12.フーゴさんの弟子
朝は早く起きて薬草畑の世話をするのがルンダール家の日課になっている。お座りも上手になってつかまり立ちも始めたコンラードくんは敷物を敷いてウッドデッキで日光浴を楽しみながら私とお兄ちゃんとファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんが畑仕事をしているのをじっと見つめていた。
私たちが視界に入るのが嬉しいようで近くを通るときゃっきゃと笑って手を叩いてくれるのが可愛い。コンラードくんのためにもルンダール領の平和は守らなければいけないと強く思う。
育ち始めた清め草の若葉の前でお兄ちゃんは考え事をしていたがヨアキムくんとファンヌにお願いごとをした。
「新芽は摘まないで、それ以外の葉っぱを幾つか摘んでくれる?」
「まかせてください」
「アンデッドのために使うのね!」
物わかりの良い賢い二人はエディトちゃんにもどの葉っぱを摘めばいいか教えて収穫に入っていた。本来ならば収穫は夏場のもっと青々と葉が茂る時期なのだが、それなりに育ってはいたし、葉っぱはある程度は集められた。
それを持ってお兄ちゃんはビョルンさんの元に行って聖水を作ってもらうつもりだった。
朝のシャワーを浴びて葉っぱを持って朝食の席に向かおうとしていたお兄ちゃんと私はカミラ先生とビョルンさんが話しているところに出くわした。ビョルンさんは白衣を着て出かける準備をしている。
「急患ですか? 僕も行けますよ」
「オリヴェル様来てくださいますか? 意識が混濁した患者がエレンさんのところに運び込まれて来たと知らせが入りました」
その患者は血まみれだったので大怪我をしていると思った周辺のひとがエレンさんを呼んで来て診療所に連れて帰ったのだが、怪我は全くしていなかったという。
「睡眠薬を大量に飲んで死のうとしたようですが、エレンさんが胃洗浄をして、今は容体は安定していて……」
「していて?」
「逃げ出したんです」
意識が戻るまで病室で寝かせて置いたら姿がなくなっていた。
まだ薬の影響で意識が朦朧としているはずだし、自分で睡眠薬を飲んだのだとすれば自殺の疑いが強いので保護するために探しているのだが、探す人員が足りていないというのだ。
「血まみれで運び込まれて怪我一つないということは、その人物が事件を起こした可能性があります。そんな人物を魔術も使えないひとたちに探させるのは危ないとエレンさんから緊急要請があったのです」
「それは、お兄ちゃんも危ない! 私も探しに行きます」
幼年学校にも事情を話して休ませてもらうことにして、私はお兄ちゃんに同行してエレンさんの診療所までお兄ちゃんの移転の魔術で連れて行ってもらった。ビョルンさんにお兄ちゃんと私、エレンさんで探すことになりそうだ。
「意識が戻れば逃げるかもしれないと、警備兵に探してもらえるように魔術的なタグをつけています。魔術の痕跡を追ってもらえれば捕まえられると思います」
「ビョルンさんは無理をしないで。私にはまな板がありますから」
「私も一応魔術師なんですけどね」
攻撃手段のないビョルンさんは見つけたらすぐに誰かに知らせるということで、警備兵にも手伝ってもらっての大捜索が始まった。タグにかけられた魔術の様子では遠くまでは行っていない。
お兄ちゃんから離れずに魔術の痕跡を辿っていくと、農家の納屋があった。そちらの方から強い魔術の痕跡を感じて私は肩掛けのバッグからまな板を取り出した。
ついでとばかりに大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラが南瓜頭犬に跨って出て来る。
「ちょっと見て来てくれる?」
いきなり入るのは怖いので大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラと南瓜頭犬にお願いすると先に入って、しばらくして「ぴぎゃ!」「ぴょげ!」と呼ぶ声がした。中に入ると、服の代わりにシーツを身体に巻き付けた若い男性が納屋の中に倒れているのを見つけた。
「う……くる、な……」
「エレンさんの診療所に連れて帰ろう」
「死なせてくれ……俺は、あのひとを殺してしまった……。俺も後を追うつもりだったのに……何故助けた……」
両腕で顔を覆ってその男性は泣いていた。
殺してしまった。
その言葉に私はある人物を思い浮かべる。
「あなたは、フーゴさんの弟子ですか?」
