20.スヴァルド領の視察
スヴァルド領の果樹園の案内人にはイーリスさんが申し出てくれた。
街の郊外まで馬車で行けば、果樹園が広がっている。
「こちらに葡萄畑、こちらには桃の果樹園、こちらには梨の果樹園、他にもサクランボ、リンゴ、オレンジと様々な果物が育てられております」
「今の時期は何が実っていますか?」
「今の時期は桃と梨ですね。種類によってはオレンジも実っています」
「実っているところが見たいですわ」
はきはきと喋るイーリスさんにヨアキムくんとファンヌもすぐに馴染んだようだった。
「もも、たべれる?」
「収穫したものがありますので、帰ったらぜひ召し上がってください」
「わたくち、めちあがる」
食いしん坊のエディトちゃんはお口から涎が垂れそうだった。
「僕、リンゴちゃんっていうウサギを飼っているんです。果物が大好きなんです」
「お土産にもたくさん持って帰ってくださいませ」
「カミラ先生の弟さんのカスパルさんのお嫁さんのリーサさんが妊娠中なんです。食べやすい果物がありますか?」
「柑橘系は好まれると聞きますね。そちらも準備しますね」
ヨアキムくんが積極的に話をしているので私も負けじとリーサさんのことを話す。イーリスさんは農家と話を付けてお土産用の果物を手配してくれているようだった。
「こちらの葡萄畑ではワイン用の葡萄を育てています。酸味が高くアルコール度数の低いスパークリングワインを作るためには、早めの今の時期に収穫に入っている畑もあります」
「ワインだともう少し遅いんですか?」
「スパークリングワインは今の時期ですが、普通のワインは秋に収穫された葡萄で作ります」
滑らかに喋るイーリスさんに私は感心してしまう。
今年になるまで私はルンダール領でお茶が栽培されていることを知らなかった。そういう意味ではイーリスさんはよく勉強している。
「こちらのオレンジの果樹園ではブラッドオレンジという珍しいオレンジを栽培しています」
「ブラッドオレンジ? 普通のオレンジとどう違うのですか?」
「鮮やかな赤い色をしていてジュースにするととても綺麗なのです。他にも果肉がピンクのルビーオレンジなどがあります」
カミラ先生もイーリスさんに質問していた。
オレンジの果樹園にも葡萄畑にも私は見たことがあるものを見つけてイーリスさんにそれを指さして示す。
「あれは蜂の巣箱ですか?」
「イデオン様はよくご存じですね。受粉のためにどの果樹園でも養蜂も一緒にやっているのですよ。そのため、スヴァルド領は蜂蜜の産地でもあります」
ルンダール領はサトウダイコンから砂糖が取れるために蜂蜜はあまり使う文化がないが、スヴァルド領ではサトウダイコンは栽培していないので、甘みが欲しいときにはルンダール領から砂糖を買うか、蜂蜜を主に使っているのだという。
「蜂蜜はとても美味しいですが乳幼児には危険なので、砂糖も普及してきましたね」
「火を通してもダメなのですか?」
「残念ながら火を通しても蜂蜜で乳幼児が亡くなることがあるようで、乳幼児には食べさせないようにと言われています」
その話を聞いてショックを受けたのはエディトちゃんだった。
「ははうえ、こーたん! こーたん、まもって!」
「大丈夫ですよ。コンラードももうすぐ2歳です。危険なのは1歳くらいまでと言われています」
「こーたん、へいち?」
「平気ですよ」
大好きなコンラードくんの危機に慌てるエディトちゃんも可愛かった。
他にも桃の果樹園や梨の果樹園を見せてもらう。梨には一つ一つ実に袋がかけてあった。
「傷がないように育てるために農家は袋をかけるのです」
「詳しいのですね。よく勉強していらっしゃる」
ブレンダさんが感心したように言うと、イーリスさんは頬を染めて俯いた。
「わたくし、本当は何も知りませんでしたの。スヴァルド領の領主の娘として生まれて、お屋敷の中で甘やかされて育てられて、自分で何一つ決めたことなく、そのまま親の決めた相手と結婚するはずでしたの」
それを変えたのは王都での展示即売会だった。バックリーン家の子息の現状を聞いたときイーリスさんは青ざめて言葉も紡げないほどショックを受けていた。
