23.祠にいたドラゴンは
「おりにぃにと、いでおにぃにと、ふぁーたんは、ちちうえとははうえ、いないの?」
突然雷に撃たれたかのようにリビングで遊んでいたエディトちゃんが振り返った。ずっと隙を狙っていたコンラードくんがエディトちゃんが積み上げた積み木を倒す。がらがらと積み木が倒れて行ってもエディトちゃんは気にせずに呆然と立ち尽くしていた。
「私には両親はいるよ、一応」
「悪い父上と母上だったから、ろうやの中にいるの」
明るくファンヌが説明するがエディトちゃんには衝撃的だったようだった。とてとてと歩いてきて小さな両腕で私とファンヌを代わる代わる抱き締める。
「わたくちがいりゅから、たみちくないのよ」
「そうね、わたくし、少しもさみしいと思ったことないわ」
「私もここにいるみんなが家族みたいなものだから寂しくないよ」
両親のことについてはファンヌは存在することを忘れているような様子だし、私も二度と関わり合いになりたくないので気にはしていなかった。しかし、お兄ちゃんはちょっと寂し気に眉を下げている。
「僕の両親は僕が小さい頃に亡くなったからね」
「おりにぃに……たみちい?」
「時々寂しいかな。大人になったのにおかしいかもしれないけど」
「おかちくない! わたくち、おりにぃにのママになる」
「うーん、それは無理かな」
「むり!?」
エディトちゃんなりに一生懸命考えてくれたのだろうがエディトちゃんがお兄ちゃんの母親になることはできない。
「僕の母は一人だけだし、エディトは可愛い従妹だから。そのままで僕の傍にいて」
「わたくち、かーいーいちょこ! おりにぃにのとばにいゆ」
ヨアキムくんやファンヌがお喋りが早かったので比べてしまうが、エディトちゃんはお喋りがゆっくりなようだった。それも個人差なのだろう。舌足らずに喋るけれど考えていることはしっかり分かっているし、理解が追い付いていないわけではない。単純に口や舌の発達が遅いだけなのだろう。
「エディト様はお優しいですね」
「わたくち、やたちい」
「わたくしも両親が恋しくなるときがあります」
リーサさんと共にエディトちゃんについて積み木をしていたクリスティーネさんが目を細める。そういえば彼女はまだ15歳で、12歳から働いていて実家に帰っていないようなのだ。
「クリスティーネさん、週に一回お休みを申請できますから、ご実家に帰っても良いのですよ」
「週に一回お休みが!? ですが、給料はどうなるのでしょう?」
「休みの期間も払われます」
それがルンダール領で決められた雇用形態なのだがクリスティーネさんはそのことを知らなかった。カミラ先生に説明されて物凄く驚いている。
「どうやら、ルンダール領の取り決めを守っていない貴族がいるようですね」
クリスティーネさんが元働いていた貴族のお屋敷をカミラ先生は本気で調べるつもりだった。
子どもの悪戯だとクリスティーネさんは言っていたが、前のお屋敷では酷い苛めを受けていた。食事の中にカエルや虫を入れられたり、服を破られたり、猛暑の中で庭の手入れをさせられたりして、食事も摂れず水分も碌に摂れずに倒れたら子どもたちに囲まれて笑われて蹴ったり殴ったりされる。それだけでなく、そこに他の使用人も加わっていたというのだから信じられない。
「相当、主人の教育が悪かったのでしょうね」
苛められてきた使用人は自分が標的にならないように新しい使用人が来たら積極的に苛めに加わる。その悪循環がクリスティーネさんの働いていたお屋敷では続いてきたのではないかとカミラ先生は考えていた。
「クリスティーネさんはルンダール家では週に一度休んで、魔術学校にも行って、自分の才能を伸ばしてくださいね」
「ありがとうございます……こんな好待遇で迎えられるなんて思ってもいませんでした」
涙ぐむクリスティーネさんに、私もカミラ先生もルンダール領に戻ったらクリスティーネさんを雇っていた貴族を締め上げなければいけないと心に決めていた。
カスパルさんとリーサさんの結婚の忙しさも落ち着いて、リーサさんのご家族はルンダール領に帰って行った。借金は返せたのでご兄弟は向日葵駝鳥の石鹸とシャンプーを作る工場で寮に入って働くと言っていた。
私の立ち上げた事業がこんなところでも役に立つのかと思うと誇らしい。
そして、エディトちゃんが待ちに待ったドラゴンの祠に行く日が来ていた。
コンラードくんもよちよちと歩けるようになったのでお靴を履いて、私とお兄ちゃんとファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんとコンラードくんとカミラ先生とビョルンさんで出かけることになった。リーサさんはカスパルさんとお留守番で、クリスティーネさんもその日はお休みをもらってオースルンド領主のお屋敷の書庫で調べ物をすると言っていた。
