15.ドロテーアという女
私とファンヌは色彩は父に、顔立ちは母に似ているようだ。
来てはいけないと言われても再三やってくるボールク家の老婦人……お祖母様と呼びたくないのでそう呼ぶが、そのひとを連れ戻しに何度も来ているドロテーアの妹のデシレアさんがそう言っていた。
逃げ出さないように今日は老婦人を夫の元に預けて来たデシレアさんは、話を聞きたいという私とファンヌのために幼年学校が終わった後で茶畑のある領地の家に来てくれていた。
住み込みの使用人さんが決まったのでお茶を淹れてもらえる。お礼を言って緑茶を出すとデシレアさんは飲んで水色の目を丸くしていた。淡い金髪に水色の目のデシレアさんは清楚な淑女のイメージで、私の覚えているウエストを物凄く細く見えるように絞って、出産後も豪華なドレスを着られるように子どもなど放置していたドロテーアとは雰囲気が全く違っていた。
「姉は魔力も高く、顔もとても美人で、母の自慢の娘でした。甘やかされて育ったせいで、母が見ていないところでは使用人をいびり、勉強を他の友人にさせていたのですが、それでも不思議と成績は良かったようです」
甘やかされて育った姉に対してデシレアさんは思うところがありそうだった。
「デシレアさんはどうだったのですか?」
「ドロテーアのことばかり話すけれど」
気になったのは私だけではなくファンヌも同じようで、冷たい水で淹れた緑茶を飲みながら問いかける。
「私は……魔力も特別秀でているわけでもなくて、小さい頃は地味な顔と言われて、母は姉ばかり可愛がっていました」
「姉妹で差をつけたんですか?」
「姉がボールク家の跡継ぎになると決まったようなものでしたから」
それを覆したのはケントだったが、ルンダール家の入り婿になった後アンネリ様が亡くなって、当主代理といういつ蹴落とされるか分からないような男にどうして大事な娘を嫁にやったのか、それは理解できない。
「ドロテーアはどうしてケントの妻になったのですか?」
「お恥ずかしながら、その頃ボールク家の経営は上手くいっておりませんで、借金を抱えておりました」
「それでは、ルンダール家からケントが借金のかたにドロテーアを妻にしたんですね」
「ルンダール家が借金を全て肩代わりしてくれる代償としてケントとの結婚を迫られて、姉も大喜びで行ってしまったので止めようがなかったのです」
ルンダール家が肩代わりした借金はケントが使って良いものではないはずだった。ケントはあくまでもお兄ちゃんが成人するまでの繋ぎの当主であり、財産を勝手に使ったとなればそれは横領となる。
「申し訳ありませんが、その代金は……」
「ええ、分かっております。両親の領地経営が上手くないことは分かっておりましたので、私の代になってから、少しずつですが返させていただいております」
ルンダール家から出たお金がケントが自由にしていいものではなかったとデシレアさんはきちんと把握している。
このひとは信頼できるひとだと私は直感していた。
問題はこのひとに絡み付く両親……特に母親の問題だ。
「デシレアさんの母君にドロテーアの真実を知ってもらわねばなりませんね」
「わたくし、ドロテーアと間違われるのはこりごりよ!」
「ファンヌも嫌だよね」
話しているとお兄ちゃんが研究課程から戻ってきて家の扉が開いたのが分かる。駆けて行って飛び付いて「お帰りなさい」のハグをして、お兄ちゃんの手を引いて応接室まで連れて来た。
「デシレアさん、来てくださっていたのですね。イデオンとファンヌが話をしたがっていましたが、ゆっくり話せましたか?」
「おかげさまでお話しすることが出来ました。美味しいお茶もいただいて。緑茶がこんなに香り豊かで甘みがあって美味しいものだとは知りませんでした。苦くて渋いものだとばかり思っていました」
「緑茶を気に入っていただけて嬉しいです。そちらの領地でも広めていただけますか?」
商談に入るお兄ちゃんとデシレアさんの邪魔にならないように私とファンヌは子ども部屋兼執務室に行こうとしたらデシレアさんに引き留められる。
「とても言えた義理ではないのですが、それでも、もし、二人が私のことを叔母と思ってくれるなら、そう呼んではいただけませんか」
デシレア叔母上。
ドロテーアとケントのことを私とファンヌが許すことは一生ないだろう。怒りを通り越して最早二人に対しては無関心になっている。
