5.貴族と平民の間にあるもの
アッペルマン家のお屋敷は全壊して、アッペルマン家とその親族は貴族の爵位をはく奪された。新しくアッペルマン家が治めていた領地に据える貴族は決まっていないが、カミラ先生はそれを選べる立場にあった。
報告を聞いてお兄ちゃんもクリスティーネさんも安堵したようだった。
「アッペルマン家からの報復はないのですね」
「安心してください、クリスティーネさん。もう大丈夫です」
「良かった……本当にありがとうございます」
髪と同じ亜麻色の瞳に涙をいっぱいに溜めたクリスティーネさんは、私から見ても可愛くてなんとなく胸がもやもやとしてしまった。
「アッペルマン家のことが見せしめとなって、叔母上の定めた法律に従っていない貴族を取り締まれるし、貴族たちも警戒して法律を守るようになるだろうね」
「ちょっとやりすぎちゃったかもしれないけど」
「それだけ幼馴染のフレヤちゃんが心配だったんだよね。イデオンは本当に優しい子だ」
幼年学校の一年生のときからダンくんと揉めていたときもフレヤちゃんはずっと私を庇い続けて来てくれた。そんな優しくて強いフレヤちゃんを抵抗できない状態で蹴るなんて絶対に許せないと思ったのだ。
「実際には蹴ってなくて、フレヤちゃんが足に飛び付いて転ばせて、アッペルマン家の主人の方が脳震盪起こしてたんだけどね」
「さすがフレヤちゃん。フレヤちゃんに怪我がなくてよかった」
「スカートを切った子どもは足払いで転ばせてたし」
「うーん、フレヤちゃん強いなぁ」
思わずお兄ちゃんも唸ってしまうほどフレヤちゃんは強かった。
けれど私に貴族の現状を見せたかったというフレヤちゃんの言った台詞に私は引っかかりを感じていた。
「フレヤちゃんのお姉ちゃんが貴族に襲われそうになったんだって」
「え!? いつ?」
「詳しくは聞いてないんだけど」
その話を聞くや否やお兄ちゃんは私の手を取ってカミラ先生の執務室に走り込んでいた。アッペルマン家の爵位はく奪が決まった後で書類仕事などに忙しそうなカミラ先生に構わず、お兄ちゃんはカミラ先生とビョルンさんに詰め寄る。
「イデオンの幼馴染のフレヤちゃんの姉君が貴族に襲われかけたと聞きました。報告が上がっていますか?」
「いつ頃の話ですか?」
「詳しくは分からないのですが……イデオン、聞きに行く?」
フレヤちゃんに聞きに行こうかと考えたところで私はすぐにフレヤちゃんが潜入するために通信具などを全部持ったままだということに気付いた。魔術の通信で話してみると、フレヤちゃんは声を潜めた。
『その話は直接したいから、魔術具を返しにこれからお屋敷に行ってもいいかしら?』
「フレヤちゃん、今回のお礼もしたいですし、私から正式にお招きいたします。馬車で迎えに行かせますので、ご両親とお姉様もご一緒においでください」
私が話していたはずなのに素早く入って来たカミラ先生が全て準備を整えてくれる。以前は栄養剤を作る工房で働いていたフレヤちゃんのお姉ちゃんは、今は向日葵駝鳥の石鹸とシャンプーを作る工場で働いているはずだった。
工場にも話を通してカミラ先生はフレヤちゃんのお姉ちゃんの休みをとらせてもらっていた。
おやつの時間には馬車がやってきて、ちょうどファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんとコンラードくんも帰って来て、お屋敷は急に賑やかになった。
「フレヤお姉様、大丈夫でしたの?」
「ファンヌちゃん、心配していてくれたのね。平気だったわ」
「フレヤお姉様はお強いですから」
ファンヌとヨアキムくんに囲まれてフレヤちゃんはにこにこしているが、ご両親とフレヤちゃんのお姉ちゃんの表情は優れない。デリケートな話なので、応接室でフレヤちゃん一家とカミラ先生と私だけで話を聞くことになった。
「ここ数年の報告書を探してみたのですが、フレヤちゃんのお姉様らしき被害者の事件に関する届け出は出ていませんでした」
「警備兵に出したのですが、握り潰されたようです……」
相手は貴族の子息で、一年ほど前にフレヤちゃんのお姉ちゃんが実家から工場の寮に帰る途中に囲まれてしまったのだという。押さえつけられて服を脱がされそうになって、必死に抵抗したら蹴りが一人の股間に当たって、怯んでいる間に破れた服で逃げ出して事なきを得た。
