10.新たな疑問
伝説の武器というものは世界に幾つもある。
書庫に連れて行ってくれたお兄ちゃんの隣りに座って、私は珍しくも薬草の図鑑ではなく武器の図鑑を見ていた。そこに並んでいるのはドラゴンの守る聖なる剣だとか、灼熱の炎を纏う鎧自体が武器になっていて触れるものを焼き焦がすものだとか、中には呪いの武器も幾つもあった。
伝説の武器の中には聖なる武器と呪いの武器と両方があるようだ。
その予備知識を持って私たちはビョルンさんのナイフの検分結果を待っていた。屋敷の外にはカミラ先生が万が一のときのために呼んだ警備兵が見回ってくれている。
屋敷の中に「闇の魔術師」が死体でいるということは既に王都の国王陛下にも伝えてあった。アンデッドとなった「闇の魔術師」は媒体を必要とせず自分の力だけでひとを食い散らす能力があるので生きていた頃よりも恐ろしい。
捕えるよりも浄化する方向で対策が取られているようなのだが、王都の神聖魔術を使える神官たちも「闇の魔術師」をアンデッド化したものを確実に浄化できるかについて自信がないようで、派遣されるものが名乗り出ないのだ。
私だって自我を持ってペラペラ喋るようなアンデッドが自我を失って世界を恨んで呪いを振りまいて襲ってきたら恐ろしくてならない。自我を失う前にどうにか処理をしないとルンダール領は滅んでしまうのではないかという危機的状況だった。
喜んで協力しているわけでなく、「闇の魔術師」とまで呼ばれた人物がひとを殺してはそれをアンデッド化していき、ルンダール領を埋め尽くすほどのアンデッドが産まれることが怖い。それだけだった。
「ナイフは呪われたものでしたね」
書庫に私たちがいることを聞いて訪ねて来てくれたビョルンさんに立ち上がって本を片付けようとするお兄ちゃんだが、止められてビョルンさんはその本のページを捲った。
そこには直視できなかったナイフとよく似たナイフが描かれていた。
「ここです。『屍者のナイフ』、これですね」
「こんなものがどこから!?」
「こういう呪われた伝説の武器をアシェル家が代々受け継いでいてもおかしくはありません」
「魔術の痕跡か何か出ましたか?」
「いいえ……ナイフ自体にかけられている呪いが強くて何も読み取れませんでした」
アシェル家にそのナイフがあったことを証明できれば解決に一歩近付くのだが、解決してしまったらどうなるのだろう。
「アシェル家の夫婦に殺されたとフーゴさんが知ったら、アシェル家はどうなるんでしょう……」
「恐らく、皆殺しに」
意地悪をヨアキムくんに言っていたけれど、アシェル家の子どもたちはヨアキムくんよりも小さかった。一番小さい子はエディトちゃんよりも幼いのではないだろうか。子どもたちも含めてみんな殺してしまうなんて、考えるだけで凄惨でそんなことになったら私は一生後悔してしまうだろう。
今の状態でフーゴさんに情報を与えることはできない。
あの道がアシェル家の屋敷の近くだったというだけでもうフーゴさんはアシェル家に狙いを定めているかもしれないのだ。
「もっと詳しく調べないと……」
「フーゴさんから話を聞いてみようか。その間にビョルンさんはアシェル家と『屍者のナイフ』の繋がりを調べてもらえますか?」
私の呟きにお兄ちゃんが手を握ってくれる。一緒にフーゴさんのいる部屋に戻った。
「ナイフからは手がかりは得られませんでした」
『そう? 本当に? 隠しごとをすると、舌を抜いちゃうわよ?』
楽しそうにカスパルさんとブレンダさんと話していたフーゴさんがくわっと口を開けて舌を出してみせた。その色は褪せていて口腔内は虚ろで食われてしまいそうな迫力に私は飛び上がってお兄ちゃんにしがみ付いた。
「ふ、ふぇ……お兄ちゃん……」
「弟を怖がらせないでください。遊んでいる時間はないんでしょう?」
『そうよ、アタシには時間がないの。それをアナタたちにもよーく分かってもらわなきゃ』
刹那、椅子から立ち上がったフーゴさんがお兄ちゃんと私に飛びかかろうとする。肩掛けのバッグからまな板が飛び出して巨大な壁になって守ってくれなければ、危なかったかもしれない。
「ひっ! ふぇ!」
「アントン先生、神聖魔術を!」
『ちょっと脅かしただけじゃない。残念だけど、そのセンセイの魔術で祓われるほどアタシは弱くなくってよ?』
