18.オースルンド領で夏を過ごすために
コンラードくんも1歳に近くなってよちよちと数歩歩けるようになっていた。掴まるところがあれば長時間立ってもいられる。掴まらなくてもかなり長い時間立っていることはできる。
すぐにはいはいの体勢になるのでお外ではあまり遊ばせていなかったが、朝の薬草畑の世話の時間にはウッドデッキで私たちを見守るのが日課になっていた。
これだけコンラードくんも大きくなったのだから夏休みには出かけたい。お兄ちゃんが研究課程の学生でいられる時間は残り二年と少しだし、私は10歳、ファンヌは8歳、ヨアキムくんは7歳、エディトちゃんは3歳と遊びたい盛りだった。
「カミラ先生、オースルンド領に行きませんか?」
朝食の席で提案した私にカミラ先生がカスパルさんの方を見る。
「カスパル、そろそろリーサさんとのことをはっきりさせる時期ではないのですか?」
つまりそれはどういうことなのだろう。
どきどきして聞いているとカスパルさんが立ち上がってコンラードくんの着替えをさせていたリーサさんに歩み寄った。
「乳母を続けたいというリーサさんの気持ちは守ります。でも、どうか、そのままで構わないので僕と結婚してください」
プロポーズだ!
ファンヌもヨアキムくんもエディトちゃんもお目目を煌めかせてリーサさんとカスパルさんを見守っている。リーサさんは26歳。年齢的にもカスパルさんと結婚しても良い頃だった。世間的には女性の結婚年齢としては遅いのだろうが、カミラ先生が32歳で結婚したのでオースルンド領ではその件に関しては何も言えなくなっていた。
「お受けいたします」
「ほ、本当に!? 一生大事にします。あなたを守ります」
「乳母の仕事もエディト様とコンラード様、それにわたくしがお育てしたイデオン様とファンヌ様とヨアキム様と別れる日までは続けます」
期限はお兄ちゃんが研究課程を卒業して当主になるまでの間。なった後もカミラ先生やカスパルさんやブレンダさんはときどき様子を見に来てくれるし、ビョルンさんは数年間はオースルンド領から通って補佐としてお兄ちゃんを助けてくれるので安心感はある。
その間に私が魔術学校から卒業できていればいいのだが、私も研究課程には興味があるから完全にお兄ちゃんの補佐となるまではまだまだ時間が必要だった。
「リーサさん良かったね」
「うん、幸せになって欲しいな。ねぇ、私、魔術学校を卒業したらお兄ちゃんの補佐をしながら研究課程に通うつもりだったんだけどお兄ちゃんを見てたら忙しすぎて無理そう……」
「僕は医学と薬学を取っているからだと思うよ。二つ同時にとると勉強も実習も二倍になるし、特に医学と薬学は実習や研修の多い科目なんだ」
「それなら、神聖魔術と薬学は?」
「神聖魔術は実習はないと思うよ」
研究課程に入っても私はお兄ちゃんほど忙しくはないかもしれない。それを聞いて少し安心した。
お兄ちゃん一人で領地を治めるのは難しいだろう。一人で領地を治められないから結婚させられるとかいう事態になったら嫌だし、カミラ先生ですら将来はビョルンさんと共同統治でカスパルさんとブレンダさんが補佐に着く。オースルンド領と友好的な関係が今後も続けばルンダール領を治めるのもある程度は楽になるのだが、それでもお兄ちゃん一人の肩に背負わせるのは酷な気がした。
どうしてこんなにお兄ちゃんに結婚して欲しくないのか自分でも分からないけれど、ダンくんも自分の大好きな弟や妹が取られる感じがするのは嫌だと言っていたのでそういうことなのだろうと思っておく。
「オースルンド領でこの夏にカスパルとリーサさんの結婚式を挙げましょう。カスパルは早めにオースルンド領に行って、リーサさんが受け入れられるように準備をしておきなさい」
「わたくしは行かなくてよろしいのですか?」
「リーサさんは乳母を続けると決めたのでしょう? コンラードもエディトもリーサさんに懐いていますからね」
ギリギリまで乳母の仕事をしてからオースルンド領に行くことを許されたリーサさんは、職業婦人として迎えられるのだろう。女性は結婚したら家庭に入るものと決めつけている貴族も多い。そんな中でリーサさんは結婚のギリギリまで仕事を続け、結婚してからも乳母の仕事を続ける。
「三人目は考えていませんが、リーサさんに赤ちゃんができるかもしれませんからね」
「カミラ様、うちにはもう三人子どもがいますよ」
「そうでした。可愛い長男のヨアキムくんがいましたね。産む方は三人目、ということで訂正しますね」
