1.11歳の憂鬱
11歳の誕生日前に私はお兄ちゃんとカミラ先生とビョルンさんに魔術具を売っている店に連れて行かれた。
「イデオンくんも幼年学校の六年生になります。卒業すれば魔術学校に行きます」
「5歳から使ってるバッグはもう小さくなったんじゃないかなと思ってね」
「魔術のかかった新しいバッグを作ってもらいましょう」
臙脂色に紺のベルトの肩掛けのバッグは気に入っていたのだが、身体が大きくなったせいで斜め掛けできなくなってきていたことには気付いていた。それに長く使っているので端がほつれてきている。
魔術で補強してあると言っても色も褪せて来ているし、手縫いのそれを私はそろそろ卒業しなければいけないようだった。
カミラ先生とお兄ちゃんとビョルンさんの心遣いに感謝して、生地を選ぶ。
「イデオンは髪の色が綺麗な薄茶色だから、明るい色が似合うかもしれないね」
「お兄ちゃん、この色はどうかな?」
私が示したのは明るい空色の本体に紺色のベルトのついたボディバッグだった。体に合わせてベルトの長さは調整できるので、大きくなっても安心だ。ボディバッグ自体は常に身に着けていても気にならないサイズだが、中は魔術で拡張されていて大量に入る作りになっている。
「このバッグに、この魔術具と同じ刺繍を入れてもらうことができますか?」
お兄ちゃんとお揃いの首から下げる魔術具のプレートには、私が青い蓮のような花、お兄ちゃんが木が描かれている。私のお願いをカミラ先生はバッグを売っているお店に伝えてくれた。
誕生日には私は空色のボディバッグに青い花の刺繍が入ったものをもらったのだった。
「今までありがとう」
これまで使っていた肩掛けのバッグから中身を全て移した後に、それを撫でて畳んで私は机の引き出しにしまった。もう使うことはないかもしれないが、お兄ちゃんと過ごした日々の思い出が残った大事なバッグだった。
11歳になって私は少し身長が伸びた。
とはいえ、クラスで一番小さいことには変わりないし、六年生ではなくて五年生や四年生と間違われることもしばしばだったが。
種を交えての遺伝の話で教えてもらったように私の両親が大きくなかったから私もあまり大きくはならないのだろう。残念だけどそれは受け止めるしかない事実だった。
私の誕生日はエディトちゃんの誕生日でもある。エディトちゃんは伸びて来た髪を纏めるシュシュをもらってリーサさんに髪を結んでもらってご満悦だった。
11歳の一年が始まる。
幼年学校に行くとダンくんは前よりももっと大きくなった気がして隣りに並ぶのがちょっと恥ずかしい。フレヤちゃんも女の子は成長が早いと言われるが背が高くなって大人びて見えた。二人に囲まれると私ばかり小さいような気がしてしまうのはどうしようもない。
「イデオン、俺の声、変じゃないか?」
「変じゃないけど、前とは違うね」
「そっか……」
クラスで一番生まれの早いダンくんは変声期がもう来ていて声が低くなり始めていた。掠れた声を気にしているダンくんに先生は喉を使い過ぎないようにと言っていた。音楽の授業もダンくんは出せるだけの声しか出さない。
音楽の授業で私はピアノを少しだけ弾けるので、先生に伴奏を頼まれることが多くなった。幼年学校の先生にも得手不得手があるようで、五年生から私たちを受け持ってくれているクラース先生はピアノや楽器が上手ではなかった。
アントン先生から特別に声楽と音楽のレッスンを受けている私は、クラスの中でも音楽が得意な方だった。他の科目はフレヤちゃんに負けることがあっても、音楽では負けることがない。
「イデオンくんは神聖魔術の訓練を受けているのよね? 神聖魔術って普通に魔術を編み上げるのとどう違うの?」
「よく原理は分かってないんだけど、普通の魔術は術式を編み上げて発動させるけど、神聖魔術は始祖のドラゴンに祈ることで世界の根底にある繋がりに働きかけて世界の理を正す、らしいんだ」
「うん、分かんない」
「私も言ってて分かんない」
はっきりとした授業を受けたわけではないし、本で調べた知識とアントン先生から習ったことをそのまま口に出しただけで、私はまだ神聖魔術の原理を理解していなかった。魔術学校に通うようになれば、神聖魔術の使い手は少ないので希少な魔術師として特別授業が組まれることになっていた。
