものを使っているのにお兄ちゃんのだと全く違う香りに感じられる。胸がざわつくこの気持ちがなんなのか私にはまだ分からない。
「今年の自由研究はスヴァルド領のことにするつもり?」
「ファンヌとヨアキムくんがお茶のことを書くみたいだから、私は違うことにしようかなと思って」
当初はお茶のことを自由研究に纏めようと思っていたが、ヨアキムくんもファンヌもお茶のことを書いていたので私は違うものを探していた。そんなときにスヴァルド領に行けたのはちょうど良かった。
「良く書けてると思うよ。メモも取ってなかったのに、全部覚えてたの?」
「果樹園と養蜂には前から興味があったから。忘れてるところは調べようと思ったけど、意外と書けちゃった」
「すごいね。頑張ったね」
褒めてくれるお兄ちゃんの頬を水滴が伝って、ぽたりと膝に落ちる。髪から落ちた水滴だと分かっているが、私はお兄ちゃんが寂しそうにしている気がした。
「お兄ちゃん、何か悩みがあるの?」
「……イデオンには隠せないのかな」
「私で良ければ話してよ」
ノートを閉じてお兄ちゃんと向かい合うとお兄ちゃんが私の頬を両手で包んだ。こつんっと額を合わせられて、間近で青い目が私の薄茶色の目を覗き込んでくる。
「ブレンダ叔母上の結婚の話なんだけどね」
「うん、応援したいよね」
「僕は結婚する気はないって思ってたけど、ブレンダ叔母上もそのうち結婚しちゃうのかとちょっと寂しく思ってたんだ」
「お兄ちゃん……」
ブレンダさんはお兄ちゃんにとっては16歳になる前に当主の仕事をしようとしたときに助けてくれた大事な存在だった。そして、お兄ちゃんの叔母さんでもある。
「好きなひと以外とは結婚しない」というカミラ先生の信念を守り続けていたブレンダさんがイーリスさんと良い感じになるのは、お兄ちゃんにとっては寂しいのだろう。
「明日のことは誰にも分からない、か……未来は誰にも分からないよね」
「うん、この国でも貴族同士の同性の結婚が許されるようになるかもしれない」
「協力したいな。イデオンは?」
「私も協力する!」
法律を変えるのならば私にはセシーリア殿下という強い共犯者がいる。セシーリア殿下から国王陛下に働きかけてもらうことができるかもしれない。
お兄ちゃんの顔が離れて行って二人で手を取り合う。
法律を変えることがいずれ私の人生にも関わってくるだなんて、このときの私は知らずにいた。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。