人参マンドラゴラがファンヌの元に辿り着くまで
ファンヌの人参マンドラゴラのお話です。
三人称です。
春先に開墾された裏庭の畑に植えられた人参マンドラゴラは、痩せて震える手の主がもう長く生きないであろうことは勘付いていた。彼女の脚にしがみ付いて幼い男の子が種を植えるのを見ていた。
「ぼく、まいにちおみずをあげます。ははうえ、むりをしないではやくげんきになってね」
「きっとただの風邪です。愛しいオリヴェルを置いていけるものですか」
親子の会話を聞きながら土の中で人参マンドラゴラの種は目覚めた。約束通りに毎日男の子は小さな如雨露でマンドラゴラの畝に水をかけに来てくれた。
「オリヴェル様、ここにいらっしゃったんですか」
「リーサさん、ぼくをさがしていたの?」
「アンネリ様の容体がよろしくなくて、オリヴェル様を呼んでおられます」
春が過ぎゆくにつれて屋敷の主は体調を崩して行った。それが毒の呪いによるものなど人参マンドラゴラが知るわけがない。毎日来ていた男の子の顔をいつか土から出て見るのを楽しみにしていたのに、男の子は初夏を境に全く来なくなってしまった。
葬列が屋敷を出て主を見送ったのがその時期だというのも人参マンドラゴラは知らない。分かっていることは裏庭の畑に世話に来るものがいなくなったということだけだった。
水も貰えない。栄養剤も貰えない。
マンドラゴラはある程度育つと栄養剤をもらわなければそれ以上成長することができない。成長しないマンドラゴラは売られることもなかったが、土から出て行くこともできなかった。
夏の暑い日、土もからからに干からびてひび割れて、人参マンドラゴラはこのままでは乾いて枯れてしまうと察していた。既に一緒に植えられた人参マンドラゴラや大根マンドラゴラ、蕪マンドラゴラのほとんどは枯れていて、残っているのはほんの数匹だけだった。
逃げ出さなくてはこのまま枯れてしまう。
「びぎゃ!」
「ぎゃ?」
「ぎょぎょえ!」
「ぎょえ?」
残っていた蕪マンドラゴラと大根マンドラゴラに声をかけて、人参マンドラゴラは一念発起、この畑から逃げ出すことにした。
いつか必ず戻って来る。そのときにはこのお屋敷の可愛い小さな男の子を助けるのだ。そのためにも今ここで枯れるわけにはいかなかった。
張り巡らされた細い根っこを引き千切り、自ら土の上に出た人参マンドラゴラは小さかった。小さいながらにもあの男の子が水をかけてくれたので、他のマンドラゴラよりも強く生きられてはいた。同じく土から出られた大根マンドラゴラと蕪マンドラゴラと、人参マンドラゴラは木陰に行ってこれからのことを顔を突き合わせて話し合った。
「びょびょえ」
「びょわ」
「びぎゃ!」
「ぎゃぎゃ」
結論として、ある程度育つまでは他の畑のマンドラゴラに紛れて水と土と栄養剤をもらって大きくなって、再び脱走してお屋敷に帰って来る計画だった。
夜の闇に紛れて動くマンドラゴラの影三つ。
近くの農家の畑に行って畝を覗いた人参マンドラゴラは衝撃を受けた。
「びょわー!?」
自分たちも碌に水かけもされていないが、農家の畑の畝のマンドラゴラは更に小さく痩せ細っている。
「びょ?」
「びゃびゃ」
なぜこんなことが起きてしまったのか。
薬草栽培に力を入れていた前の当主が亡くなってから、新しい当主はルンダール領に重税をかけるようになった。それで肥料も買えない、栄養剤などもっての外という状態になってしまって、農家の薬草畑は荒れ放題になっているようだった。
そんな人間たちの事情を人参マンドラゴラが理解できるはずがない。
他の農家の畑を覗いても結果は同じで、人参マンドラゴラと蕪マンドラゴラと大根マンドラゴラは途方に暮れた。
これではあの小さな男の子の元に戻ることすらできないのではないか。
マンドラゴラたちにも忠義心のようなものがあった。植えてくれた痩せた手の持ち主は亡くなってしまったからこそ、如雨露で一生懸命水をかけてくれたあの男の子の慰めになりたい。
