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お兄ちゃんを取り戻せ!  作者: 秋月真鳥
六章 幼年学校で勉強します!(四年生編)
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15.エディトちゃんの憂鬱

 はぁっとため息を吐いてエディトちゃんがマンドラゴラのダーちゃんとブーちゃんを抱っこして窓際の椅子によじ登る。両脇に抱えられたダーちゃんとブーちゃんはエディトちゃんが落ちないように腕から抜け出して先に椅子に上がって、エディトちゃんが昇って来るのを待っていた。

 カーテンが魔術で冷やされた涼しい風にたなびいて揺れる。日光を避ける厚めのレースのカーテンの向こう側の暑さに萎れる眩しい庭をエディトちゃんはその青い瞳で見つめていた。どこか憂鬱そうなエディトちゃんに構わず、ファンヌとヨアキムくんは子ども部屋で並んで宿題をしていた。

 図鑑を広げて薬草の絵と効能を書き写していくファンヌとヨアキムくんは楽し気である。


「このやくそう、マンドラゴラのえいようざいになるのよ」

「ビョルンさんがつんでたよね」

「わたくしのニンジンさんのために、ビョルンさんはとくべつな『マッチョナール』をつくってくれているのよ」


 楽しく宿題をしているファンヌの口からビョルンさんの名前が出た瞬間、くしゃっとエディトちゃんの顔が泣きそうに歪んだのを私は見てしまった。お兄ちゃんは今日も研究課程の研修でいない。こういうときに一番年下のエディトちゃんに気を配るのは年上の私の役目なのではないだろうか。

 カミラ先生の出産が近付いてお腹が大きくなってカミラ先生に抱っこされなくなってからエディトちゃんは2歳児なりに色々と考えることがあったようだった。


「エディトちゃん、何か悲しいことがあるの?」

「あかたん、うまれゆ」

「そうだね、もうすぐエディトちゃんの弟か妹が産まれるね」


 エディトちゃんに弟か妹が産まれることは私にとっては嬉しいことなのだが、エディトちゃんにとって必ずしもそうではないことは理解していた。下の子が産まれると上の子が赤ちゃん返りするという話を聞いていたのだ。

 自分よりも大事にされているように感じられる相手が生まれて来る。赤ちゃんのときにエディトちゃんも沢山面倒をみてもらったのだがそんな記憶はないだろうから、赤ちゃんにリーサさんやカミラ先生が手を取られるのを見ていたら悲しくなることもこれからあるだろう。


「あかたん、ベッド、あげゆ」

「エディトちゃんの使ってたベビーベッドを、赤ちゃんは使うだろうね」

「えーの……」

「エディトちゃんのベビーベッドも、前はファンヌが使ってたんだよ。それをお譲りしてもらったの」

「ふぁーたんの?」

「そう、ファンヌの前には私が使ってたし、多分お兄ちゃんも使ってたんじゃないかなぁ」


 年季の入ったベビーベッドは赤ちゃんの期間しか使わないので、自分の身を飾ることには熱心だったが子育てに興味のなかった私の両親が買い替えたとも思えない。そのおかげでお兄ちゃんの使っていたベビーベッドを私もファンヌも使えて、エディトちゃんも使って、次の赤ちゃんにまで引き継げるのだから幸運ではあったと言えるのだが、エディトちゃんはまだ憂鬱そうな表情だった。


「おむちゅ、あかたん、あげゆ?」

「小さくなったオムツは赤ちゃんが次は使うよね。オムツは一時期しか使わないから次々作ってたら大変だもの。ファンヌも私のお譲りのオムツだったんじゃないかな?」


 オムツはさすがに残っていなかったようなのでお裁縫の苦手なリーサさんが縫わされて苦しい思いをしたけれど、その分だけ大事に使っているので私が使ったものをファンヌがお譲りして、その次はエディトちゃんにお譲りされていた。

