4.ランナルくんのスイカ猫
ランナル・ノルドヴァル、12歳。
幼年学校を卒業する年だったので王都の王城に引き取られてセシーリア殿下の執事となるための教育を受けつつ魔術学校に通っている。
例の私を殺そうとしたノルドヴァル領主の娘夫婦の一人息子だ。
一人息子で甘やかされていたせいか公の場で自分のことを「私」と言ったり敬語を使ったりすることもまともにできずに、この子が本当に私より年上なのかと疑わしく思っていた。
王都に来てから魔術学校には馬車に乗せられて無理やり行かされて、王城の教育係からもビシバシと鍛えられて、少しは変わったのかといえば、ますますふさぎ込んで周囲を恨んで憎んで殻に閉じこもっているという。
「スイカ猫だけは傍に置いて、スイカ猫がずっとランナルを慰めていたようなのですが、一昨日、ランナルが私のところにやって来まして」
ここは王都の王城の応接室。
セシーリア殿下から説明を聞いたカミラ先生の判断は、お兄ちゃんを保護者として連れて行くならば私が王都に行っても構わないというものだった。昨日のうちに私とお兄ちゃんは王都から招集がかかったことを幼年学校と研究課程に伝えて、翌日に庭の薬草畑の世話を済ませてからセシーリア殿下の元に駆け付けたのだ。
私のことを見たくもないのだろう、ランナルくんはスイカ猫を抱えて立ったままで顔を背けている。
「普段は呼んでも嫌々しか来ないのに、スイカ猫を抱えて焦った様子で『スイカ猫がおかしいんです、助けてください』と」
両親も牢獄に入れられて祖父母からは引き取りを拒否されたランナルくんは頼る相手がいない。必死に考えて唯一頼れる自分を引き取ると決めたセシーリア殿下のところに駆け込んだのだろう。
「スイカ猫を見せていただけますか?」
私の申し出に嫌そうにランナルくんがスイカ猫を私に手渡す。その瞬間ぞわりと全身が総毛立つような感覚に襲われた。
怖い。
物凄く怖い。
これは初めてヨアキムくんを見たときに似ている。あのときには魔術が理解できていないなりにヨアキムくんにかけられた恐ろしい呪いに本能的に怯えたがそれと同じような感覚に私はスイカ猫を落としてしまいそうになった。
「危ない! 落とすな!」
「ランナル! 言葉を正しく使いなさい!」
怒りを込めて私の手からスイカ猫を取り戻したランナルくんにセシーリア殿下から叱責が飛ぶ。
「いいえ、落としそうになった私が悪かったんです。スイカ猫は繊細な生き物です。落とすと割れることがあります」
そうなるとどんな方法を取っても元には戻らないので食べてしまうしかないのだが、このスイカ猫が食べられるとは思えなかった。私に変わってお兄ちゃんがテーブルの上にハンカチを敷いた。
「この上にそっと置いてください。触れるのも危険な状態かもしれません」
「そんなに酷いんですか……」
青ざめた顔でスイカ猫を震えながらハンカチの上に置くランナルくん。他に頼るものも甘えるものもいない中でスイカ猫はランナルくんの大事な家族になっていたようだった。
スイカ猫の愛情深さはコンラードくんのスーちゃんを見ていても分かる。あれだけ献身的に尽くされたら頑なな心も溶かしてしまうだろう。
「僕……私がお願いできた義理ではないのですが、その子は私の大事な家族です……お願いします、助けてください」
眠ったように丸まったまま動かないスイカ猫にランナルくんが涙を零す。私とお兄ちゃんはまず尻尾の蔦を確認した。
「栄養剤は定期的に上げているんですよね?」
「一昨日までは……一昨日上げようとしたら、動かなくなってて」
「尻尾の蔦は瑞々しいから枯れてはいないね」
「耳に触ろうとすると耳を倒すから生きてはいるんだと思う」
動けなくなるような何かがスイカ猫に起きたのか。
詳しく話を聞いてみることにした。
「普段はスイカ猫はどうやって飼っていますか?」
「私が城にいるときにはずっと傍にいます。それ以外のときは自由に城の中を動き回って良いことになっています」
「わたくしの人参マンドラゴラのところに遊びに来ることもあるのですよ」
ランナルくんとセシーリア殿下の話を聞いた限りでは、城に入れるものなら誰でもスイカ猫に接触出来そうだった。
