20.カミラ先生の真実
新しい家庭教師のカミラ先生が来た日は、お兄ちゃんがいなくなった翌日だったし、前日は泣いて悲しくてほとんど寝られなかったせいで、私もファンヌも昼間の畑の管理が終わって、夕方には晩御飯も食べずにぐっすりと朝まで眠ってしまった。
目が覚めて、窓の外がまだ薄暗くて、寝過ごしていないことを確認してほっとした。昨夜晩御飯を食べていないので、お腹が鳴って仕方がない。薬草畑には行かなければいけないが、ファンヌは空腹で半泣きだった。
「イデオン様、ファンヌ様、お行儀が悪いですが、今だけはわたくしは見ないことに致します」
「リーサさん!」
「あいがちょ!」
晩ご飯を食べずに眠ってしまった私たちが翌朝お腹が空くだろうと、リーサさんは厨房のスヴェンさんにお願いして、フィナンシエを焼いてもらっていたようだ。もしゅもしゅとそれを頬張って、中身を冷たくする魔術のかかった水筒からアイスティーを飲んで、私は薬草畑に向かった。
夏でも長袖に長ズボン、麦わら帽子姿の私は、お散歩に行くというよりも農作業に行く姿だった。虫や草で怪我をしないように、真夏でも長袖長ズボンでいるように言われていたので、ファンヌも私が小さい頃に着ていた長袖長ズボンに麦わら帽子姿で、男の子のようである。
その後ろから気配を消した誰かが付いてきていることには、全く気付いていなかった。
薬草畑に着くと、いつものようにリーサさんにバケツに水を汲んでもらって、如雨露で水やりを始める。5歳になった私は、如雨露にいっぱい水を入れても、簡単に運べるようになっていた。如雨露の大きさは3歳のファンヌにちょうどいいが、力が強いのか、ファンヌも如雨露いっぱいの水を入れても楽に運べる。
二人で水やりをしている間に、リーサさんに害虫の駆除をお願いしていると、優雅につば広の帽子を被ったカミラ先生が間近に立っていた。
「これは良い薬草畑ですね。アンネリ様が裏庭で薬草栽培をされていた頃よりは劣りますが、もしかして、イデオンくんが作ったのですか?」
どうしよう。
この裏庭の薬草畑はお兄ちゃんとファンヌと私とリーサさんだけの秘密の場所だった。ここがなくなってしまうと、お兄ちゃんが見つかったときに、薬草を売って資金援助ができなくなってしまう。
素早く考えて私は土の上に膝を付いて、カミラ先生に土下座していた。
「おねがいです、このことをちちうえとははうえに、おしえないでください」
「イデオンくん、顔に土がつきますよ?」
「どんなことでもします。べんきょうも、なんでもします。おねがいです」
「おねちまつ!」
土に額を擦り付けてお願いをする私の隣りで、ファンヌも膝を付いて、一生懸命頭を下げていた。
「二人とも、土だらけになってしまいます。ほら、起きて」
抱き上げられて、私はぼろぼろと涙を零し、ファンヌも洟を垂らして泣いていた。
リーサさんがせっかく考えてくれて、お兄ちゃんが見つかったときのために薬草を育てようと決意したばかりなのに、こんな形で他の相手に薬草畑の存在が発覚してしまうとは。
これではもうお兄ちゃんを助けることはできないのではないだろうか。絶望に胸が潰れる思いの私とファンヌを起こして、カミラ先生は泥をはたき、顔を綺麗なハンカチで拭いてくれた。
「この薬草畑をどうしようと思ったのですか?」
「お、おにいちゃんが、みつかったら、おかねがひつようだから……」
「そうですね、死んだと公表した以上、お屋敷には戻せませんからね」
「おにいちゃんに、お、おかね……うぇぇ……」
「オリヴェルおにーたん……ふぇ」
泣き続ける5歳と3歳の幼児を、カミラ先生が優しく宥める。
「そもそも、私はあなたたちのご両親の味方ではありません。どちらかといえば、オリヴェルの味方です。勉強をしてくれるのは嬉しいですが、薬草畑のことどころか、あなたたちのことも、ご両親に告げ口するつもりはありませんよ」
「おに……じゃなかった、あにうえの、みかた、ですか?」
3歳で父親を亡くし、5歳で母親のアンネリ様を亡くしたお兄ちゃん。それから私と出会うまで、お屋敷の中に味方などいなかった。私と出会ってから、ある程度自由に動けるようになって、お屋敷の中でも味方が増えたが、カミラ先生はどうやら他の領地から来たようだ。
「あなたたちは幼いので知らないかもしれません。カミラとはよくある名前なので、ご両親も気付いていませんでしたが」
「カミラせんせいは、なにものですか?」
「私の名前は、カミラ・オースルンド」
オースルンド。
