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お兄ちゃんを取り戻せ!  作者: 秋月真鳥
七章 幼年学校で勉強します! (五年生編)
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29.お風呂卒業の難しさ

――そろそろ、お風呂は一人で入ることにするよ


 お兄ちゃんに私が宣言したのは秋の日のことだった。

 あれから少し時間が経って、季節は冬に差し掛かっていた。


「イデオン、もう遅いし、お風呂に入ろうか?」

「うん、そうしようかな」


 着替えを用意してお兄ちゃんとバスルームに向かう。先にすぱっと潔く脱いでしまう私と違ってお兄ちゃんは脱いだ服を纏めて私の分も洗濯籠に分類分けして入れてくれる。

 シャワーを浴びて体を洗っていた私は、お兄ちゃんが入って来るとシャワーノズルをお兄ちゃんに渡す。シャワーのお湯だけでお兄ちゃんは念入りに私の頭皮をマッサージするようにしてから、シャワーを一度止めてシャンプーを手に取る。しっかりと泡立ててから頭を洗ってもらって、リンスもつけて流してもらって私は湯船に先に入った。

 お兄ちゃんは私を洗い終えてから湯船に入って来る。

 もう私の身体はそこそこに大きくなっているのでお兄ちゃんが湯船に入ると膝がぶつかりそうになっていた。ざぁっとバスタブからお湯が流れて、暖かさにほっとしたのもつかの間、私は立ち上がって叫んでいた。


「あー!? お兄ちゃんとのお風呂は卒業したんだったー!?」

「あ、ごめん。そうだったね。今までの癖でつい誘っちゃった」

「ううん、お兄ちゃんが悪いんじゃないの。気が付かなかった私が悪いの」


 久しぶりに早く帰って来たお兄ちゃんとお風呂に入れて嬉しかったし、自分でシャンプーをするようになってからひとにしてもらうのはこんなに気持ちが良いのかと実感していたので嬉しくないわけではなかった。ただ自分の決めたことが守れない10歳の意地が私を深く反省させた。

 ほこほこと湯気を上げてお風呂から出て、バスタオルで身体を拭いて、着替えて部屋に戻ると私のマンドラゴラと南瓜頭犬が待っていてくれた。お兄ちゃんとお風呂に入らない日はマンドラゴラと南瓜頭犬が一緒に入ってくれるのだ。

 今日はいりませんでしたか?

 そんな風に言われているようで私はがっくりとマンドラゴラと南瓜頭犬の前に膝を付いた。


「どうして私はこんなに忘れっぽくて意志が弱いんだろう……お兄ちゃんとのお風呂、物凄く嬉しかったし、気持ちよかったし……」


 まだ一緒にお風呂に入りたい気持ちを読んでいるかのようにお兄ちゃんは早く帰った日は間違えて私をお風呂に誘ってしまう。お兄ちゃんとお風呂に入らない宣言をした私も、誘われると前の癖で違和感なく入ってしまうからいけないのだ。

 お兄ちゃんとのお風呂を卒業したい。

 こういうとき、誰に相談すればいいのだろう。


「ビョルンさん、お時間良いですか?」

「どうしましたか、イデオンくん」


 以前にお兄ちゃんを抱っこしたいと相談したときに、ビョルンさんは抱き上げるだけが大事なのではなく、抱き締めて寄り添うことや、心と耳を傾けて話を聞く『傾聴』が大事なのだと教えてくれた。

 あのときのように良い答えをビョルンさんはくれるのではないかと、私はお兄ちゃんが研究課程の研修に行っている休日にビョルンさんを呼びだしていた。

 部屋でお茶を淹れてくれながらビョルンさんは私の話を聞いてくれる。独特の酸っぱい香りのするお茶は、薔薇園で採れたローズヒップから作ったもので、鮮やかな赤い色をしていた。

 酸っぱいローズヒップティーにジャムを入れるとまろやかな味になる。それを飲みながら私はビョルンさんに話をした。


「お兄ちゃんは、私が5歳で子ども部屋から出た冬に、私の頭が臭いことに気付いてくれたんです」

「5歳で髪は上手に洗えませんからね。配慮が足りませんでした」

「でも、それからずっと一緒にお風呂に入っていたんです」


 薬草畑で働いた後の汗を流すだけのシャワーは一人で入ることも多かったが、夜のお風呂は二人一緒だった。


「お兄ちゃんはずっと私の頭を洗ってくれていました」

「オリヴェル様はイデオンくんが特別に可愛いようですからね」

「そ、そうですか?」


 私の下がファンヌで女の子なので一緒にお風呂に入ることはないのかと思っていたが、私だからこそ一緒に入っていたのだとビョルンさんは言ってくれる。


「カミラ様伝いにオリヴェル様のお話は聞いています。イデオンくんが2歳のときから可愛がっていると」

「そうなんです。ずっと可愛がってくれて、一人で眠れない時期は添い寝もしてくれました」


 育児放棄をした両親よりもお兄ちゃんの方がずっと私にとっては大事な保護者のような相手だった。それでもお兄ちゃんはその頃12歳から14歳で子どもと呼ばれてもおかしくない年頃だった。


