2.偽の使用人として適任者は
前のお屋敷で苛められていた件に関して、クリスティーネさんは話すことにかなり警戒心を持っていたようだった。貴族の悪口を言う形になるし、ルンダール領で一番権力を持っているルンダール家の当主代理のカミラ先生に話すということは、勤めていたお屋敷での秘密を漏らすことになる。
辞めるときに絶対に話してはいけない。話したら復讐するとクリスティーネさんは言い聞かされて追い出されたようだった。
震える手がメイド服のエプロンを握り締める。少しでも気が緩むようにカミラ先生は子ども部屋でヨアキムくんとファンヌとエディトちゃんが遊んでいて、コンラードくんがリーサさんに寝かしつけられている状況で話を聞こうとした。
ぽたりとクリスティーネさんの亜麻色の瞳から涙が零れた。
「週に一度お休みがもらえるだなんて、あり得ませんでした」
魔術学校に通うようになってからクリスティーネさんは俯きがちだったのが顔を上げるようになった。ルンダール家でもヨアキムくんやファンヌやエディトちゃんに遠慮して消えそうな声で話していたのが、ちゃんと聞き取れる大きさの声になった。
前に勤めていたお屋敷で粉々にされた自尊心が少しずつ回復しているのを私たちは見て来た。
「アッペルマン家は、年上の使用人が年下の使用人を酷く扱うのが普通でした。新人が来るたびに次の標的はその子になるんだと決まっていました。お子様たちも年上の使用人が苛めるので当然のようにして良いことだと思っていたのです」
食べ物に虫やカエルを入れられたり、服を切られたり破られたり、暑い中で外で水も飲ませずに長時間失くしてもいない探し物を探させられたりして、クリスティーネさんは12歳で幼年学校を出てアッペルマン家を辞めるまで、一番年下の使用人として苛め抜かれた。
「食事には何が入っているか分からなかったので、厨房からパンを盗んでそれと水だけで飢えを凌いでいました……。着替えも洗濯に出すと切られたり破られたりしてくるので、自分で洗っていたのでいつも臭くて、お子様たちに罵られていました」
夏場は外の水場で真夜中に体や髪を洗っていたが、冬はシャワーも使わせてもらえず凍えながら庭の水場で行水をしていると覗かれたことも、服を持っていかれたこともあるという。
ルンダール領は文化的で平和な領地だと思っていた。私の両親が治めていた時期に荒れたこともあったけれど、それも落ち着いて領民の暮らしは楽になっていると信じていただけに時代錯誤な貴族のお屋敷での苛めの話に私はショックを受けていた。
「お屋敷の中は密室ですから、馬鹿げた風習が残りやすいのでしょうね。本当に苦労しましたね」
「お願いです、わたくしが証言したとアッペルマン家に言わないでくださいませ! どんな目に遭わされるか分かりません」
「あなたはもうルンダール家の乳母ですよ。手を出させません」
「いいえ! 貴族はわたくしたち平民をどんな手でも引きずりおろすことができます。カミラ様を信じていないわけではないのです。アッペルマン家のひとびとが、どれだけ悪辣かを思うと怖くて」
エプロンを握り締めるクリスティーネさんの手が震えている。ぽたぽたと膝の上に落ちる涙に私もカミラ先生も強制することはできなかった。
証言はあるのだが、その証言者がアッペルマン家に言わないで欲しいとお願いしている。そうなるとアッペルマン家で横行している使用人を週一回休ませないとか、苛めの問題などに入り込むことができない。
泣いているクリスティーネさんには一度部屋に戻ってもらって落ち着くようにお茶を用意させて、私とカミラ先生は向かい合って座っていた。
「困りましたね。証言者がいないのであれば、動きようがありません」
「どうすればいいんでしょう……」
困ったときはお兄ちゃんに意見を求めるのが通常なのだが、今日はお兄ちゃんは研究課程の授業が遅くなるのでまだ帰って来ていなかった。
思い付いたことはあるのだが、それを口にしていいのか躊躇われる。
きっとカミラ先生は反対するだろう。
それを説得するためにはお兄ちゃんの力がなければいけない。
いや、私ももう11歳だ。幼年学校の六年生になったのだ。お兄ちゃんがいなくても自分の意見をはっきり言ってみることができないだろうか。
「わ、私が、アッペルマン家に使用人として雇われるのはどうでしょう?」
幼年学校を卒業するのは12歳で、それ以後しか子どもは働いてはいけないように法律で決まっているが、年くらい誤魔化せないだろうかと申し出た私にカミラ先生はため息を吐いた。
「イデオンくん、立ってくれますか?」
言われて椅子から降りて立った私の背丈をカミラ先生はじっくりと検分する。
「言いにくいのですが、イデオンくんは11歳より年下にしか見えません。お顔もとてもあどけなく幼く可愛いですし」
ショック!