どこかで聞いたことがある。
頭の中で記憶を引っ張り出して、繋がったのは、隣りの領地を治める領主の名前だった。
「オースルンドけの、カミラさま?」
「知っていますか?」
隣りの領地に畏敬の念を込めて「魔女」と呼ばれる魔術師がいる。それが、カミラ・オースルンドだった。兄弟姉妹の中で極めて秀でた魔術の才能を持ち、次期領主になることが決まっているという。
「オリヴェルの父のレイフは、私の兄でした。私が領地を継ぐことが決まって、ルンダール家のアンネリ様との見合いをして、一目惚れで、喜んで婿入りをしたのに、病気で亡くなってしまって」
痛々しいカミラ先生の表情に、嘘はないようだった。
とすると、カミラ先生はお兄ちゃんの叔母さんということになる。
「やくそうばたけのことは、あにうえにおしえてもらいました。あにうえがあれはてたやくそうばたけを、かいこんして、たねのうえかた、ざっそうのぬきかた、しゅうかくのしかた、むしのことをおしえてくれました」
「だめなむち、いいむち、いるの!」
「きょねんのなつからあにうえがとじこめられていたので、ことしはリーサさんにてつだってもらって、わたしとファンヌとリーサさんではたけをつくりました」
3歳のときからお兄ちゃんに教えられて積み重ねてきたことが、今の薬草畑を作っている。そのことを説明すると、カミラ先生の青い目が潤む。
この色を私は知っていた。
これは、お兄ちゃんの目の色だ。
「カミラせんせい、あにうえとおなじおめめ……」
「オリヴェルには小さい頃しか会ったことがないのです。ルンダール家を入り婿が乗っ取ろうとしていると分かっていても、私は甥が死んだと告げられるまで動くことができなかった」
「カミラせんせい、あにうえをたすけてください」
「オリヴェルは不自由な暮らしの中でも、アンネリ様の意思を継いでいたのですね。イデオンくん、ファンヌちゃん、あなたたちがそれを残してくれていてよかった」
抱き締められて私は全身の力が抜けていくような気がする。お兄ちゃんが死んだと告げられた誕生日パーティーの日から、ずっと緊張して、私の身体は強張っていた。
まだ見つからないお兄ちゃん。二日目だとしても、時間が過ぎればすぎるほど、お兄ちゃんが心配で、そのことばかり考えていた。
隣りの領地の次期領主様が、甥っ子を助けるために直々に出向いてくれている。この事実は、私にとって何よりも心強いものだった。
「イデオン様……ファンヌ様……オリヴェル様が早く見つかりますように」
乳母のリーサさんも涙ぐんで喜んでくれている。
やっと緊張の解けた私とファンヌに案内されて、カミラ先生は薬草畑を見て回った。
「これが、ほしてかわかすやくそうです」
「管理の仕方も教えているのですね。栄養剤の原料となる薬草ですよ」
「えいよーじゃい! まんどあごあの、ごはん!」
部屋に置いてきた人参マンドラゴラのことを思い出したのか、ファンヌが大きな声を上げる。
「こっちが、しんせんなままでうりにだすやくそうです」
「こちらも栄養剤の原料ですね……」
「こえ、まんどあごあ」
「マンドラゴラも育てているのですか?」
一番奥の畝まで見て回って、カミラ先生は一つの結論に達したようだった。
「恐らく、オリヴェルは自分で栄養剤を作れるようになって、マンドラゴラをその栄養剤で育てるつもりだったようですね」
「やくそうだけで、わかるんですか?」
「まだ魔術学校の二年生だったわけですよね。栄養剤の調合を教えるのは大体四年生くらいだから、それまでは薬草を売りながら畑を広げるつもりだったのでしょう」
どういう意図でどういう薬草を植えていたかなど、お兄ちゃんは私には話してくれなかった。まだ難しくて、意図が分からないと思われていたのだろう。もう少し大きくなるまでお兄ちゃんが一緒にいてくれたら、分かったかもしれない。
「あにうえは、けいかくてきにマンドラゴラをそだてるつもりだったのですね」
「領民に栄養剤の作り方を公開するつもりだったのかもしれませんね」
できるだけ簡単にできる栄養剤の作り方を開発して、領民を救おうとしていた。お兄ちゃんは当主になりたくないと言いながらも、きっちりと領民のことを考えていたのだ。
「あにうえ……あいたい」
「必ず見つけて見せます。『魔女』の名にかけて」
カミラ先生の言葉に勇気付けられて、私は薬草畑の世話を終えて部屋に戻った。
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