「行ってらっしゃいませ。楽しんで来てくださいませ」
「クリスティーネさんは、たくさんお勉強してくださいね」
送り出してくれるクリスティーネさんの視線がお兄ちゃんに向いて頬が赤いのは気になったが、私はクリスティーネさんに手を振ってでかけた。祠までは移転の魔術で飛んで、石造りの祠の前で全員で並ぶ。
「どあごんたん、いうの?」
「いるんでしょうかね?」
「どあごんたーん、こんにちはー!」
元気よく挨拶をするエディトちゃんに祠の結界が緩んだ気がした。嫌な予感がして私はエディトちゃんの服を確りと掴む。
「入っておいでってことじゃないかしら」
「あついから中でお話ししようってことですよ」
「待って、ファンヌ、ヨアキムくん」
お兄ちゃんが止めようとしたがファンヌとヨアキムくんは簡単に結界をすり抜けて中に入ってしまう。追いかけようとするお兄ちゃんはなぜか結界を潜れず足止めされていた。
「わたくちもー! わたくちも、いっくぅー!」
腕の中で暴れるエディトちゃんに力負けして私は手を放してしまう。嬉しそうに歩いていくエディトちゃんにコンラードくんがカミラ先生の腕の中でもがいていた。
「大人になったから入れなくなったのかも」
「どどどどどど、どうしよう!?」
こうなったら私一人でも入るしかない。
エディトちゃんとファンヌとヨアキムくんだけをドラゴンの祠に入れるなんて危険すぎる。
「お、お兄ちゃん、行って来るね」
「イデオン、気を付けて」
仕方なくドラゴンの祠に入ると中はひんやりと冷たい空気が漂っていた。日陰だからというだけではない独特の冷気に身体が震える。
お兄ちゃんもいないのに私一人でファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんを止められるのだろうか。
「あら? わたくしのドラゴンさんじゃないわ」
『小さき者よ、この祠に何故入れた?』
「わたくし、ドラゴンさんのしゅごをいただいているのよ。あなた、わたくしのドラゴンさんじゃないわね」
ファンヌがとてつもなく大きな青色のドラゴンと話しているのが分かる。私とファンヌを守護するのは純白のドラゴンだから、別のドラゴンだということは分かっていた。
『守護するものが現れればドラゴンは入れ替わる。それが我らの仕来りだ』
つまりは純白のドラゴンさんは守護する私とファンヌができたからこの祠からはいなくなって、次のドラゴンがこの祠にやって来た。それが青色のこのドラゴンというわけだった。
すごく嫌な予感がする。
「ねぇ、ねぇ」
「こーたん!」
半泣きになりながらよちよちと歩いてきたコンラードくんがエディトちゃんに抱き締められてぐすぐすと涙を拭っていた。コンラードくんまでカミラ先生の腕をすり抜けて来てしまったのか。
8歳のファンヌ、7歳のヨアキムくん、3歳のエディトちゃん、もうすぐ1歳のコンラードくん、この四人を私一人ではどうしようもない。連れて帰ろうにも私の手は二本で二人しか手を繋いで連れて行くことはできないし、コンラードくんに至っては抱っこしなければ連れて行けないかもしれない。
ドラゴンは神獣のはずだ。
きっと助けてくれる。
「あの、ドラゴンさん、みんなを外に出すのを手伝ってもらえませんか?」
『そうであるな。幼き子がこんなところにいては危ない』
信じて頼んでみるものだ。ドラゴンさんは頭を下げてファンヌとヨアキムくんに差し出した。
『送ろう、幼子よ。乗るが良い』
「送ってくれるんだって」
「乗せてもらいますね」
よじ登ったファンヌとヨアキムくんをドラゴンは頭に乗せて外に出そうとしてくれる。大きな体が動いたときに、エディトちゃんが石畳の床に刺さった棒のようなものに気付かなければ全ては平和に終わったのだ。
「こーたん、あれ、なぁにかな?」
「う! うぅ!」
「エディトちゃん、コンラードくん、それに触っちゃダメー!」
伝説の武器がそんなにごろごろとあるわけがないと信じていた私が愚かだった。伝説の武器はドラゴンのいた場所にしっかりと刺さっていた。
「なぁにかなぁ?」
「ダメぇー!」
止めに行こうとする間もなく、コンラードくんとエディトちゃんが二人でその棒を引っ張る。正当な持ち主でなければ伝説の武器は抜けないはずだった。
「うーんちょ、どこいちょ」
「おーおー、おっおー!」
正当な持ち主ではない相手が触れば電撃が走るはずの伝説の武器。私はエディトちゃんとコンラードくんに駆け寄ってそれから手を外すようにさせようとしたのだが、それより先に、すぽんと軽く伝説の武器は抜けてしまった。
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