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お兄ちゃんを取り戻せ!  作者: 秋月真鳥
七章 幼年学校で勉強します! (五年生編)
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30.大人になるまでまだ遠い

 エディトちゃんに手を引かれて子ども部屋に入るとビョルンさんがコンラードくんにお水を飲ませていた。小さめのカップを両手で持って零しながらも、んくんくとコンラードくんはかなり上手にお水が飲めるようになった。飲み終わってカップをビョルンさんが受け取ると、リーサさんがコンラードくんに手を差し伸べる。


「お着替えを致しましょう、コンラード様」

「りー、りー」


 上半身濡れた服でぽてぽてと歩いて行ってリーサさんの元に行くコンラードくん。自分の手が空いているときはコンラードくんの面倒は自分で見るビョルンさんが珍しいと思ったら、エディトちゃんが私の手を引いてビョルンさんの前に連れて来てくれた。


「随分と悲しそうな顔をしていますね。エディト、イデオンくんが心配だったんですね」

「ちちうえ、いーこちてあげて」

「はい、私がお話を聞きましょうね」


 さっき話を聞いてもらって納得してビョルンさんの部屋から戻った私が、今度は子ども部屋でビョルンさんに話を聞いてもらうことになっている。

 何をどう言えば良いのか分からない私をビョルンさんは向かいの椅子に座らせた。


「私、嫌な子なんです」

「イデオンくんは自分を嫌な子だと思っているんですね」

「お兄ちゃんとクリスティーネさんが仲良くしているのを見ると、すごく嫌な気分になって、『私のお兄ちゃんを取らないで!』って言いたくなるんです。クリスティーネさんは魔術学校に入学したばかりで、勉強が追い付いていなくてお兄ちゃんに聞かないと困るのは分かっているのに」


 口にすると堰を切ったかのように言葉が止まらない。


「お兄ちゃんじゃなくて、ブレンダさんでもカスパルさんでもいいんじゃないかって思っちゃうんです。でも、ブレンダさんもカスパルさんも当主の補佐の仕事で忙しいのを知ってます。ビョルンさんはカミラ先生の代わりに頻繁に抜けて子どもたちと触れ合ってるけど、本当はすごく忙しいのも分かってます。私のこんな嫌な話を聞かせたいわけじゃないのに……」


 ごめんなさい。

 震えた声で謝るとビョルンさんは手を伸ばして私の薄茶色の髪を撫でた。驚いて私は後ろに仰け反ってしまう。慰めてくれたのに酷い反応だと反省してもう一度謝ろうとしたら、ビョルンさんはそれを遮った。


「イデオンくんはずっとオリヴェル様が特別だったんですよ」

「は、はい?」

「イデオンくんは撫でられるのも、抱っこされるのも、ファンヌちゃんやヨアキムくんがいたからかもしれませんが、私やカミラ様にされませんでした。今、髪を撫でたのもすごく驚いていたでしょう」

「それは……お兄ちゃん以外のひとがしたことがないから」


 抱き締めてくれるのも、抱き上げてくれるのも、お風呂に入れてくれるのも、額にお休みなさいのキスをするのも、「行ってらっしゃい」と「行ってきます」のハグをするのも、私はお兄ちゃんだけだ。

 抱き締めさせて欲しいと言われてカミラ先生に何度か抱き締められたことはあったけれど、それは心構えがあったから驚かなかっただけのこと。急にされたらきっとびっくりしていた。


「ヨアキムくんが話していました。オリヴェル様はイデオンくんにお休みのキスをするんだって」

「そ、そんなこと、話してたんですか?」

「自分はされたことがないからと言われたので、私とカミラ様でしましたよ」


 ヨアキムくんは両親になったビョルンさんとカミラ先生に甘えることができている。5歳のときからずっと一緒にいるけれど、私が甘える対象はカミラ先生やビョルンさんではなかった。

