幸せは人参さんと共にある
ファンヌ視点の番外編です。
わたくしがその人参さんと出会ったのは3歳の頃。
自分のことを上手に「わたくし」とも言うことができなかったわたくしに、カミラ先生が人参さんをくれました。
オリヴェル兄様と同じ目と髪の色の優しいカミラ先生を、わたくしと兄様は最初全く信頼していませんでした。
当時のわたくしたちの周囲には、信頼できる大人は乳母のリーサさんと厨房のスヴェンさんと執事のセバスティアンさんしかいなかったのです。わたくしたちの両親は自分たちが正当なルンダール領の当主ではないことが分かっていたので、社交界で名を売ることで自分たちの地位を確固たるものにしようとしていました。
夜はパーティーで深酒をして、朝は起きて来なくて昼間近くまで寝ていて、子ども部屋には近寄らない両親のことを、わたくしは嫌な奴だとしか思っていませんでした。
兄様は男だから誕生日のパーティーも開かれて出席するのに、わたくしは女だからパーティーも開かれない。その時点で両親がどれだけわたくしに興味がないかなど分かっていたのです。
オリヴェル兄様の教えの元、朝は早起きをして裏庭の薬草畑の世話をして、夜は早く眠っていたわたくしたち。
大好きなオリヴェル兄様が死んだと聞かされたときには、「死」の意味がよく分からないながらに、オリヴェル兄様とは二度と会えないのかと兄様とリーサさんと涙を流しました。
その後に来たのがカミラ先生です。
家庭教師として来たカミラ先生は、嫌な子どもを演じてカミラ先生を追い返そうとするわたくしたちの前に人参マンドラゴラを出しました。
畑で育てていて、一番奥の畝の中で話す声は聞こえるものの見たことのない本物のマンドラゴラ。オリヴェル兄様が本で見せてくれたことはあるけれど、実物を見たことのないわたくしは、目を奪われてしまいました。
「まんどあごあ! にぃたま、まんどあごあ!」
「ファンヌ、だめだよ」
人参に根っこのような手足があって顔のあるマンドラゴラに釘付けになって、つい口走ってしまったわたくしを兄様が諫めます。
「あ、ちらない! ちらないの!」
慌てて知らないふりをしたのですが、3歳のわたくしの自制心など知れたもの。目線はついそちらに向いてしまいます。
「マンドラゴラを知っているのですね。オリヴェルが教えたのでしょう。この領地では、先代のアンネリ様の統治されていた頃は、マンドラゴラ育成が盛んだったのですよ」
「しらない」
「ちらないもん!」
取り繕おうとしてもカミラ先生には全てお見通しだったのでしょう。
「お近づきの印です。ファンヌちゃんに差し上げます」
「いーの!?」
その日、わたくしは人参マンドラゴラをカミラ先生から貰いました。
普通の人参よりも小ぶりに見える人参マンドラゴラの人参さんは土から引き抜いてしまうと栄養剤が必要だということを、オリヴェル兄様は教えてくれていました。
「土から離してしまうと、栄養剤が必要になるので、近々お届けしますね」
栄養剤や人参さんでこの家庭教師はわたくしたちを買収しようとしているのか。当時のわたくしは買収という言葉も知らなかったのですが、警戒心だけは忘れないようにしつつも、人参さんをしっかりと抱き締めて眠ったのでした。
あれから色んなことがありました。
カミラ先生はオリヴェル兄様の父方の叔母様で、わたくしたちの味方だったこと。両親の罪を暴いてオリヴェル兄様をルンダール家に戻した後で、わたくしたちもルンダール家の養子になったこと。カミラ先生がルンダール家の当主代理としてオリヴェル兄様の代わりに領地を治めてくださること。
わたくしにとって最も大きな変化といえば、アシェル家からヨアキムくんがルンダール家に引き取られたことでしょう。
わたくしたちがルンダール家の養子となり、カミラ先生がマンドラゴラの栄養剤のレシピを公開する場で出会ったヨアキムくんは、まだ2歳なのに呪いを身体に蓄積させられていました。癖のある黒髪に黒い目の可愛いヨアキムくんが呪いのことを知らないまま持って来たケーキには、ヨアキムくんの呪いが移って食べられるものではなくなっていました。
