23.クマさんの通信機
そろそろお屋敷に戻らなければいけない時間が迫っていた。いくら課外授業だとはいえ、カミラ先生も5歳と3歳の幼児を長々と外には連れ出せない。
お兄ちゃんとの別れが近付いてくると、私は自然と涙ぐんでいた。ファンヌの方は、我慢しきれず、天を仰いで「びええええ」と泣き出している。
脚にしがみ付いて離れない私とファンヌに、お兄ちゃんが両手で優しく髪を撫でてくれる。
「また会えるから。叔母上、イデオンとファンヌをまた連れて来てくれますよね」
「連れてきますよ。ほら、そろそろ帰らないと」
「おにいぢゃーん!」
「オリヴェルおにぃたんー!」
泣き出してしまった私と、ぐしゃぐしゃの顔で洟を垂らして泣いているファンヌを見かねたのか、カミラ先生が胸に青い石を下げた小さなクマの置物をお兄ちゃんに渡した。魔術がかかっていることは分かるが、その内容までは分からない置物に、お兄ちゃんは目を丸くしている。
「いただけるのはありがたいですが、クマで喜ぶ年でもないような」
「それは通信機になっています。イデオンくん、ファンヌちゃん、これを」
私とファンヌには、胸のリボンの留め具に青い石を付けたクマのぬいぐるみを渡してくれた。
クマのぬいぐるみの胸の青い石から立体映像が出て、お兄ちゃんの方には私とファンヌのぐしゃぐしゃの泣き顔がドアップで、私の方にはお兄ちゃんの顔が映し出される。
「おにいちゃん!」
『おにいちゃん!』
私が呼びかけると、立体映像も全く同じように言葉を発していた。
「これで毎日話ができるようにしましょう。オリヴェルも、お屋敷のことが気になるでしょう」
「ありがとうございます、叔母上」
「イデオンくんとファンヌちゃんは、毎日、オリヴェルに何を報告するか、ちゃんと考えておくのですよ」
どこまでもカミラ先生は、家庭教師として私とファンヌを教育してくれようとしている。薬草畑のこと、マンドラゴラのこと、お屋敷内で何が起きたか、それにアンネリ様の毒殺の疑いのこと、話すことはたくさんありそうだが、それを限られた時間で報告できるようになるには、結構頭を使いそうだ。
いつでもお兄ちゃんとお話ができると分かって、ファンヌも洟を拭いてもらって、カミラ先生に抱っこされて、私はカミラ先生と手を繋いで、お兄ちゃんにしばしの別れを告げた。
「またね、おにいちゃん」
「来てくれてありがとう。イデオンとファンヌは命の恩人だよ」
手を振るお兄ちゃんは、やつれてもいなくて、健康そうで、私はお兄ちゃんが悪夢のように命を落とすことはないと安堵したのだった。
安心したら眠くなってくる。帰りの馬車の中で眠ってしまった私を、カミラ先生は抱っこして子ども部屋のベッドまで運んでくれた。ファンヌも眠くなっていたので、二人ともその日は夕方までお昼寝をした。
すっきりと起きて、おやつを食べながら、リーサさんにお兄ちゃんが見つかったことを報告する。
「オリヴェルおにーたん、やくとういちで、やくとう、うってたの」
「あにうえはためていたおかねで、やどにとまっていたみたいです。リーサさんが、やくそうをそだてるのをてつだってくれたから、あにうえのいのちがつなげました」
スコーンとミルクティーを飲んでいると、リーサさんが涙ぐみながら話を聞いてくれる。
「わたくしは、もとはオリヴェル様についていた、メイドでした。アンネリ様が亡くなってから、子どもを産んでもいない、乳も出ないのに、オリヴェル様の面倒を見ていたというだけで、イデオン様とファンヌ様の乳母にされて、苦労も致しました」
「リーサさんは、おにいちゃんのメイドさんだったのですか!?」
「オリヴェル様はお小さかったから覚えていらっしゃらないかもしれませんが、乳母が次の出産でお暇を貰った後は、わたくしがオリヴェル様のお手伝いをしていたのです」
たくさんのメイドの中の一人で、物凄く親しかったわけではないけれど、アンネリ様から仰せつかったお兄ちゃんをお世話する仕事に、リーサさんは誇りを持っていた。
「わたくしの実家は貧しい農家で、口減らしのためにお屋敷に売られてきました。帰る場所もなかったので、イデオン様とファンヌ様のお世話ができたことは、本当にありがたかったですが、大変でもありました」