 難しい表情でエディトちゃんは自分の下半身を小さなお手手でぽんぽんと叩いて、オムツで膨れたお尻を振る。


「おむちゅ、ないない?」

「エディトちゃんの大きさのオムツは生まれたばかりの赤ちゃんは使えないから、エディトちゃんが無理に外すことはないと思うよ」

「えー、おむちゅ、いーの?」

「うん、まだ2歳だもの。付けてて良いと思うよ」


 これでエディトちゃんの憂鬱も少しは晴れるかと考えたが、まだまだエディトちゃんには気になることがあるようだ。こうなったらとことん聞いてみるしかない。


「ぱぁぱ、まっま、らっこ、ない?」

「そんなことないよ。赤ちゃんが産まれてもエディトちゃんのことをカミラ先生もビョルンさんも抱っこしてくれるよ? カミラ先生は産んだ後は長時間は難しいかもしれないけど、ぎゅってして欲しかったら今からでもしてくれるよ」


 抱き締めてもらえると伝えるとエディトちゃんの表情がちょっと明るくなる。これからでも抱き締めてもらいに行こうと椅子から飛び降りたところで一緒に降りてきたマンドラゴラのダーちゃんとブーちゃんを小脇に抱えて、エディトちゃんは私を振り向いた。

 青い瞳に涙がいっぱい溜まっている。

 機嫌が良くなったはずなのに急にどうしたのだろう。


「だーたん、ぶーたん、あげゆ?」


 一番気になっていたことなのだろう。ダーちゃんとブーちゃんをぎゅっと抱き締めてぽろぽろと涙を零すエディトちゃんに、私も椅子から降りて小さな体を抱き締めた。私にも大事なマンドラゴラと南瓜頭犬がいるようにエディトちゃんにもダーちゃんとブーちゃんはかけがえのないマンドラゴラなのだ。


「ダーちゃんとブーちゃんはエディトちゃんの大事なマンドラゴラだよ。上げなくていい。もし、赤ちゃんが欲しがる年になったら、赤ちゃんのためのマンドラゴラを畝から連れて来るからね」


 私の説明にぐいっとエディトちゃんは拳で涙を拭った。小さなお手手を私の方に出して手を繋ぐ。


「まっま、ぎゅー、ちたい」

「うん、お願いしてみようか」


 エディトちゃんと手を繋いで執務室に行くと、カミラ先生は部屋を冷やす魔術がかかっているのに汗をかいていた。


「まっま、ぎゅー、ちて」

「いいですよ、おいでなさい、エディト」


 駆けていくエディトちゃんはぎゅっと抱き締められて嬉しそうだった。側にいたビョルンさんもエディトちゃんを抱き上げる。

 しばらく抱っこしてもらって満足した顔でエディトちゃんが部屋を出ようとしたところで、カミラ先生がお腹を押さえた。


「いたっ……ビョルンさん、来たかもしれません」

「カミラ様、寝室に」


 陣痛が来たらしいカミラ先生は慌ただしく寝室に連れて行かれる。取り残されたエディトちゃんはしばらく立ち尽くしていた。


「エディトちゃん、大丈夫?」

「あかたん?」

「そうだよ、産まれるんだよ」


 赤ちゃんが生まれる前に陣痛という痛みがあってそれで産道が開いて生まれるのだという知識はあるが、具体的にどのようなものなのか私には分からない。子ども部屋にエディトちゃんを連れて行こうと手を引くが脚を踏ん張って動いてくれない。


「まっま、いちゃいいちゃい……えー、なでなで、ちる!」

「赤ちゃんが産まれるときには子どもはお部屋に入っちゃダメなんだよ」


 説得してもエディトちゃんが動く気配はない。困って執務室のカスパルさんとブレンダさんに言ってみると、すぐにビョルンさんを呼んで来てくれた。

 駆けて来たビョルンさんがエディトちゃんに問いかける。


「赤ちゃんが産まれるのを、見てみますか?」

「えーも? いーの?」

「私も!? いいんですか!?」

「イデオンくん、ファンヌちゃんとヨアキムくんも呼んで来てください。カミラ様も良いと言っています」


 赤ん坊が産まれるような場面に子どもは立ち入ってはいけないのだとばかり考えていたが、カミラ先生はそれすらも許そうとしてくれている。


「叔母上、産気づいたんですか?」

「オリヴェル様も着替えて来てください。出産に立ち会うのは医師としての経験になります」

「ぼ、僕もいいんですか!?」


 医学を学んでいるお兄ちゃんにとっては出産の場面も学びの場だった。全員清潔な服に着替えて手を洗って、髪が長い子は括ってカミラ先生とビョルンさんの寝室に入る。椅子が用意されていて長時間の出産中に私たちが座って休めるように準備がされていた。