「お恥ずかしいことに世間知らずでしたの、わたくし。何も知らなくても結婚する相手が幸せにしてくれると信じていた……愚かでした。目を覚まさせてくれたのは、ブレンダ様でした」
「私じゃないよ!? あれはイデオンくんたちの考えだったし」
「それでもきっかけを与えてくれたのはブレンダ様でした。わたくしの代わりにバックリーン家に行ってくださった勇気のある方。ブレンダ様のようになりたくて、わたくし、勉強したんです。自分の領地、自分のこと……そしたら、両親がとても喜んでくれて」
ずっと内向的で自分の意志のないようなイーリスさんが自ら勉強して領地を出歩くようになった。その変化をご両親は驚き、好意的に受け入れたようだった。
「だからって、私と付き合いたいとか……知ってる、世間知らずのお嬢さん、女同士では結婚もできないし、子どももできないのよ?」
「だから、なんですの?」
馬鹿にしたようなブレンダさんの言葉にイーリスさんは真正面から立ち向かった。凛と顔を上げるイーリスさんの姿は美しい。
「この国の法律では平民同士は同性でも結婚ができます。貴族同士は跡継ぎ問題があるのでできないとされていますが、例外がないわけではありません」
「でも、子どもができないのは本当でしょう?」
「子どもなんて、男女のカップルでもできないことがあるんですよ? 女同士で子どもができないからという理由でお付き合いができないなんて通りませんわ。子どもが欲しければ養子をもらえばいいだけの話ですし」
「え、で、でも……」
王都で話したときにはこんなにはっきりとものをいうひとだとは思っていなかった。それが今はブレンダさんすらたじろがせる物言いをイーリスさんはする。
そんな風に娘が変わったことが両親は嬉しくて、ブレンダさんとの仲を否定しないのだろう。
「時代は変わります。スヴァルド領とオースルンド領の懸け橋とわたくしがなれるかもしれないのです。ブレンダ様、明日のことなんて誰にも分からないのですよ」
堂々と言ったイーリスさんにブレンダさんはもう何も言い返すことができないようだった。
お屋敷に戻ってから、桃の香りのついた緑茶と剥いた桃と梨が出された。真っすぐにテーブルに飛び付こうとするエディトちゃんをカミラ先生とビョルンさんが止める。
「エディト、お手手を洗ってからですよ」
「いただきますも忘れないでね」
「あ、わつれてた!」
カミラ先生とビョルンさんに連れられてエディトちゃんはお手洗いに行って手を洗って戻って来た。私たちも手を洗ってテーブルに着く。
幸いスヴァルド領は涼しかったので日中に出歩いても汗でびしょびしょにならずにシャワーを浴びる必要もなかった。
お皿に梨と桃を取ってもらって、エディトちゃんがお手手を合わせると、コンラードくんも真似をしてぱちぱちと手を合わせていた。コンラードくんのは拍手に近かったが、ビョルンさんがフォークを握らせると、左手にフォークをしっかりと握って、右手で素手で梨を掴んでもしゅもしゅと食べていた。
エディトちゃんも念願の桃と梨にあり付いて満足そうにほっぺたを膨らませて食べている。
「このお茶、とても美味しいですね」
「緑茶はこれまで紅茶と同じく熱湯で淹れていたので、あまり美味しくないと思っていたのですが、温度の低いお湯で淹れるとこんなに味が変わるものなのだと驚いています」
「桃の香りがします。すごくいい香りです」
お兄ちゃんもスヴァルト領にお兄ちゃんの領地から送った緑茶で開発された桃のフレーバーティーを美味しそうに飲んでいた。ファンヌもくんくんと匂いを嗅いで嬉しそうにしている。
「正しい淹れ方が浸透すれば、貴族に緑茶が流行ること間違いなしですよ」
そうなるとスヴァルド領も儲かると領主夫妻がお兄ちゃんにお礼を言っている。
花茶も緑茶もこれからこの国で大流行して生産が追い付かなくなることになるのを、私もお兄ちゃんもそのときは予測もしていなかった。
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