やったことのない縫物をさせられて、乳が出ないのでミルクを温めて、哺乳瓶を消毒して、大忙しだったリーサさん。
「イデオン様もファンヌ様も無事に大きくなられて、旦那様や奥様に似ずに、オリヴェル様を庇ってくださることが、どれだけ嬉しかったことか」
「リーサさんもあにうえがだいすきなんですね」
「わたくしの大事なご主人様と思っております」
虫が苦手でも畑仕事を頑張ってくれたり、お兄ちゃんが捨てられたときには、冷静に、お兄ちゃんが見つかった後で経済的に支援できるように薬草畑を育て続けることを提案してくれたりしたのは、リーサさんがお兄ちゃんのことを本当の主人と思っていてくれていたからだった。
「きっと、セバスティアンさんも、スヴェンさんも、オリヴェル様が当主となる日を待っているのだと思います」
両親の酷い扱いにも耐えて、その日を待っている仲間がいる。お兄ちゃんに伝えなければいけないことが増えた。
夕食が終わる頃に、カミラ先生は大きな鞄を持って、子ども部屋にやって来た。
「子ども部屋の隣りの部屋で生活させてもらうことになりました。リーサさんの部屋とは逆隣りですね」
「カミラてんてー、おとなり?」
「そうですよ、ファンヌちゃん。食事も明日からこちらでご一緒して良いですか?」
「オースルンドのじきりょうしゅさまが、よろしいのですか?」
「私は今はオースルンドとは関係なく、イデオンくんとファンヌちゃんの家庭教師ですから」
2歳でお兄ちゃんと出会ってから、食事も毎食お兄ちゃんと摂っていた。4歳の夏の日にお兄ちゃんが閉じ込められてからは、ファンヌとリーサさんと三人になったが、今日のお昼はお兄ちゃんと一緒に食べることができた。
青い目に黒い髪で、背も高く、雰囲気がお兄ちゃんに似ているカミラ先生。感情でものを言わず、幼児にも理性的に話しかけてくれる姿勢は、お兄ちゃんのようだった。
「カミラてんてー、いっちょちて、いーよ?」
「ファンヌ、あしたからだよ」
「あちた?」
夕食を食べ終わっていたのに、もう一度食べ始めそうなファンヌに、私は今日ではないことを教える。3歳のファンヌには、まだ昨日、今日、明日という時間の把握が難しい。今からではないと知って残念そうだったが、ファンヌは大人しくシャワーを浴びて、歯を磨いて、寝る準備をした。私もシャワーを浴びて、歯を磨いて、寝る準備をする。
「失礼しますよ」
「はい、よろしくおねがいします」
寝る準備が終わると、お待ちかねの時間だった。
ファンヌが抱っこして持ってきたクマのぬいぐるみをテーブルに置いて、位置を調整する。椅子に座ったカミラ先生のお膝の上に、ファンヌが座って、その隣りの椅子に私が腰かけた。
「おにいちゃん!」
クマの通信機に呼びかけると、返事はすぐに返って来る。
『待ってね、今、片付けをしてるから』
「多少汚れたところが映っても構いませんよ。男の子なんですからね」
『叔母上、僕はイデオンとファンヌには、いいところが見せたいんです』
寮に入ったばかりで、生活用品や魔術学校の必要品も、今日一日で魔術学校から支給されたり、購買で買ってきたりしたお兄ちゃんの部屋は、混沌としているようだった。少しして、映像が映し出される。
黒い髪がちょっと濡れているお兄ちゃんは、お風呂上がりだったのかもしれない。
「リーサさんからおにいちゃんのはなしをきいたの。リーサさんは、おにいちゃんのメイドさんで、セバスティアンさんやスヴェンさんも、おにいちゃんをごしゅじんさまとおもってて、とうしゅさまになるまでたえてるんじゃないかって」
『リーサさん……そんなことを』
「あちたから、カミラてんてーも、ごはんいっちょなの」
『叔母上と一緒に食事ができるの、ファンヌ。良かったね』
「カミラてんてー、おとなりのおへやに、おとまりすゆの」
留まることのない会話も、夜が更けてくるとカミラ先生に止められる。
お兄ちゃんに「おやすみなさい」を言って眠れる幸せを、その日は噛み締めてぐっすりと眠った。
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