12.六年生の思い出とは
幼年学校の昼休み、私は数名の女の子に呼び出されていた。恥ずかしそうにしている小柄な灰色の髪の女の子を、周囲の女の子たちが私の前に押し出していた。
昼休みの間にフレヤちゃんに元バックリーン家の領地がどうなることになったかを教えたかったし、早く教室に戻りたいのに、中庭から帰る道を塞ぐように女の子の群れが私に立ち塞がっていた。
「早く言いなさいよ」
「でも……」
「言わないなら私が言うわよ?」
「い、言う、言うから」
小柄な灰色の髪の女の子が顔を真っ赤にしながら一歩前へ出る。反射的に一歩下がってしまう私の前で、女の子は両手を拳の形にして握り締めていた。
「幼年学校も、こ、今年で卒業じゃないですか」
「え、うん、そうだね」
最高学年の六年生になっているわけだし、そんなことは分かり切っているのに今更何を言っているのだろう。よく分からなくて首を傾げる私に、灰色の髪の女の子は続ける。
「思い出が欲しいんです」
「作ればいいんじゃないかな」
そんなの個人の自由だ。
幼年学校でどんなことをして思い出を作ろうとその子の勝手である。私はフレヤちゃんとダンくんと知り合えて、このままなら魔術学校にも一緒に行けそうで幼年学校はいい思い出がいっぱいだった。
実生活では殺されかけたり、誘拐されたり、アンデッドの相手をしたりして大変なことが多かったけれど、幼年学校自体に嫌な思い出はあまりない。あるとすれば告白をしてきたのを断ったせいで一年生のときに三年生に目を付けられたとか、校内でルンダール家の「お姫様」と噂されているとか、それくらいだ。
「イデオンくんと、作りたいの」
「は?」
言われて私は初めてその女の子をまともに見た。一年生のときから一クラスしかなかったのでずっと同じクラスのはずだったが、ただの同級生というだけで私とその子はほとんど話したこともない。
ルンダール家の子どもだということがあるのか、ダンくんとフレヤちゃんがいるからか、私の周囲に他の子どもは集まりにくい。同級生と言っても勉強や実家の農作物の栽培で困ったら知恵を貸すことはあっても、親しく毎日話をするのはダンくんとフレヤちゃんくらいだった。
「ずっとイデオンくんのことが可愛くて素敵だって思ってて……勇気が出なくてお話しできなかったけど、これからお話してくれますか?」
「なんの話を?」
「あの……セシーリア殿下と婚約していることは知ってます。でも、私に思い出をください」
もしかして、これは告白なのではないだろうか。
セシーリア殿下との婚約の話が出て私はやっと気付いた。
魔術学校に進む予定のないであろう灰色の髪の女の子が、最後の一年間好きな相手と話をして過ごしたい。それは可愛い願いなのかもしれないが、全く好きではない私の方からすると迷惑でしかない。
「ごめん、私はあなたとする話はないよ」
「そんな……」
泣き出してしまった灰色の髪の女の子に、周囲の女の子が囃し立てる。
「イデオンくんったら女の子を泣かせるなんて最低」
「付き合ってって言ってるわけじゃないんだからいいじゃない」
「泣かせたんだから責任取りなさいよ」
無茶苦茶な理論である。
無視して通り過ぎようとしても道は塞がれている。
「自意識過剰なんじゃない?」
「フレヤちゃん!?」
「ひとの迷惑を考えずに恋してるからって気持ちを押し付けるのが正しいとでも思ってるわけ? イデオンくんにも選ぶ権利ってものがあるわよ」
「何言ってるのよ、イデオンくんは泣かせたのよ!」
「勝手に泣いただけでしょう。泣いて物事が解決する年齢でもなし、それが学べて良かったわね」
行きましょう、イデオンくん。
私の手を引いて女の子の群れから救い出してくれるフレヤちゃんは格好良くて、私は見惚れてしまった。
恋愛として他人に惚れるという感覚が私にはまだ分からないけれど、イーリスさんはブレンダさんに恋心を抱いたときこんな感じだったのだろうか。私がフレヤちゃんに惚れるということは絶対にないのだが。
「ありがとう、フレヤちゃん」
「早くイデオンくんと話したかったのに、本当に邪魔なんだから」
集団で私を囲んで動けなくした女の子たちにフレヤちゃんは怒っているようだった。
聞きたいことは分かっているので、教室に戻ってダンくんと三人で話し出す。
「元バックリーン家のお屋敷跡に執務室兼子ども部屋のある家を建てて、お兄ちゃんが領地を治めることになったんだ」
「空白にはならなかったのね。治めるひとがいないと領地が荒れるから良かったわ」