折角申し出たのに私は年を偽るどころか年よりも幼くしか見えなかった。
「それに、イデオンくんはセシーリア殿下の婿候補としても、向日葵駝鳥と青花の石鹸とシャンプーの一大事業を立ち上げた人物としても、顔が知られ過ぎています」
そうだった。
私は有名人だったのだ。
がっくりと肩を落とす私にカミラ先生は困った顔のままだった。
年齢的に苛めを受けそうな使用人になれそうな人材がいないものか。
「アッペルマン家は使用人が辞めて入れ替わりが激しそうですね。偽の使用人を送り込むというのは、悪くない考えです。イデオンくんでは無理ですが」
「私以外に、信頼ができて、苛めや休みがない証拠を持って来られる人物がいるでしょうか」
悩んでいるとお兄ちゃんが帰って来た。
飛び付いてお帰りなさいのハグをすると、お兄ちゃんにクリスティーネさんが話したことを伝える。
「証言はあるけれど、クリスティーネさんは証言者になりたくないと……。それはそうだよね。クリスティーネさんは平民で、後でどんな復讐をされるか分からないからね」
「どうにかならないかな」
クリスティーネさんを怖がらせずにアッペルマン家がルンダール領で定められた雇用形態を守っていないことと、苛めを横行させていることを証明するための人物。
できれば貴族に顔を知られていなくて、アッペルマン家からの復讐に怯えない立場だと助かるのだが。
「イデオン、フレヤちゃんはシベリウス家を将来継ぐという返事をしたんだよね?」
「うん、ご両親とも話し合って、ご両親が健在の間は実家から通って、ご両親が働けなくなったらシベリウス家で一緒に暮らすことで話がついたみたいだよ」
「私もカリータさんからお話は伺っています」
急にフレヤちゃんの話題が出てきたが、少し前にフレヤちゃんが悩んでいたときに相談された内容を私はお兄ちゃんに全部話していた。お兄ちゃんと私との間に秘密はない。私はセシーリア殿下との口付けの件、お兄ちゃんは私が15歳になったら話すと約束してくれた件以外は。それだけはどうしてもお互いに言えないことだった。
新年のパーティーではカミラ先生もカリータさんがフレヤちゃんをシベリウス家の後継者にするつもりだという話を聞いていた。
「フレヤちゃんは生まれも早いし、身体も大きいよね? しかも、シベリウス家が後見になってくれる」
「そっか! フレヤちゃんは幼年学校を卒業した12歳に見えなくもないってこと?」
頼んでしまうのは心配だったがフレヤちゃん以外に適任者はいないような気がしてきた。
「カミラ先生、フレヤちゃんはしっかりした子です。カリータさんのお墨付きもあります」
「叔母上、フレヤちゃんに頼んでみるのはどうでしょう?」
私とお兄ちゃんの提案にカミラ先生は悩んでいるようだった。
「幼年学校もその期間休ませてしまうし、ご両親の許可がいりますね……。まだフレヤちゃんは幼年学校の六年生なのにそんなことをさせていいのでしょうか?」
「それは本人に聞いてみましょう」
劣悪な環境から使用人さんたちを救わなければいけない。行動は早い方が良いと私とカミラ先生とお兄ちゃんは馬車に乗ってフレヤちゃんの家まで行くことにした。
がたがたと揺れる石畳の上に、紅葉した落ち葉がはらはらと散っている。窓から吹き込む風も涼しくなって秋を感じさせていた。
フレヤちゃんの家に着いてご両親も交えて説明をすると、フレヤちゃんは憤慨していた。
「嘘……そんな時代錯誤な貴族の家があるのね。なんてこと!」
「魔術具も持たせるし、記録用の魔術具も持って行ってもらいます。危険のないようにはしたいのですが、どうなるかは分かりません」
「カミラ様、この子は魔物を相手にしても怯まない子です。カミラ様やルンダール領のお役に立てるならば喜んで行くと思います」
「もちろんです。お役に立たせてください!」
快く了承してくれたフレヤちゃんに記録の魔術具と感知試験紙と守護の魔術具を持たせる。
「アッペルマン家は待遇が悪いせいで使用人の入れ替わりが激しく、常に人手不足です。行けば審査もなく雇用されると聞いています」
「分かりました。偽名を使って入り込んで証拠を掴んできます!」
意気揚々とフレヤちゃんが魔術具を隠し持ってアッペルマン家に向かう。
「何かあったらすぐに通信具で呼んでね?」
魔術具と通信具の使い方は伝えたが、私はフレヤちゃんが心配でならなかった。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。