 2歳からずっと私と一緒にいてくれたお兄ちゃん。たった一人だけの特別な存在だとビョルンさんの言葉で気付かされた。


「それだけ強い兄弟の絆があるのならば、自分以外の相手と仲良くしていたら焼餅を妬いてしまうのも仕方がないですよ」

「や、ヤキモチですか!? それって、お付き合いしている恋人同士とかが妬くものじゃないんですか?」

「兄弟だって特別な存在なら、他の相手と親しくしていたら面白くないと思ってもおかしくはないんですよ」

「私、嫌な子じゃないですか?」

「オリヴェル様のことが大好きなだけでしょう」


 クリスティーネさんが困っていることを知りながら面白くなく感じる自分は嫌な子だとばかり思っていた。それをビョルンさんは否定してくれた。

 特別な絆のある兄弟ならば持ってもおかしくはない感情だと肯定してくれた。


「……ありがとうございます、クリスティーネさんに少し優しくなれそうです」


 お礼を言った私にビョルンさんは「どういたしまして」と言ってから付け加える。


「お風呂の件なのですが、あの後考えたのですよ」

「はい、お兄ちゃんはもう誘わないと納得してくれましたけど」

「オリヴェル様も、イデオンくんが特別で、変な言い方かもしれませんが、イデオンくんに甘えているんじゃないかなと」

「あ、甘えてる?」

「お風呂なんて物凄くプライベートな時間ですよ。その時間イデオンくんを独り占めにして話をしたいって、特別なことだと思います」


 裸で入るお風呂は確かに物凄く特別な空間だ。二人きりで何も遮るものなく、何も隠すことなく、腹を割って話ができる場所でもある。そういう時間をお兄ちゃんも大切にしたかったのかもしれない。


「イデオンくんが成長するにつれて一緒に入るのを卒業するのは自然な流れだと思いますが、今日から急に止めてしまうのではなくて、ときどきは一緒に入りながら、緩やかに卒業して行ったらどうですか?」


 止めると決めたら二度と一緒に入ってはいけない。

 そんな風に私は子どもっぽく意地を張っていた。

 けれどビョルンさんは大人らしく折衷案を出してきてくれた。


「そうですね。そうします」


 返事をしたところでお兄ちゃんが子ども部屋に戻って来た。ビョルンさんはリーサさんからコンラードくんを引き受けてベビーベッドに寝かせる。コンラードくんの枕元にはスイカ猫が丸くなって、ベビーベッドの下には人参マンドラゴラが守るように立っていた。


「何を話していたの?」

「お、お風呂のこと。お兄ちゃん、何か怒ってる?」

「怒ってないけど……最近、ビョルンさんとよく話してるよね」


 あれ?

 これは何だろう。

 私がお兄ちゃんとクリスティーネさんが勉強しているのに焼餅を妬いたように、お兄ちゃんも私とビョルンさんが話していることに焼餅を妬いたのだろうか。いや、そんなはずはない。そんなはずはないのだけれど、そうだったらいいなと思ってしまう私がいる。


「お風呂、ときどきはお兄ちゃんと入っても良いかなって思って」

「え、本当に?」

「うん、急に止めてしまうのは本当は私も寂しかったし、お兄ちゃんが早く帰って来られて、疲れてないときは一緒に入って、徐々に卒業して行けばいいのかなってビョルンさんに教えてもらったんだ」

「ビョルンさんがそんなことを……」


 ちらりとビョルンさんの方を見てから、お兄ちゃんはちょっとだけ面白くなさそうな顔をした。


「僕に相談してくれたらよかったのに」

「お兄ちゃんと私の話なのに、お兄ちゃんに相談するのはおかしいよ」

「僕とイデオンが一緒にお風呂に入らなくなるなんて、二人だけの大切な話でしょう?」


 こういう風にお兄ちゃんが拗ねたような口調になることがあるなんて、私は知らなかった。おかしくなってくすくすと笑ってしまった私に、お兄ちゃんはどすんとビョルンさんが座っていた椅子にわざと音を立てて腰かけた。


「イデオンが頼りにしてるのは僕が一番だと思ってたのにな」

「もう、お兄ちゃんったら、妬いてるの?」

「妬いてるよ。イデオンは僕の特別だから」


 兄弟に焼餅を妬くだなんて恥ずかしいことだし、普通ではないと考えていたのを吹っ飛ばすようなお兄ちゃんの答えに私はくしゃりと泣きそうに笑う。


「私も妬いてたの。クリスティーネさんと仲が良いから」

「あれは勉強を教えてただけ」

「うん、知ってる。知ってても、面白くなかったんだ」


 素直に白状してしまうとお兄ちゃんも声を上げて笑った。


「二人ともおかしいね」

「本当に。私たち、似た者兄弟だね」


 血は繋がっていなくても、人生のほとんどを私はお兄ちゃんと一緒にいる。同じものを食べて、毎朝同じように薬草畑の世話をして、同じお屋敷に住んでいるのだから、実の兄弟のように似て来てもおかしくはなかった。

 二人で笑って、これからお風呂はときどき一緒に入って、魔術学校に入学する年を目標に完全に卒業することに二人で決めた。

 それまでにまだ一年以上もある。

 緩やかに私は大人になっていくのだと実感した日でもあった。

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