それぞれの領地を治める貴族がその領地の領民を守っている。守る貴族がいなくなれば領地は荒れて、泥棒や魔物も出やすくなるとフレヤちゃんは心配していたようだった。
「私とファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんもお兄ちゃんを手伝うことになったよ」
誇らしく胸を張る私にダンくんが微妙な顔をしている。
「イデオンはすごいよなぁ」
「そうかな?」
「7歳で向日葵駝鳥の石鹸の事業を立ち上げて」
「それは石鹸のことを調べてたら、向日葵駝鳥の油が使えることが分かって、農家で作れないか相談したらカミラ先生が事業にしてくれただけだよ」
「充分すごいよ。それに、何度も決闘とか暗殺とか誘拐とかも潜り抜けて」
「それも私の力じゃないよ」
「フォルティスセプスの犯人だって捕まえただろ? アッペルマン家も処罰を与えて、バックリーン家も……」
言われてみれば私は色んなことをやっている気がするが、それもほとんどお兄ちゃんと一緒に考えて乗り越えてきたことであり、私一人では到底できなかったことだった。
「お兄ちゃんがいたからだし、ダンくんだってすごいよ。フレヤちゃんだって」
「フレヤちゃんがすごいのは認めるよ。アッペルマン家に潜入したんだろ? 女スパイ! かっこいい!」
「ダンくんだって最近は成績も上がって来てるし、アイノちゃんの面倒も見てるし凄いと思うよ」
アイノちゃんがダンくんのお母さんのお腹にいるときにダンくんは私に相談しに来てくれた。ミカルくんを産むときにダンくんのお母さんが死にそうになったために、次の子どもを産むことを躊躇っていたこと、ダンくんは自分が魔術学校に行かなくて働いても構わないからお母さんに子どもを産んで欲しいと願っていることを話してくれた。
「あのときのダンくん、すごく格好良かったよ」
「そ、そうか?」
「私だって、魔術具がいっぱいあってカリータ様の後ろ盾があるからアッペルマン家に行けたのよ。みんな誰かの力を借りて生きてるんだわ」
フレヤちゃんの言葉は私の心にしっくりと馴染んだ。
誰もが誰かの力を借りて生きている。それを忘れてはいけない。
「イデオン、茶畑、俺も見に行っていいか?」
「私も見たいわ!」
恩のあるフレヤちゃんにはぜひ茶畑を一緒に見て欲しかったし、親友のダンくんもそれは同じだった。
「お兄ちゃんに帰ったら聞いてみるね」
約束をして話を終えて午後の授業を受けた。
お屋敷に帰るとエディトちゃんとコンラードくんが子ども部屋でマンドラゴラのダーちゃんとブーちゃん、マンドラゴラのニンちゃんと追いかけっこをしていた。スイカ猫のスーちゃんは棚の上で寛いているが、コンラードくんが危険な場所に行こうとすると素早く降りて来て止める。
すっかり子守が板についた様子だった。
執務室にただいまの挨拶をしに行こうとすると途中でブレンダさんに声をかけられた。瀟洒なレースのような箔押しのされた美しい便箋をブレンダさんは何通も持っている。
「毎日、イーリス令嬢から手紙が届くんだけど、どう思う?」
「ブレンダさんはイーリスさんのことをどう思っているんですか?」
「それは……可愛いひとだとは思うけれど、そんな急に恋とか愛とか言われても分からないよ」
ずっと恋愛沙汰に縁がなくて急に猛烈にアプローチされているブレンダさんは戸惑っているようだった。
「カスパルさんみたいなお手紙なんですか?」
「そんなんじゃないよ。すごく誠実で、心がこもっていて……」
女性だからとか、そういうところで判断しない辺り、ブレンダさんにも好意はあるのではないかと思ってしまう。
「ブレンダさんは返事は書いたんですか?」
「迷ってる……書いたら期待させてしまうんじゃないかって」
「迷ってる時点で、ブレンダさんに気持ちがあるように私には見えますよ」
指摘するとブレンダさんは頬を赤らめていた。
執務室に向かおうとするとブレンダさんが横に並ぶ。
「オリヴェルとイデオンくんとファンヌちゃんとヨアキムくんとエディトだけじゃ不安だから、私も元バックリーン家の領地を治めるのを手伝うことにするよ」
「ブレンダさんが手伝ってくれるんですか!? 心強いです」
「領地を治める中には、魔物や窃盗団が近寄らないように結界を張るのも仕事の一つとしてあるから、役に立てると思うよ」
もうすぐ元バックリーン家の領地に執務室兼子ども部屋のある家が建つ。私たちは約一年間、そこに通うことになるのだった。
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