脅かしただけと言っているが本心の読めない光りのない目が恐ろしい。子ども用サイズに戻ったまな板を抱き締めて私はお兄ちゃんに抱っこされていた。
「肉塊になるまで刻んでやろうか?」
『そこからでも蘇るのがアンデッドの怖さよ? そんなことをしたら、自我は消えてしまうでしょうね』
魔術を編んで威嚇するカスパルさんにフーゴさんは涼しい顔をしている。
「フーゴさんには心当たりはないんですか?」
『ないわねぇ……アタシの行動を知っているとしたら、アタシの弟子なんだけど、王都に置いて来ちゃって、今は姿をくらましてるでしょうね』
自分に何かあれば証拠を処分して姿をくらますように弟子には言いつけてあったとフーゴさんは言う。
「弟子がいたんですか?」
『アタシと同じよ。攫ってきたの』
ぞくりと背中に冷たい汗が流れ落ちる。
フーゴさんのことは良い人間だとは全く思っていなかったが、攫われて呪いの魔術を教え込まれてそれ以外に生きる道がなかったことに関しては同情していないこともなかった。それが自分がされたことと同じことを誰かにしていたなんて。
「フーゴさんのお師匠さんはどうなったんですか?」
『どこかで恨まれて殺されたんじゃない?』
どうでも良いことのように吐き捨てるフーゴさん。
このひとは悪意の塊だ。世界の憎しみを固めたような人物だ。
悪いひとというのは笑顔で無害なような顔をして寄ってくるものなのだとそのときの私は学習したのだった。
扉が叩かれてビョルンさんに呼ばれる。
「カスパルさん、ブレンダさん、気を付けて」
「分かっているわ」
「これでもイデオンくんやオリヴェルよりも長く生きているんでね」
楽しく談笑しているように見えてもカスパルさんとブレンダさんは少しも油断していない。油断していたのは私だった。心に隙があったのは私の方だった。
反省しつつ廊下に出るとビョルンさんが書庫まで歩いていく。
「あのナイフとアシェル家の物だったようですが、盗まれたと証言しています」
「アシェル家のひとと通信が取れますか?」
一つ気になっていたことがあった。
アシェル家のヨアキムくんの叔父夫婦は私たちが帰るときに時間を妙に気にしていた。あれはなんだったのだろう。
私たちを引き留めてグールを出現させたとして、危険だったのは私たちだけではない。どちらかと言えば、エディトちゃんよりも小さな子どものいるアシェル家の方が危険だったのではないだろうか。
「イデオン・ルンダールです。単刀直入にお答えいただきたい。あなたたちは、なにを待っていたのですか?」
魔術具で通信をした先でヨアキムくんの叔父夫婦は立体映像で震えていた。そこに割り込んできたのは生成りの質素な貫頭衣を着た人物だった。その人物が代わりに話し出す。
『わたくしは、王都の神殿から呼ばれた神聖魔術を使う神官です。実はアシェル家から盗まれたナイフでアンデッドを送り込むとアシェル家は脅されていたのです』
「それで、お茶会を!?」
憎まれていたのはアシェル家の方だった。
ルンダール家を狙った犯行だと思われたフーゴさんの事件は、全く違う方向に動きそうだ。
『王都でアンデッドを使った呪いの事件が頻発しておりまして、わたくしもすぐには行けない状態だったので、神聖魔術を使える方がいたらお呼びするようにとアドバイスをしたのです』
裁判を取り下げるとまで言って必死になってアシェル家が私たちを家に呼びたがったのには訳があった。私が神聖魔術を使えるということはセシーリア殿下の件で明らかになっている。神聖魔術を使える私を少しでも長い時間お屋敷に滞在させて、王都の神官さんが来るまでの時間稼ぎをしようと思ったのだろう。
『禁呪の本を渡せと脅されていたのです』
「誰にですか?」
『「闇の魔術師」を名乗る相手に』
ヨアキムくんの叔父夫婦の震えながらの話で全てがひっくり返った気がした。
フーゴさんは嘘を吐いているのか、記憶がないのか分からないが、依頼されて王都からルンダール領に来たわけではない。アシェル家から禁呪の本を奪って新しい呪いを身に着けるために来たのだ。
「それなら、フーゴさんを殺したのは、誰?」
疑問は深まるばかりだった。
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