カミラ先生にビョルンさんが言葉を添えて、カミラ先生の表情が柔らかくなる。当然のように長男と言われたヨアキムくんはほっぺたを赤くして照れていた。
今年の夏は忙しくなりそうな気配がしている。
「ドラゴンの祠に行きたいのですが、良いですか?」
「祠に? ドラゴンに用があるのですか?」
「エディトちゃんにドラゴンの祠を見せたいのです」
初めての洞窟のピクニックは恐ろしい落盤で終わってしまった。怖い思い出だけではなかったけれど、エディトちゃんの中には恐怖が残っただろう。それを塗り直すような楽しいピクニックがしたい。
そこで考えた場所がドラゴンの祠だった。
「エディトちゃんはファンヌのことが大好きみたいですし、伝説の武器がどこで手に入ったのか、実際に見せてあげたら喜ぶのではないかと思って」
ドラゴンの祠ならばドラゴンさんがいるはずなので危険なことは起こりえない。魔物もドラゴンがいると寄って来ないという習性があった。それだけドラゴンは聖なる力に包まれている。
「私も神聖魔術を使う身として、ドラゴンさんのことは今後習うでしょうし、話を聞いておきたいのです」
今年の自由研究の課題は聖水作りとドラゴンさんにインタビューにしようかと思っていることを明かせば、カミラ先生は微妙な表情になる。
「あのドラゴンですからねぇ」
ファンヌの伝説の武器は菜切り包丁、私に至ってはまな板という意味が分からないことになっているドラゴンさんだが、ドラゴンであることには変わりない。伝説の武器は自ら意志を持つようなので、ドラゴンさんが守っていたにせよ伝説の武器とドラゴンさんは切り離して考えた方が良い。
とはいえ、ドラゴンさんもマンドラゴラに呼ばれてマンドラゴラを連れてノルドヴァル領の領主の屋敷の離れをマンドラゴラの大暴走で壊した前歴がある。
カミラ先生は常々魔物を運んで来たり、暴走するマンドラゴラを運ぶドラゴンさんに説教をしていたので信用ならないのだろう。
「どあごん! わたくち、どあごんたんに、あいちゃい!」
「わたくしが呼ぶと来てくれるのよ」
「ふぁーたんのどあごんたん?」
「わたくしをしゅごしてくれているの」
エディトちゃんとファンヌは案の定行く気満々だった。ドラゴンに会えると嬉しそうにしている可愛いエディトちゃんの姿にカミラ先生も負けたようだった。
「祠の中には入ってはいけませんからね。絶対に私の言うことを聞いてくださいね?」
「あい!」
元気よくお返事するエディトちゃんだがまだ3歳。お約束をしても守れるとは限らない。伝説の武器がそんなにゴロゴロあるわけがないが、気を付けておかねばならないと私は警戒していた。
その日にカスパルさんはオースルンド領に飛んでリーサさんとの結婚をお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様に報告したようだった。お兄ちゃんのお祖父様とお祖母様から祝福の通信が届いた。
『リーサさん、あなたの働きたいという気持ちはとても素晴らしいと思います』
『働きながら結婚の準備ができるように、オースルンド領からひとを送りましょう』
「貴族になるというのに、我が儘を言ってしまって申し訳ありません」
『いいえ、貴族の前に、あなたは「リーサ」という一人の人間です。そのままのあなたにカスパルは心惹かれたのです』
どこまでもリーサさんの意志を尊重してくれるお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様だったが一つだけ譲らないことがあった。
『あなたの兄弟たちの借金はどうか全て返させてください』
『皆さんをオースルンド領にお呼びして、結婚式を挙げましょう。ルンダール領での新しい仕事もカミラに紹介させます』
リーサさんは貧しい農家の生まれで売られるようにしてルンダール家にやって来た。リーサさんの兄弟も悪い仲介業者に騙されて売られるようにしてバラバラになって、色んな所で借金を返しながら働いている。
その全てをお兄ちゃんのお祖父様とお祖母様は返して兄弟をまた一緒に暮らせるようにしてくれようとしているのだった。
「ありがとうございます……なんとお礼をすればいいか」
『もう家族なのですよ。遠慮はしないでください』
お兄ちゃんのお祖母様の立体映像に言われたリーサさんは涙を堪えていた。その姿はとても美しくてカスパルさんが惚れるのもよく分かった。
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