「けーち、くれたの。かあいくて、やたちかったの」
「あの様子だと、本人もあまり長くは生きられないかもしれませんね」
「ちんじゃうの?」
呪いを身体に蓄積し続けていれば長くは生きられないかもしれない。
その事実にわたくしはヨアキムくんをルンダール家に引き取ることを考えました。
「わたくち、ヨアキムくん、すちの。けこんすゆの」
「まぁ、ヨアキムを気に入ってくださったんですか?」
「ヨアキムくん、わたくちの、こんにゃくちゃなの。いっちょにすも?」
3歳なりの精一杯の演技にヨアキムくんの両親は騙されて、ヨアキムくんを暗殺者としてルンダール家に送り込んできたのです。けれどヨアキムくんの呪いはカミラ先生とビョルンさんの努力によって薄まり、徐々に消えていきました。
「にんじんたん、わたくちの、だいじだいじ」
「ふぁーたんの、だいじ」
「だこちていいのよ?」
「いーの? かれない?」
触るとお花が枯れたり、飼い犬が死んだり、乳母さんが亡くなったりしていたヨアキムくんは人参さんを抱っこすることを躊躇っていました。わたくしも人参さんが枯れないか心配だったのでカミラ先生に確認をとりました。
「カミラてんてー、だいじょぶ?」
「その人参マンドラゴラは栄養剤をよく飲んで強いですし、ヨアキムくんの魔術具も取り換えたばかりです。平気ですよ」
ヨアキムくんに人参マンドラゴラを貸してあげると、ヨアキムくんの腕の中で人参さんは「びょびょ」と元気に鳴いています。じっと抱っこしていたヨアキムくんの黒い目から涙がぽろぽろと零れました。
「かれない……よー、だこでちた」
「わたくちも、ヨアキムくん、だこちる!」
人参さんを抱っこしているヨアキムくんをわたくしは抱き締めました。これまで触れば花が枯れて、飼い犬は死んで、乳母さんまで亡くなってヨアキムくんはどれだけ悲しい思いをしたことでしょう。
わたくしと人参さんでヨアキムくんを幸せにしようと誓った瞬間でした。
あれから四年、不思議なことに人参さんは栄養剤を上げてもムキムキになったり、大きくなったりしないまま、小ぶりな人参のままでわたくしの傍にいます。
ベッドでは毎日わたくしが抱き締めて眠って、目覚めると着替えて一緒に薬草畑に行きます。人参さんはマンドラゴラの畝とお喋りをするのが好きみたいで、ときどき兄様のマンドラゴラたちと踊っていたりもします。
薬草畑の世話が終わるとわたくしは秘密の特訓をします。薬草を潰すための棒を素振りするのです。
兄様たちには戦いの素質がないことは分かっています。
「にいさまはわたくしたちがまもらないと!」
「ぼくも、ふこうなれー! するよ!」
素振りをして鍛えていることはヨアキムくんと二人だけの秘密です。
一度、菜切り包丁で素振りをして、うっかり人参さんの葉っぱを一枚切ってしまって、人参さんを悲しませてしまったので、それ以降は棒を振ることに決めました。切れた葉っぱはリンゴちゃんが拾ってしゃくしゃくと美味しそうに食べていたので、ヨアキムくんは喜んでいましたが、人参さんは落ち込んでいました。わたくしも反省しました。
シャワーを子ども部屋で浴びて着替えると、人参さんはわたくしの人参のポシェットに入ります。
幼年学校に入学してからも人参さんとわたくしはいつも一緒です。休み時間にはポシェットの中を覗くと、人参さんが「びゃびゃ」と声をかけてわたくしを応援してくれます。
土から引き抜かれたマンドラゴラの寿命がどれだけあるのか分かりませんが、わたくしが大きくなって、ヨアキムくんと結婚して赤ちゃんを産んだら、赤ちゃんを人参さんにお世話してもらうのがわたくしの夢です。
エディトちゃんのことを大根マンドラゴラのダーちゃんと蕪マンドラゴラのブーちゃんが面倒を見ているように、わたくしの子どもや孫の代まで人参さんが長生きしてくれたら。
そのことだけを願っています。
次回も番外編が続きます。
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