「セシーリア殿下の人参マンドラゴラは?」
「わたくしの部屋にテラリウムを設置してその中で飼っております。わたくしが出かけるときしか外には出しません」
セシーリア殿下の人参マンドラゴラには誰でも接触できるというわけではないようだ。そうなると答えは自ずと出て来る。
「セシーリア殿下にも接触するスイカ猫に呪いか何かをかけて、暗殺を謀ったのかもしれません」
「狙いはわたくし? それともランナル?」
「どちらでも構わなかったんじゃないですかね。セシーリア殿下が害されれば国王陛下はショックを受ける、ランナルくんが害されればセシーリア殿下はショックを受ける。どちらでも良かったのかと」
私とお兄ちゃんの説明にセシーリア殿下は難しい顔をしていたが、ランナルくんは必死だった。
「お願いします。こいつを助けてやってください」
憎い親の仇である私にまで頭を下げている。
そうでなくてもこのスイカ猫はルンダール領で大事に育てられたものだ。どうにかして助けたいのだがかけられているものが何なのか私にはまだ分かっていなかった。
「セシーリア殿下、感知試験紙は使ってみましたか?」
「えぇ、真っ青に染まりました」
感知試験紙を使ったら真っ青に染まったということは呪いか毒物の可能性が高い。これ以上どうすればスイカ猫を救えるのかと悩んでいるとセシーリア殿下の人参マンドラゴラがひょっこり顔を出した。
スイカ猫に近付いてその背中を撫でる。
「ぴゃー?」
心配しているような様子を見せた人参マンドラゴラに、スイカ猫が動いた。その体に青白い炎のようなものを纏って全身の毛を逆立てている。
「ゴーストだ!?」
私はお兄ちゃんに引っ張られて遠ざけられて、セシーリア殿下は人参マンドラゴラを掴んでスイカ猫から引き離す。人参マンドラゴラが離れるとスイカ猫はまた静かに眠っているように丸くなった。
ゴースト!?
それって、つまりはお化けのことで。
「ぎゃー! お兄ちゃーん! お化けー!?」
「イデオン、僕がいるから平気だよ」
反射的に恥も外聞も捨てて私はお兄ちゃんに抱き付いてしまった。抱き上げられて優しく抱き締められても怖くて震えが止まらない。
「アンデッドのゴーストに憑りつかれている状態みたいですね」
「それなのに、私たちには害をなそうとしないのはどうしてですか? 人参マンドラゴラにだけ反応して……」
「必死で眠ってゴーストを抑え込んでいるのでしょう」
怖くて喋れない私の代わりに説明してくれるお兄ちゃんに、ランナルくんの目からぼろぼろと涙が零れる。
「このまま放っておけば、栄養剤が摂れずにスイカ猫が枯れてしまいますね……」
「助けてください! お願いします」
ゴーストの出現に白目を向いて卒倒しそうになっていた私だが、スイカ猫が枯れるというお兄ちゃんの言葉には立ち上がらざるを得なかった。ルンダール領で生まれた心優しいスイカ猫を権力争いに巻き込ませて枯らすわけにはいかない。
抱っこから降りて涙と洟を拭いて、必死に冷静になろうとする。
「まずは魔術の痕跡を調べてください」
震えながら私が提案すれば、セシーリア殿下に導かれて数名の魔術師が出て来た。魔術師がスイカ猫に手を翳して魔術の痕跡を確かめていると、スイカ猫が「ふしゃー!」と起き上がって威嚇して、周囲が青白い炎のようなものに包まれる。
「ぎゃー!? お化け! 怖いー!」
「イデオン、大丈夫だよ」
飛び付いてしまったお兄ちゃんにしっかりと抱き締められて私は涙を堪えていた。魔術の痕跡を調べられてスイカ猫からぼんやりと人影のようなものが映し出される。そのことに憑りついたゴーストはじっとしていられないと考えたのだろうか。巨大な青白い骸骨の影に変わり始めていた。
スイカ猫の身体を骸骨の影が覆っていく。
『オマエ、が、コロし、タ……ウラめ、シイ……』
からからと骨が鳴るような音と共に地の底を這うような声がスイカ猫を覆う骸骨の口から漏れた。
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