「な、なぜ、その名前を!? 生きてるのか!?」
「いいえ、完全に死んでいます」
「あぁ、師匠……俺のせいで……俺もいきます」
「待ってください。死んでますけど、今ならまだ話せますよ?」
フーゴさんはまだ自我を持っている。話せるのだと説明すると若い男性は驚いて目を見開いていた。私よりも濃いけれど茶色の髪に茶色の目。フーゴさんが私を見て弟子を思い出したと言ったのも分かる可愛い系の風貌だ。
「話せる……師匠に殺してもらえる!?」
「物騒なこと、言わないでください!」
殺したけれど後を追って自分も死ぬだの、師匠に殺してもらうだの、このひとは正気なのだろうかと疑うようなことを簡単に口にする。まずはエレンさんの診療所に連れて帰ってもう一度その若い男性を診てもらった。
「名前は?」
「名乗る名はない」
「ナノルナハナイさんね」
「違う、アーベルだ!」
「はい、アーベルさんね。事情を聞かせてもらえる?」
「お前には関係ない」
「関係なくないわ! あなたのせいでどれだけ労力を費やしたと思ってるの!」
「助けてくれと頼んでない! 俺は死ぬはずだったんだ」
言い合うエレンさんとアーベルさん。アーベルさんの頬にエレンさんの拳がめり込んだ。椅子から転げ落ちて床に倒れたアーベルさんにエレンさんが仁王立ちで告げる。
「あなたがどんな理由があろうと、人殺しだろうと、私はここにつれてこられたひとを助けなきゃいけない。それは医者だから! あなたを助ける間に、他の患者さんには待っていてもらったのよ! その中には高熱の赤ちゃんだっていた! 自分の行動がどれだけ迷惑だったか知りなさい!」
それでも先に運ばれて来た緊急性の高いアーベルさんをエレンさんは優先した。アーベルさんが犯罪者で、そのせいで高熱の赤ちゃんが死んでしまったとしたらエレンさんは一生後悔していただろう。それすらも予期していながらもエレンさんは医者としての理念を曲げなかった。
「師匠と話をさせてくれ……その場でなら、全て話す」
床から起き上がったアーベルさんにまず必要なのは着るものだった。着ていた服は治療のために脱がされていたし、血まみれで使えるはずもない。犯罪の証拠になるかもしれないからとエレンさんは脱がせた服は保管していた。
血まみれの服など見たくもなかったけれど布に包まれたそれをビョルンさんが受け取る。シーツを巻いただけのアーベルさんは、ルンダールのお屋敷に連れ帰られた。
フーゴさんを殺したアーベルさんと、フーゴさんを会わせてよいものか。アーベルさんが服を着ている間にカミラ先生とビョルンさんと相談する。
「フーゴさんはアーベルさんが自分を殺したと知ったら、殺してしまわないでしょうか?」
「ルンダールのお屋敷で人殺しなんて恐ろしいことが起きて欲しくありません」
私とお兄ちゃんの訴えにカミラ先生とビョルンさんは難しい表情をしていた。
「呪術師の師弟が殺し合ったのならば、どちらもいなくなってめでたし、とはいきませんか」
「イデオンくんやファンヌちゃん、ヨアキムくんにエディトにコンラードのいるお屋敷で人死にはまずいですよ、カミラ様」
「それでは、イデオンくん、恐ろしいかもしれませんが、同席してくれますか?」
「私が!?」
そうだった。
私は神聖魔術を使えるし、伝説の武器のまな板も持っている。防御に関してはフーゴさんが暴走すれば神聖魔術で威嚇することもできるし、アーベルさんが暴走すればまな板で止めることもできる。最適の人間は私しかいなかった。
ただ、アンデッドが泣くほど怖いだけで。
「お、おにぃちゃん……」
「僕も同席します。イデオンだけを怖い目に遭わせることはできません」
「良いですか、オリヴェル?」
「清め草で聖水を作りましょう。それにアーベルさんは拘束した状態で」
できるだけ危険を減らそうというお兄ちゃんの申し出にビョルンさんが清め草で大急ぎで聖水を作ってくれた。神聖魔術を込めるところはアントン先生が手伝ってくれたらしい。
「自我のあるほど強いアンデッドにどこまで有効かは分かりませんが」
「ありがとうございます。お守りにはなるでしょう」
お兄ちゃんと私と小瓶に一本ずつ聖水を持って私たちは準備を終えた。縄で後ろ手に拘束されたアーベルさんが連れてこられる。
肉体が腐らないように冷やされた部屋の扉を開けると凍える空気が漏れ出して、私はぶるぶると震えてしまった。
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