2.幼年学校入学にあたってと、お兄ちゃんの入学式
幼年学校に入るにあたってヨアキムくんとファンヌにカミラ先生はくれぐれも言い聞かせてあった。
「包丁を出してはいけませんよ?」
「おりょうりのときも?」
「幼年学校の一年生にお料理の時間はありません」
「こわいひとがおそってきたらどうすればいいのかしら?」
「幼年学校は魔術の結界で守られています。行き帰りの馬車が襲われたときには例外とします」
納得できない表情だがファンヌは人参のポシェットに包丁を仕舞っていた。
「ヨアキムくんは幼年学校の生徒に呪いをかけてはいけませんよ」
「ファンヌちゃんやミカルくんやぼくにいやなことをしても?」
「そういうときは先生に相談するか、ファンヌちゃんやミカルくんに先生を呼んできてもらってください」
「ひとりでいるときにヤなことされたら?」
「それでも呪いは使ってはいけません」
ファンヌは肉体強化の魔術を抑える魔術具を持たされているが、ヨアキムくんは呪いをまき散らさなくなった代わりに自分の意志で使いこなせるようになってしまっていた。目標を定めて行われる呪いの魔術は相手に不幸をもたらす。
それが転ぶとか座っている椅子が壊れるとか靴紐が切れるとか被害の少ないものならば良いのだが、どれくらい強い呪いをかけるかをヨアキムくんは調整できていない様子なのだ。
納得していない様子のヨアキムくんの姿を見て困っているカミラ先生に、私は薄い紙に包まれた新品の石鹸を手渡した。
「もし万が一ヨアキムくんが呪いをかけてしまったら、すぐに洗い流してもらうようにファンヌとヨアキムくんに向日葵駝鳥と青花の石鹸を持たせておいたらどうでしょう?」
「それはいい考えですね」
本格的にファンヌとヨアキムくんが幼年学校に入る前に石鹸ケースを買ってきて、カミラ先生は二人に石鹸を持ち歩くように言った。
「ヨアキムくんが間違って幼年学校の生徒に呪いをかけてしまったら、ソーニャ先生にこれを渡して、すぐに洗い流してもらうようにお願いしてください」
「わかりましたわ」
「いやなことするひとをまもるの?」
「違います。私が守りたいのはヨアキムくんです」
唇を尖らせたヨアキムくんにカミラ先生ははっきりと告げる。
「ヨアキムくんが呪いをまき散らしていると噂になれば、ヨアキムくんが嫌な思いをします。乳母さんを亡くしたことで嫌なことを言われましたよね。あんなことを繰り返したくはないのです」
「カミラせんせい……わかったの。ぼく、できるだけ、ふこうなれ、しないようにする。したら、せっけんをわたすね」
真摯なカミラ先生の気持ちがヨアキムくんに通じた瞬間だった。
それにしてもカミラ先生は本当に私たちのことを考えてくれている。それはヨアキムくんもファンヌも感じているようだった。
「カミラせんせい、わたくしがようねんがっこうににゅうがくしたら、かんどうしてないてたのよ」
「ぼくがにゅうがくして、うれしくて、ビョルンさんもないてたね」
二人の言う通り入学式にはカミラ先生もビョルンさんも号泣していたし私も泣きそうになっていた。大事な妹と弟のような存在がこんなに大きくなって立派になって幼年学校に通うようになる。小さい頃から知っているだけに感動はひとしおだった。
私の入学式のときは一緒に入学したがるファンヌとヨアキムくんを押さえるのに必死だったお兄ちゃんとカミラ先生とビョルンさんもあんな気持ちだったのだろうか。
「エディトちゃんが産まれたら、カミラ先生は実の子どもの方が可愛いと思うようになるって言われたことがあります」
「まぁ、そんな。私はみんな可愛いですよ」
「エディトちゃんが生まれてからもカミラ先生の態度が変わらなくて本当に良かったと感謝しています」
頭を下げるとカミラ先生に抱き締められる。
「イデオンくんもオリヴェルもファンヌちゃんもヨアキムくんも、みんな可愛い。それにエディトが加わっただけです。私は欲張りなので一人も愛さないようにするなんてしないんですよ」
優しい微笑みはお兄ちゃんの笑顔と似ていた。
カミラ先生にお願いがあって私は抱き締められたままその耳に囁いた。
「お兄ちゃんの研究課程の入学式に私が出席してはいけませんか?」
「それは、どうでしょう。研究課程の入学式は、成人している生徒が入学するので保護者もあまり参加しないようなのですよね」
「お兄ちゃんは、幼年学校の入学式も、魔術学校の入学式も、一人だったはずなんです。研究課程の入学式に私が行ってはいけませんか?」