神聖魔術を会得すれば、呪いを弾いたり、呪いを解いたり、アンデッドに対抗したり、魔物を追い払ったりできるようになる。アントン先生の話では、使いこなせるようになればマンドラゴラや南瓜頭犬やスイカ猫の魂に呼びかけて協力してもらうことも可能だと教えてもらっていた。
「魔術って、結局才能が全てなのよね」
血統でしか生まれない魔術師は、生まれながらに魔力の強さが決まっている。得意分野も決まっている。平民で魔術師の血統ではない中で才能を持って生まれて来たフレヤちゃんには不利な世界だった。
息をするように肉体強化の魔術を使うファンヌやエディトちゃん、呪いの魔術を使うヨアキムくんが傍にいる私としても、自分に魔術の才能がないことにはずっと悩んで来た。それが神聖魔術の才能があると分かったのが一昨年のことだ。
それまではずっと自分は魔術ではなく違う何かでお兄ちゃんを支えて領地を治める補佐をしなければいけないと信じていた。神聖魔術が使えると分かってからも領地経営には直接関係しないので、結局役に立つのか立たないのか分かっていないが、せっかくの才能なので伸ばす努力はしている。
「それにしても、イデオンくんの声、とても綺麗ね」
「そうかな? 自分では分からないけど」
「高い声が澄んでてよく響いて、とても素敵よ」
「イデオンのその声も変わっちゃうのか……」
褒められて嬉しくなった私に、どんよりとしたダンくんが掠れた声で言う。変声期は大人になるための第一歩だし仕方がないと分かっているのだが、フレヤちゃんに褒められる声が変わってしまうのは惜しいと思わずにはいられなかった。
お屋敷に戻ると珍しくお兄ちゃんが帰っていたので「ただいま」と「お帰りなさい」のハグをする。
「このハグもそのうち止めないといけないのかな」
「止めたいの?」
「ううん、お兄ちゃん、大好き!」
「いつまでそんなに無邪気に言ってくれるのかな。反抗期とか来ちゃったら、僕、ショックで寝込むかもしれないね」
くすくすと笑うお兄ちゃんに、上着をクローゼットに片付けてボディバッグから学校の教科書やノートを取り出して机の上に置いてから、私は椅子に座って考えてみた。
お兄ちゃんに反抗する私。
ハグもしないし、一緒にお風呂にも入らないし、口もきかない。
考えただけで寂しくて無理だ。
「反抗期って来ないとおかしいのかな?」
「僕は反抗してる余裕がなかったからなかった気がするけど」
「なくても大人になれるよね?」
大人にはなりたいけれど、反抗期も変声期もなければいい。
そう思わずにはいられない。
「お兄ちゃんはいつ頃から声が低くなりだしたの?」
「幼年学校の五年生くらいで喉が痛かった気がする。変声期のことを教えてくれる大人がいなかったから、風邪を引いたんだと思い込んでた」
お兄ちゃんが幼年学校の五年生ならば私は1歳。まだ出会ってもいないし、出会っていてもお兄ちゃんのことが記憶には残っていない時期だった。
気が付いたらお兄ちゃんは低い穏やかな声で喋るひとだった。お兄ちゃんのようになりたいと思うけれど、変声期は来ないで欲しい。
「私の歌、上手だってフレヤちゃんが褒めてくれたよ」
「イデオンは毎日頑張ってるからね」
「声変わりしたくないなぁ」
落ち込んでいる私にお兄ちゃんが書庫に誘ってくれた。探したのは声楽の本。ルンダール家が長年かけて集めた蔵書は私の両親がルンダール家を治めていた時代にも処分されず全部残っているので、その種類は多岐に渡っていた。
書庫で勉強しているクリスティーネさんと目が合ったら、クリスティーネさんはお兄ちゃんにぺこりと頭を下げていた。ちょっと胸がもやもやしたけれど気にしないことにする。
「これ、見て」
「ファルセット?」
「そう。声変わりした男性でも高い声を出す技法があるんだって」
ファルセットといういわゆる裏声のようなものを使って、声を裏返すことによって高い音域を維持する技法がある。それを知って私は少し安心した。
お兄ちゃんはいつも私の不安を取り除いてくれる。
変声期が来て声が変わってしまっても、私は努力で何とかなるかもしれないと学んだのだった。
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