「びょえ!」
「びゃー!」
戻ろう。
人参マンドラゴラが決意すると蕪マンドラゴラと大根マンドラゴラも協力してくれるようだった。三匹でお屋敷に戻って窓の空いている部屋から中に入り込むと、廊下は静まり返っていた。
「びゃっ!」
「びょえ!」
物陰に隠れながら男の子の姿を探す。
使用人たちは皆表情が暗く、俯きがちだった。
「オリヴェル様に会わせてくださいませ! オリヴェル様はまだお小さいのです」
あの男の子と畑で話していた若いメイドが主人に取り縋っている。
子ども部屋を覗いたがあの男の子がいなかったのは、新しい主人が子ども部屋から出ていくように命じたからだったのだ。
「煩い! クビになりたいのか!」
「きゃあ!?」
主人の手がまだ少女ともいえる若いメイドの頬を張った。小柄な体が吹っ飛んで壁にぶつかる。
壁の陰に隠れていた人参マンドラゴラは激怒した。
小さな男の子には面倒を見てくれる相手が必要だ。特に母親を失ったばかりの男の子が子ども部屋から出されて、どれほど悲しんでいることだろう。
「びぎゃー!」
『死の絶叫』を上げながら飛びかかる人参マンドラゴラと蕪マンドラゴラと大根マンドラゴラに、薄茶色の髪の主人の付けていた魔術具が砕け散った。魔術具に守られてダメージを受けなかった主人は、蕪マンドラゴラと大根マンドラゴラを捕まえてしまう。
「びゃっ!?」
「びょえー!」
「ぎゃぎゃー!」
お前だけは逃げろ!
蕪マンドラゴラと大根マンドラゴラが掴まれた状態で人参マンドラゴラに訴えて来る。
「マンドラゴラではないか。まだ育ちが悪いようだが、これでもそこそこの値段で売れるだろう」
「びゃ!」
「びゃびゃ!」
逃げろと繰り返し言われて人参マンドラゴラは逃げ出した。
蕪マンドラゴラと大根マンドラゴラは売られてしまう。けれど自分まで売られてしまってはあの男の子を誰が助けるのだろう。
あの男の子を助けなければいけない。
何年かかっても。
必ず。
仲間を見捨ててしまった悲しみに頭の葉っぱは萎れて垂れ下がった人参マンドラゴラを、拾った人物がいた。
逃げようと思ったが、栄養を十分に貯えていない人参マンドラゴラは、それだけの体力がなかった。
「アンネリ様の葬儀の後、オリヴェルに会わせろと言ったのに、応じてくれませんでしたね」
「このマンドラゴラはアンネリ様が育てていたものでしょうか?」
この二人がオースルンド領の領主夫婦だということを人参マンドラゴラは知らなかったが、あの男の子と同じ髪の色と目の色に少し安心したのかもしれない。
栄養の足りていない人参マンドラゴラはもう限界で、深い眠りに落ちていた。
再び目覚めたときに何年の月日が経っていたのか。
土に埋められて育てられていた人参マンドラゴラは、与えられた栄養剤に覚醒した。
「びぎゃー!」
「おや、元気のいい人参マンドラゴラですね」
あの男の子と同じ青い目に黒い髪の女性が畝から飛び出した人参マンドラゴラの前に立っていた。
「オリヴェルが死んだなど信じません……。ルンダール家の子は3歳と5歳でしたか……マンドラゴラに興味を持つかもしれませんね」
一緒に来ますか?
女性の誘いに人参マンドラゴラは眠っていた間に忘れかけていた使命を思い出した。
自分はあの男の子の元に行かなければいけない。
「びゃい!」
返事をした人参マンドラゴラを綺麗に洗って、女性はトランクの中に入れた。
「びゃー」
移転の魔術で連れて来られたお屋敷は改築されていて、かなり様相が違っていた。子ども部屋には見知らぬ薄茶色の髪の男の子と女の子がいた。
可愛い薄茶色の髪の女の子。
人参マンドラゴラは女の子のものとなって、共に在りし日の幼い男の子を助ける共闘者となるのだった。
次回も番外編があります。
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