「お兄ちゃんとお風呂に入るのを卒業したいんです」

「イデオンくんもお年頃ですからね」

「お兄ちゃんのことは大好きで、ずっと一緒にお風呂に入りたいけれど、どこかで区切りは付けないといけないと思っていて、それが今じゃないかと思うんです」


 研究課程に入ってからお兄ちゃんは忙しくなって帰りも遅くなることが多くなった。お風呂の時間も合わなくて私が先に寝てしまって、翌朝、薬草畑の世話の後に髪を洗ってもらう日も増えた。

 お兄ちゃんの負担を減らすためにも、私の生活リズムを整えるためにも、今が卒業するいい時期ではないかと私は考えたのだ。


「オリヴェル様は、分かっていて誘っているのかもしれません」

「え? お兄ちゃんはそんな意地悪なことしません」

「意地悪ではないんですよ。きっと、寂しいんです」


 お兄ちゃんは私が一緒にお風呂に入ることを卒業したがっていることを分かっていながら、わざと間違えたふりをして私をお風呂に誘っている。ビョルンさんの言葉に私はとても驚いてしまった。

 そんな意地悪なことをするようなお兄ちゃんではないことは、私はよく知っているつもりだった。


「意地悪ではなくて、イデオンくんが大人になるのが寂しいんですよ」

「私はお兄ちゃんとお風呂に入った方が良いんですか?」

「それは関係ありません。イデオンくんは大人になるときにはならなければならないのですから。ただ、オリヴェル様が寂しく思うほどにイデオンくんを大好きだと分かっていればいいのです」


 私とお風呂に入らないことをお兄ちゃんは寂しく思っている。

 二人きりでお風呂に入る時間が特別で、内緒話ができる時間だと思っていたのは私だけではなくお兄ちゃんもだった。それがなくなるのが寂しいのだとビョルンさんは教えてくれた。


「そうなんですね……」

「オリヴェル様にお話ししてみてください」


 部屋に戻るとお兄ちゃんは帰って来ていた。椅子を突き合わせて話をする。


「お兄ちゃん、私はお兄ちゃんとお風呂に入るのは大好きだし、誘われたらうっかり入っちゃうけど、それでも、やっぱり、一人前の男になるために一人で入れるようになりたいんだ」

「うん、それは分かってるよ」

「だから、もう、誘わないでね」


 気持ちは嬉しいけれどここで受け取ってしまったら私はいつまで経っても一人前になれない。お願いするとお兄ちゃんは寂しそうな顔をしていた。


「分かった。今までありがとうね」

「お礼を言うのは私の方だよ。本当にありがとう。お兄ちゃん大好き」


 抱き付こうとしたところで、部屋のドアがノックされる。椅子から立ち上がったお兄ちゃんがドアを開けるとノートを持ったクリスティーネさんが立っていた。


「お邪魔でしたら申し訳ありません。オリヴェル様が分からないところがあったらいつでも聞きに来て良いと言われたので……」

「話は終わったところだよ。こちらへどうぞ」


 クリスティーネさんに椅子を勧めてお兄ちゃんは脇に立ってクリスティーネさんに勉強を教えている。白いクリスティーネさんの頬が赤く染まっているのは私の勘違いなんかじゃないだろう。

 妙に居心地が悪くて私は椅子から立ち上がった。


「エディトちゃんとコンラードくんのところに先に行ってる」

「終わったら僕も行くね」

「お兄ちゃん、椅子使って良いよ」


 お兄ちゃんに椅子を貸して部屋から出た私は廊下で扉を閉めるときに部屋の中を振り返った。熱心にノートを見ながら書き留めているクリスティーネさんとお兄ちゃんとの間に何か起きるはずはない。

 分かっていても胸がざわついて仕方がない。


「いでおにぃに、いちゃいいちゃい?」


 どこか痛いのかとエディトちゃんに聞かれた私は泣きそうな顔をしていたに違いない。


「どこも痛くないよ。平気」


 笑ったけれど、上手に表情を作れた自信はなかった。

 どうしてあの二人がこんなにも気になるのか10歳の私にはまだ分からなかった。

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