 カミラ先生はベッドにタオルを敷いた上に寝ていて、下半身を布で隠すようにしていた。


「まっまー!」

「エディト、元気な、赤ちゃんを、産みますからね」

「カミラせんせいがんばって!」

「カミラせんせい、いたいの?」


 集まって来るエディトちゃんとファンヌとヨアキムくんに額に珠の汗を滲ませながらカミラ先生は気丈に答える。痛みにその眉が歪むのに、ビョルンさんがエディトちゃんにタオルを持たせてくれた。


「まっま、あて」

「ありがとう、エディト」


 流れ落ちる汗を拭くエディトちゃんと腰を摩るファンヌとヨアキムくん。お兄ちゃんとビョルンさんはカミラ先生の足にかけられた布に手を入れて何か確かめている。


「何をしてたの?」

「産道がどのくらい開いてるかを確かめてたんだけど、そろそろ生まれそうだね」


 盥の水で手を洗って水を替えに行くお兄ちゃんに私も付いていく。新しい水を盥に入れて持って来たお兄ちゃんをビョルンさんが呼んだ。


「頭が出て来てます」

「え!? あ、頭が!?」

「エディトもファンヌちゃんもヨアキムくんもこっちに来て。産まれますよ」


 二人目なので一人目よりも早く出てくるようだ。

 頭が出るという言葉にドッキリしてしまったが恐る恐る私たちはカミラ先生の下半身の側に回った。

 カミラ先生の足の間から小さな頭が出てきて、その後にずるりと身体も出て来るのを私もお兄ちゃんもエディトちゃんもファンヌもヨアキムくんも息を飲んで見守る。

 へその緒で繋がった赤ちゃんは泣き声をあげている。

 ビョルンさんはへその緒を切ってカミラ先生の胸の上に赤ちゃんを置いた。


「あぁ、男の子ですね……可愛い」

「カミラ様と同じ髪の色ですよ」


 元気に泣く赤ちゃんに私は感動して涙が出てきそうになる。

 赤ちゃんがこんな風に生まれるだなんて私は初めて知った。将来お兄ちゃんと同じく私も薬学だけでなく医学も志そうと決めた瞬間だった。それが意外な形で覆される未来が来ることをそのときの私は知らない。

 産湯を浸かってビョルンさんが産着を着せている間にリーサさんが呼ばれて寝室に来ていた。


「カミラ様は休まれるので子どもたちと赤ちゃんをお願いします」

「分かりました。どちらでしたか?」

「男の子でした」

「おめでとうございます」


 私とファンヌとヨアキムくんとエディトちゃん、それに赤ちゃんはリーサさんに抱っこされて子ども部屋に戻った。


「お兄ちゃんは?」

後産(あとざん)と言いまして、子どもを産んだ後に胎盤などが外れるので、そこまで見せてもらうようですよ」


 後産。

 胎盤って何だろう。

 よく分からないけれどそれは帰って来たお兄ちゃんに聞けばいい。赤ちゃんが産まれる場面に立ち会うという貴重な経験をカミラ先生は私たちにさせてくれた。それだけ私たちを信頼してくれている証なのだろう。


「あかたん、まっま、がんばた」

「カミラ様の頑張りを見させていただいたのですね」

「ベッド、あかたん、あげゆ。おむちゅ、あげゆ!」


 憂鬱だったエディトちゃんの気持ちをカミラ先生は実践で晴らしてくれた。

 エディトちゃんが弟にメロメロのお姉ちゃんになるのは、そのときの私にもなんとなく分かっていた。

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