けれどドロテーアの妹だがルンダール家からケントが無断で使ったお金を誠実に返すような相手ならば叔母として認めては良いのではないだろうか。
「ファンヌはどう思う?」
「わたくし、デシレア叔母上は嫌いではなくてよ」
「私もデシレア叔母上は好きだな」
二人で話す様子にデシレア叔母上はほっとしたように微笑んでいた。
それにしても借金も抱えて、母親はドロテーアのせいで精神を病んで、父親は無関心に近いような状態で一人で領地を治めているデシレア叔母上。苦労しているだろうが、大丈夫なのだろうか。
デシレア叔母上を送り出してから執務室兼子ども部屋に戻って来たお兄ちゃんに私は椅子を寄せてデスクに着く。衝立の向こうのベッドでエディトちゃんがお昼寝をしていて、ファンヌとヨアキムくんは図鑑でお茶の項目を何度も読み返している。開け放した窓からカーテンを翻して初夏の風が心地よく頬を撫でていた。
「デシレア叔母上の母親にドロテーアの現実を見せられないのかな」
「見せても受け入れられないだけかもしれないけれどね」
「両親を抱えて領地経営は大変だから、両親が隠居でもしてくれたらいいんだけど」
デシレア叔母上の話では普段は無関心な父親も領地経営には口を出して来ると言う。病んだ母親を抱え、領地経営が下手で借金を作った父親は経営に口を出してくるなど、デシレア叔母上の心労が慮られる。
「父親の方はどう思っているんだろうね」
「ドロテーアのこと?」
確かに行動に出て私たちのところに押しかけて来てはファンヌをドロテーアと呼ぶ母親にばかり目が行くが、父親の方はどうなのだろう。
「母親を止めようとしてなかったもんね……ドロテーアが悪くないと思っているのかもしれない」
ケントに騙されただけの被害者の可哀想な自分たちの娘。
そんな風にドロテーアを思っているのならば大間違いだ。ドロテーアは毒の呪いをアンネリ様の水差しにかけて、徐々に体が弱って行くようにして呪い殺したのだ。
証拠の水差しも私たちがドロテーアとケントを糾弾した立体映像もしっかりと残っている。
「まずは立体映像を見せて、それでもだめなら、ドロテーアの面会に行かせる?」
「それでデシレアさんの苦労が減ると良いんだけどね」
現実を見たくない人間というのはどこまでも目を逸らし続けるものだ。
お兄ちゃんの言葉に私はため息を吐いた。
「おちたの! おちっこ!」
「おはよう、エディトちゃん」
「大変! 早く行かないと間に合わないかもしれないわ」
起きて来たエディトちゃんにヨアキムくんが声をかけて、素早くファンヌがお手洗いに連れて行ってくれていた。ついでにファンヌとヨアキムくんも手を洗って、私とお兄ちゃんも手を洗って、おやつの時間にする。
お屋敷から持って来たバスケットの中身はフィナンシエにマドレーヌにフロランタンにマフィンなど、焼き菓子がぎっしりと詰まっていた。しばらくこの家に通うので日持ちがするお菓子をお屋敷の厨房で作ってもらって個包装にしてもらったのだ。
「わたくし、フロランタンにする。エディトちゃんは?」
「わたくち、マフィン」
「僕はマドレーヌにしようかな」
「一口ずつ分けたら、みんな一緒に楽しめるよね」
ため息が出るような話をしていたせいかファンヌとエディトちゃんとヨアキムくんの可愛い会話に和んでしまう。お兄ちゃんはクッキーが数枚入った袋を手に取っていた。
「チョコクッキーが緑茶によく合うんだよね」
「最近緑茶ばかり飲んでるよね」
「ここに来てすっかりはまっちゃった」
冷水で淹れる緑茶も、低めの温度のお湯で淹れる緑茶もどちらも美味しい。緑茶があまり美味しくないイメージがついていたのは正しい淹れ方を知らなかったせいだった。
管理人さんに教えてもらったが緑茶は紅茶のようにぐらぐらに煮立った熱湯で淹れてはいけないのだそうだ。ちょっと温度の下がったお湯か、冷水、氷で淹れても美味しいのだという。
「夏になったら氷で淹れる緑茶を試してみようね」
「スヴァルド領から来月には緑茶のフレーバーティーの試供品が届くそうよ」
ブレンダさんもやってきておやつの時間は賑やかになる。
少しの間だけでも憂いを忘れて私は楽しいお茶の時間を過ごしたかった。
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