「その話、オリヴェルに直接してみてください」
ファンヌとヨアキムくんの入学式を見ながら私が考えていたのはお兄ちゃんのことだった。3歳でレイフ様を、5歳でアンネリ様を亡くしているお兄ちゃんは幼年学校の入学式にも魔術学校の入学式にも出席して祝ってくれたひとがいたとは思えない。
体面のために私の両親が出ていたとしても祝われた覚えはないのではないだろうか。
「わたくし、カミラせんせいとビョルンさんにじつのむすめのようにおもわれているのよ」
「ぼく、むすこ?」
「そうよ、きっとね」
自己肯定感に溢れたファンヌとヨアキムくんを育てたのは、カミラ先生とビョルンさんの愛情あふれる触れ合いだった。なによりその前にお兄ちゃんがたくさん私とファンヌを可愛がってくれた。リーサさんもいた、セバスティアンさんもいた、スヴェンさんもいた。
そんな自己肯定感を高めるような体験をお兄ちゃんが取り戻せたのは、14歳で私の両親が捕えられてカミラ先生が当主代理となってからだった。
子どもは遊ぶものといってお兄ちゃんを存分に自由にさせてくれるカミラ先生のおかげでお兄ちゃんは幸せそうだが、それでも取り戻せていない部分があるのではないだろうか。
部屋に戻るとお兄ちゃんは入学前の課題をやっていた。椅子を寄せて隣り合ったお兄ちゃんの机に向かって座る。
「研究課程の入学式に私が出席したら、お兄ちゃんは恥ずかしい?」
まだ9歳の私が保護者も来るひとは少ないと言うのにお兄ちゃんを祝うために出席したらおかしいだろうか。お兄ちゃんに恥をかかせてしまうだろうか。
カミラ先生の前だとお願いできたのにお兄ちゃんの前だと急に不安になってしまう。
「出てくれるの、イデオン?」
「い、良いの?」
「叔母上は出席するって言ってたけど、忙しいし断ろうかと思ってた。僕はもう大人だからね」
去年の末に18歳になったお兄ちゃんは成人年齢となっていた。大人だから祝われないで良いというのは寂しい気がする。
「お兄ちゃんは幼年学校も、魔術学校も、誰も入学をお祝いしてくれるひとがいなかったんじゃないかって思ったんだ」
「そうだね。父も母も亡くなっていたから、それは仕方ないよね」
「仕方ないって、言わせたくない。研究課程が最後の入学式になるかもしれないんでしょう? 私、お祝いしたい」
必死に言うと目の奥がじんと熱くなって鼻の奥がつんと痛む。泣き出しそうな顔の私をお兄ちゃんは抱き締めてくれた。
「嬉しいよ。来てくれる?」
「うん、行く」
「叔母上にもお願いしようね」
課題を閉じて子ども部屋で寛いでいるカミラ先生に話しに行くと、ファンヌとヨアキムくんとエディトちゃんが話に加わった。
「わたくしも、オリヴェルおにいちゃんをいわいます」
「ぼくもおいわいする! バラをもっていく!」
「えー! えー! いっくぅー!」
自己主張する三人にお兄ちゃんは照れくさそうな顔をしている。
「これは、みんなで行かないと収拾がつきませんね」
「そのようですね……嬉しいけどちょっと恥ずかしいかな」
「それだけ家族に愛されているのだと諦めてください」
「はい」
カミラ先生に言われて顔を赤らめたお兄ちゃんはそれでも微笑んでいた。
お兄ちゃんの研究課程の入学式には私とカミラ先生とビョルンさんとエディトちゃんとファンヌとヨアキムくんがお祝いに駆け付けた。広い講堂で難しい話がされている間、エディトちゃんとファンヌとヨアキムくんは退屈そうだったけれど、それでも騒がずにいてくれた。
研究課程に入学する生徒は幼年学校の二学年分くらいで、ルンダール領中の入学試験に通った優秀な人材がここに集まっている。その中にお兄ちゃんがいることが私は誇らしかった。
長い退屈なお話が終わって入学式が終わると講堂から出て庭で記念の立体映像を撮った。薔薇園から薔薇を庭師さんに切ってもらって花束を作っていたヨアキムくんはお兄ちゃんにそれを渡していた。
「入学おめでとう、お兄ちゃん」
「イデオンが最初に祝ってくれるって言わなかったら、こんなに賑やかじゃなかったかもしれないよ。ありがとう、イデオン」
私を抱き締めるお兄ちゃんは泣いているようだった。
たった一人で幼年学校にも魔術学校にも入学したお兄ちゃん。孤独が埋められるのか分からないけれど、少しでも今日のことで今までの悲しみが取り戻せていたらと願わずにいられなかった。
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