「暗がりだったのですが、抵抗したときに相手の服の襟をむしり取ったようで、気が付いたらバックリーンの刺繍のある布を持っていました」
「バックリーン家!? 貴族の子女が襲われたと何件も届け出が出ています。謹慎を申し渡されているはずなのに、今度は平民を襲い始めたのですね」
バックリーン家の子息を中心に悪い仲間が集まって貴族の子女を襲う事件は二年前に立て続けに起きていたのだという。結婚が決まっている貴族もいたので公にはしたくないということで、裁判沙汰には持ち込まれなかったがカミラ先生はバックリーン家の子息に謹慎を言い渡し、次回事件を起こしたら問答無用で領地から追い出すと告げていた。
貴族の子女だからバレたのだと思ったバックリーン家の子息はその後平民の女性を襲うようになって、それをバックリーン家が握り潰しているのだとすれば由々しき問題だった。
カミラ先生のたおやかな手がフレヤちゃんのお姉ちゃんの手を握る。
「つらい話をさせてしまいました。勇気を出してよくぞ話してくださいました。必ずやバックリーン家の子息には相応の罰を与えます」
「相手が貴族だったので、ずっと言えなくて……」
「警備兵に言っても握り潰されたんですよ!」
フレヤちゃんにそっくりのお姉ちゃんの目からはらはらと涙が零れる。
お姉ちゃんの肩を抱くフレヤちゃんは激怒していた。
「私が傍にいるんだから、言ってくれたらよかったのに」
「相手が貴族だから報復が怖いって、お姉ちゃんが言ってて、どうしても言えなかったの。ごめんなさい」
言えないことにずっとフレヤちゃんも罪悪感があったのだろう。それが今怒りに変わっている。眉を吊り上げるフレヤちゃんをお姉ちゃんが抱き締める。
「フレヤがシベリウス家の後継者に望まれている、フレヤがアッペルマン家に潜入を頼まれたらカリータ様は家に来てくださるほど心配してくれていると思ったら、勇気をもらえました」
後ろ盾のないクリスティーネさんが証言を躊躇ったように、貴族を平民が糾弾するのはやはり厳しいようだ。今回の件も警備兵に握り潰されてどうしようもないと思っていたのを、カリータさんの件がきっかけでフレヤちゃんのお姉ちゃんは話してくれようと考えた。
「これは氷山の一角かもしれません。警備兵に握り潰されて泣き寝入りしているだけで、もっと被害者がいるのかもしれない……慎重に調査していかなければいけません」
フレヤちゃん一家を馬車で家まで送り届けた後、カミラ先生はビョルンさんとブレンダさんとカスパルさんを呼んで会議を開いていた。
力になりたい気持ちはあるが、私にできることがあるだろうか。
「イデオン、どうだった?」
部屋に戻って来た私にお兄ちゃんが問いかける。
自分は男性で身体も大きい方で威圧感があるので、お兄ちゃんは話を聞く席から自ら遠慮して遠ざかっていた。こういう配慮のできるところもお兄ちゃんの尊敬できるところだった。
「バックリーン家の子息って、何歳くらいか分かる?」
「僕と同じくらいじゃないかな? 確か、結婚が決まったんじゃなかったっけ?」
「え!? 結婚が!?」
自分がしたことを全て握り潰して、自分は結婚してしまうなんて冗談じゃない。襲われた女性がどれだけ心に傷を負ったか、私は男性でまだ11歳なので想像しかできないけれど、一年も黙っておかなければいけなかったフレヤちゃんのお姉ちゃんの気持ちを思うと胸が痛くなる。
「私にすらフレヤちゃん言えなかったんだよ、一年も。どれだけ苦しかっただろう」
「そういう男は去勢してしまうに限るね」
「うん、そうだね! って、去勢!?」
以前にカミラ先生が言った言葉で、男性としての機能を失くしてしまうという意味のそれを、私はなんとなく分かっていた。お兄ちゃんの口からそんな過激な言葉が出たので驚いてしまっただけで。
「イデオン、どうにかしてその結婚、ぶっ壊そう!」
「お、おう!」
お兄ちゃんが怒っている。
珍しいことだけれどそれだけ許されないことをバックリーン家の子息がしたことは確かだ。
怒るタイミングを逃した私はお兄ちゃんを全力で支援することに心を決めていた。
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